神戸の山の手、北野町にある異人館。有名な風見鶏の館はもともとドイツ人貿易商の住まい。その隣の萌黄の館はアメリカ総領事の邸だった。うろこの家、山手八番館、ラインの館などなど、ネーミングに脈絡はないが、いかにも神戸イメージの洋館があちこちにあって楽しい。外国人は明治の初めは港付近に居住していたが、やがて山の手にも住むようになった。
新神戸駅の傍らから新神戸ロープウェーで布引ハーブ園に行こう。さまざまなハーブが四季を通して楽しませてくれる。広大な敷地だ。グラスハウスのカフェでは、ミントの入ったオリジナルサンドと紅茶のセットがお勧め。神戸の街が一望できる。夜はカップルで…。
さて、神戸といえばステーキ。小ぢんまりとした、ちょっとセレブ気分になるレストラン「みやす」へ。支配人の美安さんが
「40年間追求した味です」
と自信のほどを示す。オーダーに迷うと
「特にこだわりがなければコースメニューがいいと思いますよ」
と案内してくれた三菱商事の小泉神戸支店長が助け舟。厨房を取り仕切るのは美安さんのお父さん、創業者だ。レジにいる品のいい女性はお母さん。今晩は美安家のお客みたいなもの。満足、満足。
腹ごなしに歩いてジャズバー「ソネ」へ。日本のジャズ発祥の地神戸ならではのスポット。気軽に入れるのがいい。純粋にジャズを楽しむ。日によってはあの名ビブラフォン奏者・鍋島直昶(なおてる)さんが出演している。佐賀藩主直系の人で、何年か前に傘寿を迎えたはずだ。
江戸時代に栄えた神戸の港は、現在の神戸港のずっと西、兵庫津だった。
明治26年(1893)、三菱合資会社はさらにその西の和田岬に造船所の建設を計画した。長崎造船所に次ぐ造船所(現三菱重工業神戸造船所)を日本の中央に持つというのは発展する三菱の次なるステップだった。
造船だけではない。同じ敷地で倉庫業もやろう、銀行業務もやる、内燃機関や電気機械の工場も併設するのだ。完成したのは明治38年だった。翌年には東京倉庫(現三菱倉庫)も独占的な地位を得る。本船接岸施設や鉄道引込線の整備、船内荷役業、艀回漕業などの港湾関連業務も含む総合プロジェクトだった。
大正10年(1921)には、造船所の一部門である電機製作所が、三菱電機として分離独立。 注文電機品だけでなく、量産品を開発して経営の二本柱とすることとした。狙いをつけたのは扇風機。当時の言葉で電気扇。「熱くなる」「踊り出す」といった技術的な課題をようやく克服したころ関東大震災が起きた。翌夏は猛暑。罹災したライバルの工場はまだ立ち直れないでいた。三菱の電気扇は飛ぶように売れた。経営の第二の柱は確立し、のちの家電販売網のベースとなった。三菱電機にとって神戸は創業の地であり、ランドマークである。
風見鶏の館
1909年築。1977年のNHKの連続ドラマ『風見鶏』で一躍脚光を浴びる。
中央区北野町3-13-3   TEL:078・242・3223
カメラをズームしてよ〜く見ると、尖塔の上に立つ風見鶏を発見
萌黄の館
かつての「白い異人館」は1982年に建築当時の萌黄色に復元された。
中央区北野町3-10-11   TEL:078・222・3310
[アクセス]
萌黄の館や風見鶏の館のある北野異人館へはJR ・阪急・阪神・地下鉄三宮駅から約15分。ジャズバー「ソネ」はその道中に。布引ハーブ園へは新神戸ロープウェー・北野1丁目駅より約10分。
三菱重工業神戸造船所
創業以来、最新の技術を駆使し、多岐にわたる製品を世に送り出してきた。
兵庫区和田崎町1-1-1   TEL:078・672・2221
写真提供/三菱重工業
布引ハーブ園からの眺望
神戸の市街地などを一望できる。
中央区北野町1-4-3   TEL:078・271・1160

関連三菱史
1895 三菱合資会社神戸支店開設
1905 神戸三菱造船所新設
(現・三菱重工業株式会社)
1917 三菱造船株式会社に
1921 三菱電機株式会社独立


成田×雄太
●プロフィール
成田誠一(なりた・せいいち)三菱史アナリスト。これまで本誌に『岩崎彌太郎物語』『岩崎彌之助物語』などを連載。朝比奈雄太(あさひな・ゆうた)。 フットワーク抜群のフリーランスカメラマン

神戸と三菱グループの深〜い関係

成田
雄太
成田
雄太
成田
雄太
成田

神戸には重工、電機だけでなく三菱の工場が多い。
キリンビールもありますね。
そう。明石には新キャタピラー三菱の工場もある。
旭硝子は?
尼崎と高砂だから、神戸の東と西だね。
高砂には三菱製紙もありますよね。
そう、重工もね。

文・成 田 誠 一
  これまでの連載をホームページでご覧いただけます。
http://www.mitsubishi.com/j/history/series/『岩崎彌太郎物語』『岩崎彌之助物語』
『岩崎久彌物語』『岩崎小彌太物語』『ゆかりの人シリーズ』