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三菱人物伝

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志高く、思いは遠く・・・岩崎小彌太物語・・・ vol.24 貴重な遺産(最終回)志高く、思いは遠く岩崎小彌太物語vol.24 貴重な遺産(最終回)

静嘉堂所蔵

静嘉堂所蔵

この物語の主人公の岩崎小彌太は今からちょうど100年前の1900(明治33)年に英国留学に出発し、1945(昭和20)年に66歳で他界した。その生涯は20世紀の前半に当たり、戦争と経済恐慌が相次ぐ荒れた時代だった。

この間、日本はアジア最初の近代工業国家として成長した。三菱の各企業の事業は日本産業の骨格の一部を成し、重要な役割を果たした。事業は20世紀の前半には強力な権限を持つ三菱本社によって統括されたが、後半には資本的にはゆるやかな相互のつながりを保ちつつ、企業グループとして展開されてきた。

新しい世紀を迎える今、日本の企業グループは全体として変革を迫られている。六大企業集団のうち、銀行系企業集団の芙蓉、三和、第一勧銀グループは、すでに実質的に解体し、旧財閥系の三井、三菱、住友も構成企業がそれぞれ独自の経営戦略を進めつつある。企業グループの役割は大きく変わり、個別企業が経営戦略をたて、競争と合従連衡を進める時代に向かったといわれている。

では、これまでの企業グループの活動から今後も引き継がれるものは何かということが大きな問題になる。バブル経済崩壊後の混乱の中で、企業経営の在り方についていろいろな意見が出た。ある論者は、今後は社会貢献ではなく企業利益優先が大事だと言う。さらにごく最近では、利益よりも株式の時価総額のほうが重要だとまで極言する投機的な経営者まで出現して、ジャーナリズムでもてはやされている始末である。インターネットに代表される最新の情報技術を利用する情報と商品の流通は今後一層盛んになるであろう。しかしインターネットはあくまでも情報流通のための基盤と手段であって、重要なのはその上を流れる情報と知識の中身(コンテンツ)である。そして、最終的には有用なサービスと良質な製品を生み出すことなのである。

永遠の恒策、当面の実策

ここで、岩崎小彌太の経営思想を貴重な遺産として改めて見直したい。小彌太は産業家の経営目的は、第一に国家に対する奉仕であり、第二は利益だと繰り返し強調した。これは勃興期の日本産業を担った経営者として当然だった。21世紀の日本にこれを置き換えれば、狭い意味では社会に対する貢献、広い意味では世界に対する貢献こそが、日本企業の経営者の目的となる。この時、経営者はフェアに「光明正大」に行動することが求められる。これも小彌太が三綱領に掲げた理念だった。

小彌太は亡くなる直前の社長辞任の告辞で、「永遠の恒策と当面の実策」を一致させるよう努力したと言っている。それは、長期的経営戦略の上に短期的事業戦術を展開することにほかならない。ギャンブル的投機商法にのめり込むな、との批判はここから出ていた。この経営思想は三菱グループの各社にとって貴重な精神的資産である。

敗戦直後、小彌太はこう書いた。「今後は従来の様な生優しき態度にては不十分かと思われます。研究の徹底、生産技術の向上、経営の能率至上方針、これこそ真に今後徹底実行せざるべからざる処と考えます」(1945年8月25日付け、三菱電機会長宮崎駒吉宛て手紙)

55年前のこの言葉は今読んでも意味が深い。小彌太はまた、生産者と消費者に対する会社としての責任を果たすべきだという信念を持っていた。ただ、この時代には消費者のニーズを最優先するという考え方はまだ前面には出ていなかった。この視点を加えて、小彌太の経営理念を再評価したい。2000年はちょうど 1870年の三菱創業から130年目にあたる記念すべき年なのである。(おわり)

文・宮川 隆泰

三菱広報委員会発行「マンスリーみつびし」2000年4月号掲載。本文中の名称等は掲載当時のもの。

vol.23 最期の日vol.24 貴重な遺産(最終回)

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