「長崎の教会群とキリスト教関連遺跡」が世界遺産の暫定リスト入りした。目玉的な存在である大浦天主堂は、幕末の条約に基づいて長崎にやってきたフランス人のための教会だったが、ある日そこに隠れキリシタンが現れたことで歴史に名を残した。優美な教会建築は、隣接する旧羅典(らてん)神学校ともども貴重な文化財である。
スケジュールに余裕があるなら遠出しよう。「海があまりに碧い」外海(そとめ)の遠藤周作文学館。近くの出津(しつ)教会、ド・ロ神父遺跡なども必見のスポットだ。さらに北には平戸。長崎とともに外国への窓口として栄えた町。お寺の甍(いらか)と聖フランシスコ・ザビエル記念教会の尖塔の組み合わせがいかにも平戸的で忘れがたい。そのほか、黒島天主堂や田平天主堂などの教会建築群も、半島や島々の緑豊かな風景にぴったりおさまっている。生月(いきつき)や五島の、隠れキリシタンの歴史も興味深い。
ところで、幕末から明治にかけて“浦上四番崩れ”といわれる弾圧があった。3000人余の隠れキリシタンが捕らえられ西日本各地に配流された。明治6年に禁が解けて帰郷した彼らが、晴れて建てた教会が浦上天主堂だ。昭和20年に原爆で破壊され、廃虚を保存するか否かの大議論の末に、昭和33年に再建された。被爆マリア像が悲惨さを伝えている。
岩崎彌太郎は、幕末から維新にかけての長崎で、開成館土佐商会の責任者として外国商人を相手に武器の輸入や土佐の物産の輸出に類まれなるビジネスの才を発揮した。浜の町アーケード入り口付近に「土佐商会跡」の碑がある。小さく「海援隊発祥の地」とも書いてある。海援隊といえば伊良林の亀山社中だと思っていたが…。
長崎は三菱重工の町。湾の北西にど〜んとある。湾口南側にも大きな香焼工場があり大変な存在感だ。以前は、ボーナスが出ると風物詩としてTVニュースで紹介されていた。
造船所の源流は安政4年(1857)に幕府が日本最初の船舶修理工場として設立した長崎鎔鉄所にある。明治17年(1884)に三菱が借り受け、3年後には買い上げた。以来、一貫して船舶や発電設備などを生産してきた。造船所内の古い煉瓦の建物は史料館だ。ぜひ行ってみよう。長崎造船所の歴史が凝縮されている。
湾の南側はご存じオランダ坂や大浦天主堂、グラバー邸などの南山手地区。長崎の坂道は、晴れて楽しく、雨で味がある。丸山の花月や青柳など有名な料亭で、和・洋・中の出会いから生まれた卓袱(しっぽく)料理を試みるのもいい。最近まで長崎にいた三菱重工の矢部さんがいう。
「昔は料亭というと敷居が高かったのですが、最近は手頃なランチも楽しめますよ」 |
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大浦天主堂
「信徒発見」の場所になった天主堂。
日本最古の教会は1864年築。国宝。
長崎市南山手町5-3 TEL:095・823・2628 |
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聖フランシスコ・ザビエル
記念教会
周りは寺院に囲まれている。
平戸市鏡川町259-1
TEL:0950・22・2442 |
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遠藤周作文学館からの眺め。
外海地区の黒崎にある。沈黙の碑にある《あまりに碧い海》とは
この風景のこと。
長崎市東出津町77番地 TEL:0959・37・6011 |
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