image 三菱史紀行シリーズ
行ってみよう、見てみよう。
vol.08 京都・南禅寺/嵯峨野


著名人の別邸庭園に魅了されて

うかつなことに「別邸庭園」という言葉を最近まで知らなかった。京都の寺の庭はまさにジス・イズ・キョウトだが、著名人の別邸の庭もまた京都ならではのものがある。

東山山麓、南禅寺一帯には別邸庭園が多い。かつて岩崎小彌太の別邸で「巨陶庵」(ことうあん)と名づけられた庭園はその代表格。大正14年に取得した小彌太は、自ら庭に立って7代目小川治兵衛に大幅に改修させた。東山がパノラマのように広がり、琵琶湖の疎水から水を採り入れた回遊式庭園の池には、二段の滝まである。小彌太は関東大震災の後ここに仮住まいしたほか、関西に来るたびに泊まり、四季折々の庭を愛で、茶会を催した。

戦後、岩崎家は手放さざるを得なくなったが、亡き小彌太が「いつまでもこのままの庭であって欲しい」といっていたという話を茶会仲間の龍村平蔵が聞きつけて買い取った。以来「織宝苑」(しょくほうえん)と名づけ(株)龍村美術織物が所有していたが、最近第三者の手に移った。一般公開はされていない。

その南隣の「ゆうりぞうと京都」の「洛翠庭園」は、同じ7代目小川治兵衛が作ったもので、11代目が復元・改修している。明るく開放感のある癒やし系の庭だ。割烹「洛翠」(らくすい)で気軽に味わう京料理がいい。定番の創作会席、京弁当は見ても楽しい。
大河内山荘・大乗閣
大河内山荘・大乗閣 
往年の名優・大河内伝次郎が30年の月日をかけて造った山荘。庭園は6,000坪におよぶ。
京都市右京区嵯峨小倉山田渕町8
TEL:075-872-2233
地図 [アクセス]
大河内山荘までは、JR京都駅からJR嵯峨野線を利用し「嵯峨嵐山」駅で下車。所要時間約20分。竹林を抜け、山荘までは徒歩で約15分。JR京都駅から旧巨陶庵・洛翠までは、京都市営バス5番または57番を利用し約35分。「法勝寺町」下車すぐ
大河内伝次郎が情熱を注いだ名園

食後ゆったりしてから、二条通りをまっすぐに西に向かう。途中、三菱自動車の京都工場の前を通る。かつては田んぼと竹林だった太秦(うずまさ)だが、今はすっかり宅地化している。やがて嵯峨野。めざすは大河内山荘。孟宗竹が左右から迫る小路の奥にある。

「オーコーチって、なあ〜にぃ」。三人組ギャルにあっけらかんといわれては阪妻や嵐寛と競いあった銀幕の名優もかたなしだ。大河内伝次郎。「姓は丹下、名は左膳」の名セリフがいまだにおじさんたちの耳に残る。稼いだ金すべてをこの山荘の造成に注ぎ込んだという。

小倉山南面の2万平方米。背後は嵐山。母屋には寝殿造りや書院造りを採り入れた。眼下には古都が広がり、はるかに比叡山や東山三十六峰が霞む。四季を通じての赤松、春の桜、秋の紅葉。晴れて良し、霧雨で良し。雪景色はまさに無声映画の世界。

三脚にニコンのD70を乗せて、ぼお〜っと立っている白髪の人は、東京の早川さん。「別邸庭園」にはまってしまった写真誌のコンクールの常連。今日は微妙な光を追って夕方まで大河内山荘で粘る由。「お宅に帰るの、遅くなるでしょう」というと、「いいんです。待ってる人、いませんから…」。

岩崎小彌太と大河内伝次郎。ふたりに接点はないが、京都の東と西にすばらしい別邸庭園を残した。今をときめくスーパータレントやIT長者たちは、後世に何を残すのだろう。

大河内山荘・月香亭
嵯峨野の竹林 上・大河内山荘・月香亭 
京都を一望できる展望台からの眺めは出色

左・大河内山荘の北一帯にある嵯峨野の竹林。静寂の中で、濃い緑の竹が風にゆれて、ざわめく
関連三菱史 1925岩崎小彌太が京都別邸購入、巨陶庵と命名 
1944三菱重工業京都発動機製作所開設(1970三菱自動車京都製作所に) 
1948巨陶庵を龍村平蔵に譲渡、2006第三者所有に
成田×雄太
取材旅行 道中記
プロフィール 成田誠一(なりた・せいいち)
(財)三菱経済研究所常務理事。専門は三菱史。これまで本誌に『岩崎彌太郎物語』『岩崎彌之助物語』などを連載。朝比奈雄太(あさひな・ゆうた)。フットワーク抜群のフリーランスカメラマン
“丹下シャジェン”が座禅を組んだ山荘
成田
岩崎小彌太が造園に凝ったのは親譲りだ。
雄太
う〜ん、小川治兵衛も、やりにくかったでしょうね。
成田
旧巨陶庵も素晴らしいが、大河内山荘もまた傑作だな。大スター大河内伝次郎の名セリフは“シェイは丹下、名はシャジェン”と聞こえたんだよ。
雄太
あっ、九州の出身だったんですね。
成田
山荘は34歳のときに思い立って、30年の歳月かけて完成させたんだ。
雄太
撮影前日など山荘で座禅を組んでいたそうですね。
成田×雄太
文・ 三菱史料館 成 田 誠 一