三菱ゆかりの名所・史跡・文化施設

2010年に復元されて美術館となった東京丸の内の三菱一号館をはじめ、岩崎彌太郎の生家、静嘉堂文庫美術館や東洋文庫、清澄庭園や六義園など、日本全国には三菱ゆかりの文化遺産が数多くあります。こうした建物や美術館、庭園などで今でも三菱の歴史の一端を垣間見ることができます。
ここでは次世代に受継がれる三菱ゆかりの貴重な文化遺産の中から、広く一般に公開されているスポットをご紹介します。

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三菱ゆかりの名所・史跡・文化施設のご紹介

静嘉堂文庫・静嘉堂文庫美術館

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豊かな自然の中に佇む図書館、美術館

砧公園から徒歩10分、武蔵野の面影を留める丘陵の一角に佇む静嘉堂。 明治期という西欧文化偏重の世相の中、軽視されがちだった東洋固有の文化財の散亡を怖れた岩崎彌之助により1887(明治20)年頃から本格的に収集が開始され、さらに嫡子・小彌太によって拡充されました。

文庫(図書館)に加え、1977(昭和52)年より展示館で美術品の一般公開を行ってきましたが、静嘉堂文庫創設百周年に際して美術館が建設され、92(平成4)年4月、静嘉堂文庫美術館が開館しました。

国宝7件、重要文化財84件を含む6500余件に及ぶ東洋古美術品と約20万冊の和漢の古典籍を収蔵しています。

年に数回開催される展覧会では、専門研究者による講演会や司書・学芸員による解説を聞くことができます。

(常設展示はありませんので、事前に展示予定をご確認ください)

静嘉堂全景。右手の文庫建物は、東京都選定歴史的建造物。
国宝 曜変天目(「稲葉天目」)

世界に名だたる東洋学の中核

東京・文京区、不忍通り沿いに位置する東洋文庫。1917(大正6)年、岩崎久彌が当時の中華民国総統府顧問だったG・E・モリソンの膨大な蔵書を購入、さらに収集の範囲をアジア全域へと拡大して和漢籍の充実を図り、1924(大正13)年に日本初の東洋学を対象とする研究図書館を設立しました。

現在の蔵書は約100万冊。国宝5点・重要文化財7点をはじめとするアジア諸言語の資料など、世界的に貴重な文献が収蔵されています。また、東洋学の研究機関としても国内外の中心的役割を果たしています。

これらの貴重書および東洋学の普及のため、ミュージアムを設置しています。最新のデジタル技術や空間演出を駆使し、国宝・重要文化財を中心とした貴重書や絵画など、長らく秘蔵であった品々を展示しています。その他、小岩井農場が運営するレストラン〝オリエント・カフェ〟も併設されており、農場から直送の食材を利用した料理が楽しめます。

ミュージアム2Fモリソン書庫
東洋文庫外観
レストラン“オリエント・カフェ”

三菱史料館(三菱経済研究所付属)

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近代の黎明期を身近に感じる

三菱ゆかりの地、旧岩崎家茅町本邸(旧岩崎邸庭園)に隣接する岩崎彦彌太(彌太郎の孫)の邸宅跡地に建てられた三菱史料館。1995(平成7)年の三菱創業125年記念事業として、金曜会28社(当時)の拠出により設立され、公益財団法人三菱経済研究所に併設されています。

三菱創業以来の経営史料等を収集・保管・公開するとともに、三菱および日本の産業発展史の調査・研究を行っています。展示室では、明治維新期の創業から今日に至るまでの三菱の歴史と時代背景を、分かりやすくパネルで説明するとともに、所蔵史料の一部を展示し広く一般に公開しています。岩崎彌太郎自筆の書や創業当時の契約書をはじめとした文書類や古い写真など、展示史料はいずれも三菱とわが国の産業発展史を物語る興味深いものです。

瀟洒な煉瓦造りの三菱史料館の外観
閲覧室
三菱の歴史と時代背景を分かりやすく展示

三菱一号館美術館

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丸の内初のオフィスビルが、美術館として開館

2010(平成22)年春、東京・丸の内に美術館として開館。19世紀後半から20世紀前半の近代美術を主題とする企画展を年3回開催しています。

赤煉瓦の建物は、三菱により1894(明治27)年に丸の内における最初のオフィスビルとして、ジョサイア・コンドルの設計のもと、英国ヴィクトリア時代のクイーン・アンスタイルで建設された「三菱一号館」(1968(昭和43)年に解体)を、建設当時の図面や写真資料を元に、可能な限り忠実に復元。

コレクションは、建物と同時代の19世紀末西洋美術を中心に、トゥールーズ= ロートレックをはじめルドン、ヴァロットン作品等を収蔵しています。

館内には、カフェバー「Cafe1894」、ミュージアムショップ「Store1894」、丸の内の歴史体感スペース「歴史資料室」、三菱グループが所有する文化財をアーカイブ形式で閲覧できる「三菱センターデジタルギャラリー」なども併設。来館者が、かつて丸の内が「一丁倫敦(ロンドン)」と呼ばれて親しまれた赤煉瓦街であった時代に、思いを馳せることができる空間となっています。

復元された三菱一号館。1階にはカフェ、ショップ、三菱一号館歴史資料室、三菱センター デジタルギャラリーがある
現在カフェとなっている空間は、明治期には銀行営業室として利用されていた

岩崎彌太郎生家

三菱の基礎を築いた岩崎彌太郎の生家

1835(天保5)年、岩崎彌太郎は、父・彌次郎と母・美和の長男として生まれました。弟・彌之助、長男・久彌も同じくここに生まれました。生垣で囲まれた敷地には、1795年頃曽祖父が移築した茅葺きの生家と明治中期に建てられた土蔵があり、蔵の鬼瓦には岩崎家の家紋で三菱マークの原型といわれる「三階菱」を見ることができます。中庭の石組みは、彌太郎が少年期自ら日本列島を形どり、世界にはばたく夢を表したものといわれています。

旧岩崎邸庭園

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第3代社長久彌が暮らした岩崎家の本家本邸

1896(明治29)年、鹿鳴館やニコライ堂などを手掛けた英国人のジョサイア・コンドルにより、岩崎家本邸が建てられました。完成当初は15,000坪の敷地に20棟以上の建物がありましたが、現在は洋館・撞球室(ビリヤード場)・和館の3棟のみが残っています。本格的なヨーロッパ式邸宅の随所に見事なジャコビアン様式の装飾が施され、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが、当時の華やかな暮らしを偲ばせます。

土佐稲荷神社

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土佐稲荷が見守る三菱発祥の地

土佐藩蔵屋敷ができたときにその守り神として土佐の国から石の御神体を戴き、お祀りしたのが始まりです。その後六代目山内豊隆公が京都伏見より稲荷大神を勧請し、合わせて土佐稲荷神社としました。明治になり、この地は岩崎彌太郎が所有することとなりましたが、氏の敬神の念篤く、以降神社は三菱の守り神として引き継がれることとなりました。

小岩井農場

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荒野に一本の苗木を植えることから始まった

小岩井農場は共同創始者の小野義眞(日本鉄道会社副社長)、岩崎彌之助(三菱社社長)、井上勝(鉄道庁長官)の三名の頭文字をとって「小岩井」と命名されました。1891(明治24)年の開設当時は、極度に痩せた酸性土壌のため、基盤整備に数十年を要し、現在では緑豊かな農場となりました。重要文化財に指定された歴史的建造物や生産現場をご案内して酪農・山林事業などへの理解と関心を深めていただく参加型プログラムも展開しています。

明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」

1878(明治11)年、岩崎彌太郎は社員の慰労や貴賓を招待する場所として、かつての大名の屋敷跡を購入し、広大な庭園を造成しました。彌太郎の亡きあとも造園工事は進められ、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。関東大震災で大きな被害を受けましたが、災害時の避難場所として、多数の人命を救いました。翌1924(大正13)年東京市に寄付。1932(昭和7)年に清澄庭園として開園しました。

六義園(りくぎえん)

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文芸趣味に彩られた和歌の心息づく雅な江戸大名庭園

六義園は、5代将軍綱吉の側用人柳澤吉保の造営した大名庭園であり、造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられていました。7年の歳月をかけ「回遊式築山泉水庭園」が完成。平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築いた繊細で温かみのある日本庭園です。明治時代に入り、岩崎彌太郎が所有し、1938(昭和13)年に東京市に寄贈されました。国の特別名勝にも指定されています。

四季折々の移ろいをゆったりと楽しめる

1929(昭和4)年、岩崎久彌の別邸として、京都の庭師小川治兵衛の手による壮大な日本庭園の中に、瀟洒な数寄屋造りの和風建築邸が建設されました。1947(昭和22)年には、旅館「三養荘」として営業を始め、現在でも、3,000坪の庭園の眺望を楽しむことができます。2017年6月、国の登録有形文化財へ登録されました。

箱根湯本吉池旅館

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今も静寂な時が流れる一万坪の庭園

1万坪を超える庭園の一角に、国登録文化財の旧岩崎家別邸が建ち、見事な景観を造り上げている吉池旅館(創業昭和16年)。1908(明治41)年に造園された回遊式庭園には、春は桜とツツジとカラー、夏は紫陽花、秋は紅葉と今も四季折々の風情を楽しめます。

山のホテル

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箱根・芦ノ湖を望む広大な庭園が美しいリゾートホテル

2018年に開業70周年を迎える、岩崎小彌太別邸跡地に建つ、芦ノ湖畔のリゾートホテル。広大な庭園には、岩崎小彌太が植えた、樹齢100年を超えるツツジ・シャクナゲをはじめ、富士山を借景に芦ノ湖畔の春・夏・秋・冬と移りゆく風情が堪能できます。

殿ヶ谷戸庭園

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自然の地形を生かした起伏に富む回遊式庭園

江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘を1929(昭和4)年に岩崎家が別邸として買い取り、津田鑿の設計で洋風邸宅、数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備しました。武蔵野の自然の地形を巧みに利用した和洋折衷の「回遊式林泉庭園」となっており、現在では東京都が所有し、有料庭園として公開しています。

三菱重工・長崎造船所 史料館

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160年の時を超え、赤煉瓦館に息づく永作造船所の華やかな歴史

造船業形成期の1898(明治31)年に、鋳物製品の需要増大に伴い、鋳型製造のための木型を製作する「木型場」として建設されました。長崎造船所に現存する最も古い工場建物で、木骨煉瓦造二階建てです。1985(昭和60)年に史料館として改装され、日本最古の工作機械や、わが国初の国産陸用蒸気タービンなど貴重な資料約900点余りを展示しています。2015(平成27)年7月、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつとして、世界遺産に登録されました。

明治生命館

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昭和の建造物として初めて国の重要文化財に指定

1934(昭和9)年、3年7カ月にわたる大工事を経て竣工した、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8階、地下2階の当時としては最先端の設備を持ったビルでした。設計は当時の建築界の重鎮、東京美術学校(現、東京芸術大学)岡田信一郎教授。古典主義様式の最高傑作として高く評価され、近代洋風建築の代表的な建造物と言われています。また、終戦後にGHQ(連合国軍最高指令官総司令部)に接収され、対日理事会の会場として使用されるなど、昭和の激動を乗り越えてきた歴史が刻まれています。

日本郵船歴史博物館

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近代日本海運の夜明けから今日まで

日本郵船の誕生秘話から現代に至るまで、130年にわたる歴史を紹介する博物館。精巧で迫力あるモデルシップ、貴重な文書、美しいデザインの客船パンフレットなど、数々の資料を展示しています。日本郵船横浜支店として1936(昭和11)年に竣工した歴史的建造物は、2階部分まで貫く華麗なコリント式列柱が特徴的です。徒歩15分の日本郵船氷川丸とのセット券もあります。

日本郵船氷川丸

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戦前の客船文化を今に伝える

氷川丸は、1930(昭和5)年にシアトル航路用に建造された貨客船です。当時の最新鋭の船として、戦前の豪華貨客船時代を彷彿とさせます。第二次大戦中は海軍の病院船として活躍、1961(昭和36)年に山下公園特設桟橋に係留され、一般公開。2016(平成28)年に国の重要文化財に指定されました。現在、横浜のシンボルとして多くの人々に親しまれ、貴重な産業遺産として高く評価されています。

史跡 佐渡金山

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世界遺産候補の大金山

1601(慶長6)年に発見された金銀鉱山。江戸幕府や明治政府の財政を支えた後、生野鉱山とともに1889(明治22)年、皇室の財産となり、1896(明治29)年、三菱合資会社に払い下げられました。その後三菱鉱業(現三菱マテリアル)が経営し、1989(平成元)年に閉山するまでの388年間に金78トン、銀2,330トンを産出。現在は観光施設として一般公開され、自治体とも協力しながら世界遺産登録に向けた取り組みを進めています。

史跡 生野銀山

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日本の近代化を支えた鉱山

807(大同2)年に発見されたと伝えられ、織田・豊臣・徳川の時代を経て、佐渡金山とともに日本の近代化を支えた大銀山。1973(昭和48)年に閉山するまでに、銀1,723トンを産出。現在は三菱マテリアルの子会社が観光坑道として公開しています。2017(平成29)年に日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」の構成文化財に認定されました。

史跡 尾去沢鉱山

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東北の生きた産業史

708(和銅元)年に発見されたと伝えられる鉱山で、1889(明治22)年から三菱の経営となり、1978(昭和53)年に閉山するまでに金4.4トン、銀155トン、銅30万トンを産出。現在は三菱マテリアルの子会社が観光坑道として公開しています。