image 三菱史紀行シリーズ
行ってみよう、見てみよう。
vol.03 長崎県・端島/高島


かつての炭坑の島に漂うノスタルジア

廃墟ブームだという。これぞ廃墟というのが端島(はしま)だろう。長崎の西南沖にある高島の、さらに南西沖に浮かんでいる。島影が軍艦に似ているので「軍艦島」とも呼ばれる。炭坑の島だった。

長崎港から「軍艦島クルーズ」が出る。マルベージャ2号。370人乗り。大波止から出航し、女神大橋をくぐり、高島を見ながら端島まで来ると、船はしばしエンジンを止めて漂う。

500m×150mの島。周囲は高さ10mの護岸堤防で囲われ、海底から掘り出されたボタで埋め立てられている。5000人の従業員や家族が住んだ高層住宅や事務所は、そっくりそのまま灰色の廃墟になって、見上げる者を威圧する。

初夏の太陽がきらきらと輝く。若者、家族連れ、おばさんたち。歓声をあげる人、ため息をつく女、黙りこくる男。人それぞれの、100分ほどの海の旅だ。

軍艦島は三菱の島。明治23年(1890)に岩崎彌之助が買い取り、高島炭坑の支坑として本格的な採炭を開始した。掘られた4本の竪坑は地下300mに達した。島への水や電気は海底を通して供給されたが、海が荒れると1週間も10日も孤立し、生鮮食料品が底をつく生活だった。1日24時間、84年間掘り続けたが、エネルギー事情の変化には抗しきれず、ついに昭和49年(1974)、操業を停止した。

以来30年余。軍艦島は、人の気配もなく、日中は明るい太陽の下で静まり返り、夜は青白い月の光にさらされていた。ところが最近、廃墟ブームや世界遺産指定への動きなどで、風向きが変わってきた。危険で上陸はできないが、こうしてクルーザーで一周することもできる。
軍艦島
遊覧船から眺める軍艦島。長崎の南西15km、高島の南西5kmにある。
軍艦島クルーズ やまさ海運(長崎港ターミナル)
TEL:095-822-5002 FAX 095-822-5243
[アクセス]
長崎港ターミナルから端島(軍艦島)を周遊。所要時間は約1時間40分(遊覧船のサイズや天候により多少の差あり)。高島までは長崎港ターミナルから高速船を利用して約35分
地図
高島町海水浴場 鉄筋コンクリート高層住宅
長崎出島ワーフ
左上・高島町海水浴場
高島港から徒歩で約10分。親水護岸、ウッドデッキ、休憩所を整備した人工海水浴場。2002年環境省選定の日本の水浴場88選に選ばれた。

左下・長崎出島ワーフ
多種多様なレストランが楽しい。
長崎市出島1の1の109 TEL:095-828-3939

右・大正5年(1916)に建てられた日本最初の鉄筋コンクリート高層住宅
高島トマトは三菱の恩返し
本坑である高島も、昭和61年に閉山、観光とフィッシングの島に変身したが、今では「高島トマト」で有名である。三菱鉱業セメント(現三菱マテリアル)が閉山にあたって島への恩返しとして起業した。原産地アンデスの条件と同じ、最小限の水と肥料で育てたトマト。水に沈むほど肉厚で糖度が高い。現在は崎永海運が長崎市から委託されて取り組んでいる。

責任者の元田矯(つよし)さんは、高島炭坑の採炭現場にいた。実家が農家だったことから白羽の矢が立ち、「お前、高島に残ってトマトを作れ」と上司に言われた。以来、トマト一筋である。土壌や肥料や日照について、研究に研究を重ねてここまで来た。

「私も72歳。高島に来て56年、問題は後継者です。トマトは生き物ですから、好きでなければダメなんですよ」

と言って、完熟トマトをほおばる。

端島も高島も長崎から。港近くに宿をとって、夜は“出島ワーフ”で食べよう。しっぽく、ステーキ、ちゃんぽん、アズユーライク。いかにも長崎だ。ウッドデッキが酔いざましにいい。対岸の夜景がきれいだ。小高いところの夜でもひときわ明るいビルは三菱重工だ。昼ならmitsubishiのマークが見えるはず…。
ビニールハウス
ビニールハウス内は、原産地アンデスと同じ気候と土壌に
高島トマト 元田矯さん
水に沈むほどズッシリと重たい高島トマト。その甘さはミカンと同じ。最も甘いものは、まるでメロンのよう 高島トマトの生みの親・元田矯さん。島の人の贈答や大阪の料亭からの注文のほか、最近はデパートにも出荷しているが、需要に供給が追いつかない。

崎永海運高島トマト事業部 
長崎市高島2707 
TEL:095-896-2296
関連三菱史 1881高島炭坑買収 1890端島炭坑買収 1974端島炭坑閉山 1986高島炭坑閉山
成田×雄太
取材旅行 道中記
プロフィール 成田誠一(なりた・せいいち)
(財)三菱経済研究所常務理事。専門は三菱史。これまで本誌に『岩崎彌太郎物語』『岩崎彌之助物語』などを連載。朝比奈雄太(あさひな・ゆうた)。フットワーク抜群のフリーランスカメラマン
海に浮かぶ廃墟となった軍艦島、今は昔…
成田
端島には昔、銭湯から映画館、パチンコ屋まであった。
雄太
台風の時は、さぞかし心細かったでしょうね。
成田
そりゃそうだろう。元は小さな岩礁の島。石炭を掘るために造られた人工の島だ。想像しただけで涙が出てくる。
雄太
炭坑閉山から約30年。ここに暮らした人たちは今どうしているんでしょうね。
成田
どうかな、みんな新しい土地で必死に生きたはずだ…。
雄太
成田さん、ボクは高島トマトで初めてトマトの味というものを知りました。
成田
高島ではヒラメの養殖もやっているんだ。炭坑の撤退に際し、地域おこしにつながればと協力したんだよ。
文・ 三菱史料館 成 田 誠 一

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