貧しい家
所在地:高知県安芸市井ノ口一之宮
井ノ口村
父・彌次郎
岩崎彌次郎(1808-1873)
母・美和
岩崎美和(1814-1900)
手記
岩崎美和(1814-1900)
美和の手記『美福院手記纂要』は、三菱の三代目社長であり、孫の久彌によって編纂された。三菱経済研究所
によって出版された。
喜勢
岩崎喜勢(1845-1923)
高芝玄馬の次女。
開成館長崎商会

長崎市西浜町には海援隊発祥の地と刻まれた「土佐商会跡」の石碑が残る。(「土佐商会」は通称)
グラバー
三菱製紙
後に、三代目社長であり彌太郎の長男・久彌が合資会社神戸製紙所を設立し洋紙の抄造および販売を開始する。
日記
開成館大阪出張所
英語の修得を奨励
彌太郎は大阪藩邸で英語教師トーマス・ヘリヤーを雇用した他、英語塾を開き、米国人教師へースを招聘するなどして英語教育に尽力した。この英語塾では、弟・彌之助、豊川良平、川田龍吉等が学んだ。写真は、当時英語学習の教材として使用されていた「英語箋」。豊川家より寄贈され、現在は三菱史料館
に所蔵されている。
天水桶
天水桶
鰹座橋
鰹座橋の名は土佐の鰹節の市が立ったところからきている。
土佐藩の借金を肩代わり返済
そのときの契約書「土佐藩大阪藩邸蔵屋敷沽券」。
(三菱史料館所蔵
)
土佐稲荷
土佐稲荷神社
所在地:大阪府大阪市西区北堀江
養和会誌
「養和会誌」の紀行文では、当時の西長堀付近を「鰹座橋に近く古ぼけた倉庫が二、三棟建っている。倉庫の壁には「三菱」のマークが記してあり、ここが我社発祥地なりと語るが如くである」と描写している。
(三菱史料館所蔵
)
「岩崎舊邸(きゅうてい)阯」と刻まれた石碑
土佐稲荷神社に隣接する大阪長堀邸の跡地には、石碑「岩崎家舊邸阯」(岩崎家旧邸跡)が建てられた。現在は土佐稲荷神社の境内に移設されている。
三菱商会
当時の金銭元払牒。裏表紙に「三菱商会廻漕店」と書かれている。
(三菱史料館所蔵
)
おかめの面
実物が三菱東京UFJ銀行の本店に保管されている。
滞坂日記
やがて今日の60度に
手紙
彌太郎が彌之助に宛てた手紙の写し。毛筆で「
」が書かれている。
(三菱史料館所蔵
)
第一命令書
第一命令書
駅逓頭(えきていのかみ)前島密
東京に進出
おかめの面
実物が三菱東京UFJ銀行の本店に保管されている。
荘田平五郎
後に三菱の第二代社長岩崎彌之輔に丸の内の土地を買い取るよう進言したのは荘田平五郎だった。その意味では日本屈指のオフィス街、「丸の内」の生みの親ともいえる。
三菱の会社規則
三菱汽船会社規則
会社の利益・損益ともに社長の一身に帰し、利益が大きいときは月給を上げることもあるが、損益が大きいときは月給を減らすこともある、などあくまで社長主体の会社体裁が規定されている。
(三菱史料館所蔵
)
三菱商業学校
軍事輸送
(左)「東海丸徴されて西南征討軍用船となる」明治10年2月15日
政府へと徴用された東海丸は約2ヶ月にわたり品川、横浜、神戸への軍事輸送に従事した。
(右)「官命あり、上海航船西京丸特に解纜の期を早め兵を載せて西航す」明治10年2月19日
急な命令により、出航を1日早めたり停泊の時間を短縮するなど当時の慌しい様子が記されている。
(三菱史料館所蔵
)
屋敷を三つ購入
旧岩崎邸庭園
所在地:東京都台東区池之端
清澄庭園
岩崎家深川別邸は1923年の関東大震災の際に避難場所として開放され、多数の人命を救った。翌1924年、久彌によって東京市に寄贈され、1932年に清澄庭園として開園。
所在地:東京都江東区清澄
公会式目
明治初期に定められた「公会式目」は現在の飲酒マナーにも通じる。
一、毎年春秋の両季を以て 酒を親睦園に置き 社員を会するものは 平生の労を慰し 同社の親睦を結ばしめんと欲するなり。互いに礼譲を守り 務めて和楽を主とし 人に敬を失する勿(なか)れ。自ら咎(とが)を招く勿れ。
一、酒を置くは歓を尽すに止り専ら倹素を要す、二汁五菜に過ぐべからず。
一、歌伎(芸者)を招くは酒を行らしむるに止る。猥芸の具とする勿れ。放歌狂吟 人の歓を破る勿れ。
一、飲酒は量りなし。各其量を尽すを以て度となし、人に酒を強する 乱に及ぶ勿れ。
一、集散は時を以てし 時に後(おく)れて会し 時に後れて散ずる勿れ。
右之条 我社 公会式目として社員に示すもの也
明治十三年四月 岩崎彌太郎
六義園
吉岡銅山
母・美和
岩崎美和(1814-1900)
彌太郎の手紙
彌太郎の手紙
実物が三菱史料館
に所蔵されている。
彌太郎の妻・喜勢
岩崎喜勢(1845-1923)
高芝玄馬の次女。
美福院手記纂要
『美福院手記纂要』
三菱経済研究所
によって出版された。
第一命令書
第三命令書
第三命令書
第一命令書、第二命令書を訂正する第三命令書が交付された。海上運送に専念し、商品の売買を行ってはならない、払い下げ代金を全納するまでは船を質入、売却してはならない、修繕の際は予め政府に届け出なければならないなど、監督の強化が伺える。
(三菱史料館所蔵
)
渋沢栄一
渋沢栄一(1840-1931)
第一国立銀行、王子製紙、日本郵船、東京証券取引所など、多種多様の企業の設立・経営に関わった。
日本郵船が発足
「吾社海運事業を閉ち事業を日本郵船会社に移す」明治18年9月30日
写真は、会社設立の上申書に対する西郷従道農商務卿の許可証。西郷従道農商務卿は共同運輸会社と三菱の間に入り協定を結ばせるなど、両者の泥沼の戦いの仲裁に尽力。
(三菱史料館所蔵
)
茅町本邸
所在地:東京都台東区池之端
川田(小一郎)

