三菱広報委員会

協力/三菱史料館

   国内住宅のガラスを変えた男がいる。AGC旭硝子の武田雅宏だ。入社は1982年。関西工場総務部、社長室広報課を経て、87年に仙台支店建材販売課に移り、ガラスの営業を担当することになった。
「担当は住宅用の複層ガラス。2枚のガラスの間に乾燥した空気(内側で結露しないため)を入れ、冬の断熱効果があるガラスだった。いずれ世に出る商品と直感した。ただ、当時はまだまだ1枚ガラスが主流。東北6県を走り回ったが、あまり成果は得られなかった」
   91年、大阪支店に異動。翌年、同社は大阪建材を設立する。それまで、特約店を通じて販売していたガラスを、直販の会社を設立して、大口ユーザーである住宅メーカーに直接販売する手法をとったのだ。武田は、その大阪建材に配属される。
「担当した住宅メーカーのひとつがX社。ほぼ他社のガラスを採用していて、入り込む余地はなかった。一方、当社の複層ガラスは細々と生産しながらも、高機能ガラスへと進化。ガラスに特殊金属膜をコーティングする(商品名・サンバランス)ことで、冬の遮熱に加え、夏の断熱効果を向上させていた」
   そんな中、転機が訪れる。


当時、営業で全国を飛び回っていた
武田雅宏

使えばよさが分かるという信念で

   96年、X社が若い夫婦、いわゆるニューファミリー向けに、新しい住宅モデルを発表。2階建ての吹き抜けにした安価な住宅だった。
「吹き抜けにすれば、ガラスの面積が大きくなる。今までの1枚ガラスではエアコンを相当効かさないと夏は暑く、冬は寒い。そこで、当社のサンバランスこそ有効ではないか。だが、X社内では採用に頭を悩ませていた」
ネックのひとつは、価格。サンバランスは当時の1枚ガラスの価格の約20倍。武田とX社の資材部長との交渉が始まった。
「コーティングには何を使う、複層ガラスの寿命は、などさまざまな質問を投げかけてくる。3日と空けず答えを用意して会う。それを3カ月ほど続け、ひたすら説明に徹した」
   そのかいあって採用されたものの、月に売れて100棟分。武田に達成感はない。ところが、当のX社が援軍を買って出る。
「低価格の住宅に使うぐらいなら、自社の高級な住宅に使ってもいいのではないかと。これを機に一気に納入量が増えていった」
   順風のようで、武田は思わぬところからバッシングを受けていた。自社の技術者たちからは“安売り王”と呼ばれていたのだ。
「苦労して作ったのに、納入価格が安過ぎると。批判は甘んじて受けた。まずは世間に知ってもらうこと。そして、製品のよさを体感してもらえば、需要は伸び、大量生産につながり、製造コストも抑えられるはずだと」
   今、AGC旭硝子の新築住宅用ガラスの7割がサンバランスとなっている。(敬称略)