明治初期、馬の背に揺られ虱(しらみ)と戦いながら東北・北海道を4カ月旅したイザベラ・バードという英国女性がいた。紀行文には、当時の地方の状況や、初めて見る外国人女性の姿に驚く人々の様子が、克明に描写されていて実に面白い(平凡社刊『日本奥地紀行』)。北海道から戻るときは函館から三菱の貨客船兵庫丸に乗った。他に客はなく積荷はすべて異臭粉々(ふんぷん)たる肥料用のニシン。「こんな思いはもうたくさん!」と叫んで旅を終わる。これに比べれば、今日の函館への旅は快適そのものだ。函館駅前の朝市。ずらりとならぶタラバガニに圧倒される。
「だんさ〜ん、生きているのゆでますよ。東京に送ります」
イカも、ウニも、イクラも新鮮そのもの。
「昆布、ホタテの貝柱。ね、見てばかりいないで買ってよ〜」
なにせ、200軒を超える店が競っているのだから、道産子の熱気むんむんだ。
市場の中の「めしや」でイクラ・ウニ丼を頬張りながら、
「こんなに同じような店があってやっていけるんですかね」
と、おかみさんに聞く。
「戦後まもないころの名残ですよ。今ではスーパーにおされて、みんな大変。観光客がたよりです。あっ、団体さんのお着き〜」
函館は三菱とつながりが深い。明治8年(1875)に郵便汽船三菱会社が横浜からの航路を開設、西回りの大阪航路、青函航路(明治41年国鉄に移管)、北海道各地への航路も加わった。北海道の玄関・函館を三菱はずっと支えてきた。明治15年に郵便汽船三菱会社が建て42年に日本郵船が建て直した倉庫は、今は金森赤レンガ倉庫群の一画をなす観光スポットになっている。
岩崎彌太郎の右腕で後に日銀総裁にもなった川田小一郎の長男・龍吉男爵も函館がらみ。英国で造船を学び、帰国して三菱に入社、横浜船渠(のちの三菱重工横浜造船所)の社長まで務めたが、のち乞われて函館船渠の再建にあたった。かたわら近郊の七飯(ななえ)と当別に農場を持ち、英国で食べたジャガイモの味を追求して栽培に成功したのが「男爵いも」である。 |
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