三菱広報委員会

協力/三菱史料館

   三菱連続製銅プロセスのスペシャリストがいる。三菱マテリアルの山城明義だ。1963年、瀬戸内海にある直島製錬所に入社。熔錬課に所属し、銅製錬の技術を身に付ける傍ら、製銅プロセスの勉学に励み、27歳の時に係員の試験に合格。連続製銅課に配属される。
「三菱連続製銅法は、S炉(熔錬炉)、CL炉(分離錬゚(れんかん)炉)、C炉(製銅炉)の各炉間を樋(とい)で連結し、連続的に粗銅を生産するという画期的なもの。各樋は蓋ふたで覆われているため、亜硫酸ガスの漏煙が防止でき無公害。また、設備自体がコンパクトにできるうえ、連続式の操業になったことにより、省エネルギー、低コストが可能になった」
   この連続製銅法により、粗銅の生産量は月産4000tから8000tになる。一方で、従来方式は反射炉、複数の転炉を使い、こちらは月産8000t。合計1万6000tが直島製錬所の毎月の生産量だった。そして、89年。一大プロジェクトが動き出す。月産1万7000tの新型の三菱連続製銅プロセスを完成すべく、新連続製銅建設室が発足。山城が呼ばれた。
「プロジェクトに設計の段階から参加できるなど、技術者冥利に尽きる。通常、完成に3〜4年かかるが、1年半で完工の、設計と建設を同時並行でやる過酷な工程だった」
   約束通り、91年5月に新型の三菱連続製銅法による操業がスタート。だが、待ち受けていたのは予想外のトラブルだった。


技術輸出したインドのHindalco Birla Copper社の
社員に囲まれて。前列左が、山城

トラブルが技術者を育てる

「規模を2倍にしたことで、各炉に流入する熔体量も倍になる。ランス(パイプ)からの送風負荷は増し、湯面は波立ち、激しい熔体スプラッシュが飛び交う。レンガと冷却用のジャケットで組まれている各炉の内壁が損傷。また、熱を吸収するボイラーが、ダストで閉塞。その度に稼働を止め、内壁の修理や冷却装置の洗い直し。S炉が故障したら、残してあった転炉や精製炉を使うなど、とにかく急場しのぎの綱渡り状態が半年以上続いた」
   山城は設計から携わったからには、あきらめるわけにはいかない。何度も改良を重ねる。まともに稼働し始めたのは1年後のこと。修理と改良の成果が上がり、数年後には、直島製錬所の生産量は月産2万tに達する。
「設計にミスはなくとも実際に稼働させれば、数々のトラブルに見舞われる。だが、そのトラブルが次の設計に生きる。ブラッシュアップもできる。技術は常に進化し、トラブルが新たなテーマを与えてくれる」
   94年、山城は東京にある国際銅製錬所建設本部に異動。同社が新型の連続製銅法を海外展開するメンバーに抜擢されたのだ。以後、山城は韓国、インドネシア、インドで建設された製錬所に初期段階から赴任、リーダーとして深く関わることになる。(敬称略)