| また、1980年のオーロラビジョン1号機の誕生当時から開発に携わってきた映像情報システム部、SE統轄リーダの寺崎信夫(てらざき・のぶお)さんは指摘します。「屋外では雨風や高温・低温、海が近ければ塩害にもさらされます。こうした環境に対抗する設計思想は、一般の家電の領域にはありません」では、こうした設計思想を開発チームはどこで身につけたのでしょう。答えは長崎にありました。『オーロラビジョン』の開発にあたった三菱電機・長崎製作所は高度経済成長期、船舶の電装品で伸びました。それが1978年、第2次オイルショックで突然の受注ゼロに。新規事業を開拓する必要に迫られ、大型映像スクリーンの開発が始まったのです。「船舶の電装品は常に潮風にさらされ、北氷洋ではマイナス40度。熱帯の甲板上は80度にも達します。こうした過酷な環境にも耐える機器を設計してきた経験が、役立ったのです」
苦心の末に完成した1号機は1980年、ロサンゼルスのドジャースタジアムに納入され、表示装置を用いて選手や観客を盛り上げる華やかな演出を創造したことで、観客動員数は激増。チームのモチベーションも高まり、翌年にはワールドシリーズ優勝に大きく貢献しました。以後『オーロラビジョン(海外商品名:ダイヤモンドビジョン)』を導入したチームは続々と優勝。"勝利を呼ぶスクリーン"として国内外で人気を博し、今では多くの競技場、アリーナやビルボードなどにも導入され、なくてはならない社会的インフラに成長しました。寺崎さんは、「競馬場への導入に際しては、場外運営によるビジネス拡大やスター選手のクローズアップによって、若い女性を筆頭に新しい観客の開拓に貢献できたと思います。大型映像の集客力は必ずビジネスの役に立ちます」と信念を語ってくれました。背水の陣で開発の始まった大型映像スクリーンは今、大輪の花となって咲き誇り、三菱電機のシンボル的製品に育ちました。 |