仙台といえば青葉城。さとう宗幸の「青葉城恋唄」のイメージに負うところ大だが、一定年齢以上の人にとっては土井晩翠作詞の「荒城の月」の方だろう。もちろん荒城とは青葉城のこと。かたわらを広瀬川が流れる。奥州の覇者伊達政宗が慶長5年(1601)に築城したが、明治に入ってから取り壊され、往時のものは石垣以外何も残っていない。そもそも天守閣は徳川家康に遠慮して最初からなかったという。
仙台の街を歩く。 なんといっても定禅寺通。 百万都市の真ん中を大きなけやき並木が貫く。 杜の都そのもの。 冬のイルミネーションが有名だ。 駅からまっすぐの青葉通もいい。 一番町あたり、 デパート藤崎が目印。 この辺はアーケード街が多く、 七夕祭りには色とりどりの吹き流しや竹飾りで華やぐ。 来年こそは来たい。
仙台が初めての人は、松島へも足を延ばそう。いわずと知れた日本三景のひとつ。松島湾に260余の島が浮かぶ。JR仙石線で30分余。松島海岸駅で降りれば瑞厳寺はすぐそこだ。さすが伊達政宗が大伽藍を完成させた臨済宗の寺、思わず身が引き締まる。うっそうとした杉木立を抜けて海岸に出る。足下に海面が見える朱塗りの「透かし橋」を渡れば五大堂。もう絵葉書の中にいる。
仙台湾の近くにキリンビールの仙台工場がある。24年前に現在地に移転したが、大正12年(1923)以来の伝統ある工場。
「関東大震災で横浜の山手工場が壊滅したときは、フル操業で東京の需要に応えました」
宮城統括支社の細目(ほそのめ)さんが説明してくれた。
湾の入り口には新日本石油精製の仙台製油所がある。昭和46年(1971)の創業。ガソリンの硫黄分を10PPM以下に抑えるなど環境に最大限配慮した設備だ。東北地方唯一の石油精製工場だそうで、そういえば仙台周辺ではENEOSのスタンドがよく目立つ。
泉パークタウンは三菱地所の壮大な開発プロジェクト。昭和44年に用地取得をスタートさせた。スポーツ公園からゴルフ場まである住環境は、まさに自然とともにある生活だ。ロイヤルパークホテルでは、毎年仙台菱友会のビアパーティーが催され、キリンビールほか各社からの食品提供もふんだんで、三菱関係者は大いに盛り上がる。
「仙台ではぜひ牛タンを…」
と細目さん。県内にチェーン展開をしている「利久」の中央通店に行ってみる。なるほど大盛況。牛タンの塩焼き+麦飯+テールスープが絶妙のコンビネーションだ。夜は「花はん」。
「みちのくらしい懐石料理で、お値段もそこそこです」
と三菱商事の佐藤さんに紹介された。お通しひとつにも心がこもっている。
「複数の仙台経験者に勧められたんですよ」
というと、
「光栄ですわ」
と若女将がにっこり。
[アクセス]
JR東北新幹線を利用して東京から約1時間半。東北道の入り口、埼玉県浦和ICから仙台宮城ICまでは327.6km。松島へはJR仙台駅からは仙石線を利用、松島海岸駅下車。快速利用で25分、普通で35分
定禅寺通
美しいけやき並木で知られる100万都市、仙台の中心地。四季折々のイベントが開催される
左右2点ともに写真提供:仙台市観光交流課
青葉通
定禅寺通、広瀬通と並ぶ、仙台市中心部の代表的な通り。ここも街路樹のけやきが美しい
松島
松島湾の内外にある大小260あまりの諸島。京都の天橋立、広島の厳島と並んで、日本三景のひとつに数えられている
キリンビール仙台工場
ブルワリーツアー(工場見学40分、試飲20 分)に、ぜひ参加してみよう。
宮城野区港2-2-1
TEL:022・259・4263(木曜定休・要予約)
仙台ロイヤルパークホテル
仙台市郊外の緑豊かな場所にある。格調高いヨーロッパ風の建築がいい。
泉区寺岡6-2-1
TEL:022・377・1111
花はん
三陸の魚介や仙台牛、地元の食材をふんだんに使った懐石料理が自慢。定禅寺通という好立地。会食や接待にもおすすめ。
青葉区国分町2-14-18定禅寺パークビルB 1
TEL:022・215・8780
利久「牛タンちょっとぜいたくなシチュー」じっくり煮込まれた厚切りの牛たんが口の中でとろける。1,365円(税込み)
岩沼市吹上2-2-36-1
TEL:0120・047910

関連三菱史
1923 キリンビール仙台工場創業
1969 三菱地所、泉パークタウン用地取得開始(1,070ha 計画人口5万人)
1971 東北石油(現新日本石油精製仙台製油所)創業開始
1974 泉パークタウン第1期販売開始


成田×雄太
●プロフィール
成田誠一(なりた・せいいち)三菱史アナリスト。これまで本誌に『岩崎彌太郎物語』『岩崎彌之助物語』などを連載。朝比奈雄太(あさひな・ゆうた)。 フットワーク抜群のフリーランスカメラマン

仙台は気になる存在

雄太

成田


雄太

成田

独眼流伊達政宗が仙台に健在であるかぎり徳川家康は安眠できなかったんでしょう?
そう、だから水戸に御三家の徳川頼房を配置、さらに江戸東北の高台には徳川四天王のひとり榊原康政を住まわせた。
榊原邸はその後どうなりましたか?
なんと、明治になって岩崎彌太郎が買い取った。長男の久彌が明治29年に洋館を建てて移り住み、現在は旧岩崎邸庭園として公開されている。

文・成 田 誠 一
  これまでの連載をホームページでご覧いただけます。
http://www.mitsubishi.com/j/history/series/『岩崎彌太郎物語』『岩崎彌之助物語』
『岩崎久彌物語』『岩崎小彌太物語』『ゆかりの人シリーズ』