三菱広報委員会

協力/三菱史料館

   1989年、小林恭は三菱オートクレジット・リース(現・三菱オートリース)に入社。
「当時、営業車をクレジットだけでなくリースしても使用できるということが、ようやく認知され始めた頃。ただ、トラック業界は遅れていたのが実状。しかし、単価の高いトラックこそ、リースの需要が高いのではと思い、営業がやりたくて入社した」
   意に反して、配属されたのは人事部。そこで約8年間、仕事に邁進しつつも、希望は持ち続けていた。念願かなったのは、97年10月。名古屋支店の営業部に異動する。
「担当エリアは岐阜県と名古屋市の一部。担当エリアにある当時の三菱ふそうの販売会社を中心に営業を開始。いわゆる販社営業。もともと、ふそうトラックを使用している顧客を回り、買い替え時や新規購入に際し、リースを勧める。リースにすれば経費として扱える利点、さらに数百万から1000万円以上するトラックの購入代金を一括払いする必要もないことを説明。営業は順調だった」
   赴任から半年後、事態は暗転する。販売会社のひとつから、紹介案件がピタリと止まったのだ。つまり、小林には顧客の紹介をせず、他のリース会社に任せると。
「予兆はあった。リースに際し、銀行でいえば融資の際の与信、その顧客の経営状況や支払い能力を調査する必要がある。それには、どんなに急いでも数日かかる。販売会社の所長には、リースは大丈夫と言っておきながら、調査の結果、無理と出る。まさに、所長と顧客の板ばさみ状態。所長からは、どうなっているのだと。気まずい関係が続いていた」


当時の気心が知れた同僚たちとのバーベキュー

   いったん失墜した信用を取り戻すのは容易ではない。小林は、営業のあり方を根本から見直さざるを得なくなった。販社営業にあぐらをかいていたのではと。

足しげく通い、情報を提供

「今までは、販売会社から情報をもらうだけだった。まるで、ご用聞きに伺っているようなもの。そうではなく、こちらからも有益な情報を提供できるのではないか。弊社がリース契約をしている車の満了時期、代替時期の予測など、提供可能なデータは少なからずある。大事なのは、双方が必要とする情報のやり取り。意味のあるコミュニケーションだろう。だから、ささいな情報であろうと、それを手土産に、足しげく通った。また、その販売会社の営業マンとも情報交換し、同業他社の情報も得、活用した」
   こうした努力が実り、半年後に再び、当の販売会社から紹介案件が届く。所長からは、今まで以上の信頼を勝ち得たという。
「今でいうところのウィン・ウィンの関係が取引には必要だったのだと思う」
   落ち込んだ売り上げは、1年後にカバーし、さらに伸ばしていった。(敬称略)