現在の長寿世界一は福岡県福智町の皆川ヨ子(よね)さん。114歳。早くに夫を亡くし、炭坑の町で野菜や花の行商をしながら5人の子どもを育てたという。ヨ子さんは、「ありがと、サンキュー」が口癖だ。生活は楽ではなかっただろうが、豊かな心を持った人だ。
ヨ子さんのお客の多くは三菱の方城炭坑の人たちだった。三菱にはこの方城のほか、新入、上山田、鯰田、飯塚など、筑豊のあちこちに炭坑があり、昭和20年代には2万数千人の人たち
が働いていた。
あれからウン十年。時代は変わって現在の筑豊は静かだ。ローカル線でのんびり旅するのがいい。五木寛之の小説『青春の門 筑豊篇』の舞台は田川。「あんまり煙突が高いのでさぞやお月さん煙たかろ」の世界。石炭・歴史博物館は必見だ。てっぺんを剥ぎ取られたような香春岳(かわらだけ)の異様な形は一度見たら忘れられない。
隣の飯塚。三菱の炭坑があった。実は銘菓のふるさと。福岡みやげの双璧「ひよ子」と「千鳥饅頭」、いずれも飯塚がルーツだ。肉体労働のあと甘いものを欲する炭坑労働者向けに考案された。江戸時代の歌舞伎様式を伝える芝居小屋嘉穂劇場は昭和6年(1931)築。回り舞台に昔ながらの桟敷席だ。
筑豊の石炭は、江戸時代から「 (かわひらた)」あるいは「五平太舟(ごへいたぶね)」と呼ばれる底の浅い和船で遠賀川(おんががわ)を下り、河口から積み出されていた。明治の中ごろになると、三菱など東京資本も参画して鉄道の建設が進められ、24年に直方(のうがた)―若松間が開通した。
翌25年には近代的な石炭積出港が若松に完成し、以来若松は、エネルギー革命で石炭の役割が終わる昭和30年代後半まで、筑豊の石炭積み出港として繁栄した。安宿やいっぱい飲み屋が林立し、きっぷのよさと喧嘩早(けんかっぱや)さで鳴る港湾労働者たちの熱気でむんむんしていた。
洞海湾をまたぐ若戸大橋の傍らの「わかちく史料館」では、若松や筑豊の歴史を写真やジオラマで再現している。もともと若松港建設のために作られた若築建設は、岩崎家が地元の呼びかけに応じて有力株主になった会社だ。
近くにある古い3階建てのビルは、三菱合資会社の若松支店だった。三菱の石炭の販売を取り仕切っていた。現在は上野海運が使っているが、傍らの倉庫の外壁にはスリーダイヤのマークが残っている。
目の前は若戸渡船場の乗り場。100円で戸畑に渡る。橋の上からとはまったく異なる洞海湾の眺め。見上げれば若戸大橋の鉄骨の“底”だ。
乗り合わせたママチャリの女性に聞いてみた。
「若松や戸畑でおいしいものはありませんかね」
古賀さんと山崎さん、
「博多と違って産業の町やけんねぇ…」
と、答えに窮して顔を見合わせた。
ここは地元の人たちの世界だ。
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若戸大橋のかたわらの旧三菱合資会社若松支店ビル
大正2年(1913)に建設された。倉庫には現在もスリーダイヤのマークが残っている。若松区本町1-10-17
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右・若戸大橋
北九州工業地帯の真ん中、洞海湾にかかる橋
左・若戸渡船
庶民の足。約10分おきに地元の人や自転車を運ぶ。大人・自転車100円、子ども50円 |
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田川から見る香春岳(かわらだけ)。
3つある峰のひとつは石灰石を掘り出され山頂が削り取られてしまった |
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[アクセス]
新北九州空港から小倉駅バスセンターまでは北九州空港エアポートバス「ノンストップ便」を利用して約35分。小倉駅へはJR
山陽新幹線を、田川駅と香春駅へはJR日田彦山線を、直方駅と飯塚駅へはJR筑豊本線を利用 |
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『青春の門 筑豊篇』上下巻
五木寛之著 講談社文庫
定価・各580円(税込み)
筑豊の人々の生活が見事に描写されている名作 |
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千鳥屋飯塚本店
明治末期に、南蛮渡来のカステーラ・丸ボーロに、日本の豆あんを加味して生まれた元祖・千鳥饅頭
飯塚市本町4-21
TEL:0948・22・0831 |
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上・炭坑の設備の説明
右・巻き上げ機台座
地下に入っていた人や石炭を運び出した |
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