三菱広報委員会

協力/三菱史料館

   1914年、全国各支店・事業所の倶楽部を統一して「三菱倶楽部」を設立。翌年、東京・巣鴨に運動場などを建設し、16年には三菱第四代社長・岩崎小彌太が三菱倶楽部会長 に就任。40年には「三菱倶楽部」を改組し、「財団法人三菱養和会」となった。
   69年の三菱創業百年記念事業の一環として、巣鴨にスポーツ施設を建設するプロジェクトチームが発足。運営企画メンバーのひとりとして、森健兒(けんじ)に声が掛かる。
「当時の三菱養和会理事・沖さんからの指名だった。記念事業として何がふさわしいか。成人病センターや病院など、さまざま案が浮上した中、最終的にスポーツクラブ建設に落ち着いた段階で、呼ばれたのだと思う」
   森は60年に三菱重工業に入社。サッカー部では右ハーフバックとして活躍。引退後はコーチ兼マネジャーを務めていた。
「どういうスポーツ施設にすればいいのか。私の脳裏には、鮮明に残っている風景があった。ヨーロッパなど各地を訪れた際の広大な緑の芝生、木立に囲まれたサッカー場などの施設。地域の人々が気軽に利用でき、スポーツが日常に溶け込んでいる。そこを目指して素晴らしい施設を造ればいいのではないかと考えた」
   当時、巣鴨のグラウンドでは風が吹くと土ぼこりが舞い、近隣の学校や住民から苦情が絶えなかったという。


巣鴨スポーツセンター本館。50mプール、 体育館、
トレーニングルームなどがある


社員と地域住民の一体化

   人工芝で土ぼこり解消のメドは立った。だが、地域の人も利用できるようにする点については、三菱グループ内から意見が出た。
「三菱の施設なら社員が独占的に利用するのは当たり前という人が大半だった。一方で、近隣には住宅も学校もあり、地域の人たちも利用したいという潜在的な気持ちを察して、社員と地域住民が一体となって利用してもらうことに固執した」
   森は、会員制を導入することで解決可能と考え、絶妙のプログラミングを作成する。
「まず、ウイークデーの夜と土日祝日は三菱社員のスポーツクラブ時間帯として使う。ウイークデーの午後はスポーツスクールとして地域の方々に使ってもらう。特に子どもたちを中心に各種のスクールを開催して、専門のコーチを付ける。子どもが好き勝手に遊んでいるだけではスポーツ振興にならないから。さらに、ウイークデーの午前中は地元豊島区教育委員会に提供して、地域の学校体育などに役立ててもらう」
   こうした経緯を経て、75年に巣鴨スポーツセンターが完成。同年に開設したスポーツスクールは現在ジュニア約5000人、成人約800人の会員が所属。三菱社員や家族、周辺地域の方々などスポーツクラブ会員も約6000人に上る。(敬称略)