三菱広報委員会

三菱広報委員会設立50周年に寄せて

木佐 三菱広報委員会が設立50周年を迎えました。今、どのようなお気持ちでいらっしゃいますか。
小島 三菱広報委員会が設立されたのが1964年、私が社会人になったのが1965年ということで、広報委員会とまさに同じ時代を「三菱」で歩んだということに、まずは深い感慨を覚えます。
木佐 1964年といえば、1回目の東京オリンピックが開催された年ですよね。
小島 東海道新幹線や首都高速道路が開通した年でもあります。インフラ整備が一気に進み、高度経済成長が加速しました。日本が一番元気だった時期といえるでしょう。その年にグループ37社(当時)が一致協力して三菱広報委員会を立ち上げました。設立の目的は、グループとしての広報活動を通して会員会社相互の交流と啓発に資するとともに三菱系企業と三菱グループ全体のイメージを高め、社会に貢献することでした。それから50年、日本をさまざまな苦難が襲い、グループ各社もそれぞれ苦闘し変遷してきましたが、今も力を合わせて当初の目的を継続している。これは実に素晴らしいことだと思います。現在、三菱広報委員会にはグループ企業39社が委員として名を連ねています。
木佐 『マンスリーみつびし』の創刊はいつだったのですか。
小島 広報委員会設立の翌年に創刊されています。これまで一度の休刊もなく、グループ広報・情報誌として親しまれ、現在では40万部を発行するにいたっています。 私自身『マンスリーみつびし』を愛読しており、特にグループ会社の社長インタビューや各グループ企業の活動の様子などは毎号、興味深く読んでいます。これまで本誌が継続して発行してこられたのも、諸先輩方のご尽力と読者の皆さまのご協力の賜物です。この場をお借りして、あらためて感謝と敬意を表したいと思います。
木佐 『マンスリーみつびし』の発行以外に三菱広報委員会はどのような活動をされているのですか。
小島 いろいろな活動がありますが、『三菱アジア子ども絵日記フェスタ』も三菱広報委員会の大きな柱の事業です。日本固有の文化である絵日記をアジアの子どもたちに描いてもらうことで互いの生活や文化への理解を深めてもらおうと企画された事業で、日本ユネスコ協会連盟などの協力を得て1990年にスタートしました。これまでに11期開催し、日本を含むアジア24の国と地域の子どもたち、累計約63万人から応募をいただいています。
木佐 壮大なスケールですね。
小島 私も昨年夏に行われた表彰式に出席し、実際に賞を受賞した子どもたちと会う機会を得ました。生き生きと描かれた、その国その国の特徴が出ている絵日記はどれも素晴らしいものでした。実際に、入賞した子どもたちに日本に来てもらい、日本を見てもらう。この企画は大変有意義なものだと感じています。世界の将来を担うのは子どもたちです。グローバル化がますます進む時代にあって、幼い頃から外国の人々と交流するという経験は、必ずや貴重なものになるでしょう。
木佐 国際交流が非常に重要だということですね。
小島 私は仕事柄、海外に出ることが多く、日本を外から客観的に見る機会に恵まれています。その中で、最近感じるのは国際社会の中における日本の存在感が、以前と比べ、かなり低下しているということです。これは日本の中だけにいると、なかなか実感が湧き

ませんが、外国へ出るとそれを強く感じると同時に危機感を覚えます。日本は少子高齢化、環境問題、地域間格差、社会保障・年金財政の悪化、医療・介護、エネルギー供給問題など、多くの課題を抱えています。課題先進国として日本はこれらをひとつずつ克服することを世界から求められており、結果を出すことで日本の存在感が増すものと考えています。
木佐 三菱グループとしても結果を出す必要があると。
小島 というより、三菱グループが「新しい日本を自分たちで作っていくんだ」というくらいの気概を持って、これからのグローバル社会に打って出ていく姿勢が、世の中からこれまで以上に求められているのではないかと思います。それを達成するひとつのチャンスが2020年に開催が決まった東京オリンピック・パラリンピックです。これは日本にとって大きなプラスとなります。

ホーム バック