三菱広報委員会

協力/三菱史料館

   2011年3月11日午後2時46分、東北地方で未曽有の地震が発生。東日本大震災である。その時、アストモスエネルギーの東北支店に勤務する倉持大輔は山形に出張していた。
「足元がすくわれるような揺れが続いた。車で仙台へ向かうも高速道路は通行止め。やむなく一般道を走った。帰宅したのは午後9時頃。家族の無事を確かめた」(倉持)
   一方、東京のLPガス受注センターで勤務中の大野稔明は、地震発生後に仙台基地に電話するも、全くつながらない。 「テレビは津波が押し寄せることも報じていた。気掛かりで仕方なかったが、全国各地のLPガスの基地に出荷量を知らせなければならない時間帯。業務を黙々とこなすほかなかった」(大野)
   同社は、その日のうちに対策本部を設置。翌12日に車をチャーターし、数名を仙台に送る。14日には現地でも対策本部がつくられた。そして、同社の被災状況が徐々に明らかになる。仙台基地、東北と関東を含め42カ所に及ぶ充填所やLPガススタンドの被災など、LPガスの供給は危機的だった。


震災後に復活したLPガスローリー

大元にLPガスを供給

   大野は被災を免れた青森や新潟の基地にタンクローリーを手配する。
「東北地方の総ローリーは67台。2割ほどが動けない状態だった。足りない分は九州や関東から運転手付きで手配。ただ、1回の移動距離が長くピストン輸送ができないため、なかなか供給が追いつかない」(大野)
   一方の倉持は、優先順位を見極め、緊急性の高いお客さまへ手配したローリーを向かわせた。
「一部の都市ガス会社では原料にLPガスを使用しており、その大元に、まずは集中的に供給しなければ都市機能がマヒする。また、交通手段が途絶える中で救援者・市民の足としてタクシーが注目された。LPガスを燃料とするタクシーが長蛇の列をなしたLPガススタンドにも優先的に供給した。さらに、特約店さまが病院や避難所となった学校へLPガスを優先的に供給し、業界を挙げてサプライチェーンをつないだ」(倉持)
 東北地方全体のLPガスの需要に、ようやく供給が追いついたのは、ゴールデンウイーク明けのことだった。一方この間、グループ会社より延べ144名の社員を東北各地に送り込み、お客さま宅のLPガス設備の安全点検にも全力を挙げている。
「震災後の緊急事態には他社のLPガス基地にも協力してもらった」(大野)
「津波で流出したLPガスボンベは約14万本。地域のLPガス事業者が協力して回収。また、災害復旧にはLPガスが役立つことから、全国各地の市町村とLPガス事業者が協定を結ぶ事例が相次いでいる」(倉持)(敬称略)