桂浜の丘の上に坂本竜馬像がある。竜馬は近視の目をちょっと細めて渋い表情で太平洋のかなたを望んでいる。なかなかの男前。竜馬には何が見えるのか。
薩長同盟を実現させ、大政奉還の建白に尽力し、明治維新のレールを敷いた竜馬だが、長崎の亀山社中や海援隊での活躍が、もっとも竜馬らしかったかもしれない。「海援隊約規」に「運輸・開拓・射利・投機」をするとあるが、要は海運業であり貿易業である。
長崎時代の彌太郎の日記にはしばしば竜馬が出てくる。しかし、かたや土佐藩のガチガチの経済官僚、こなた自由の身で土佐藩に無心する立場。酒を酌み交わし互いに「おぬしできる」と思いながら、立場の違いから反発を隠さない。だがその彌太郎も、竜馬と後藤象二郎が山内容堂に呼ばれて夕顔丸で京へ上るときに、彼らを見送りながら歴史の大きな節目を感じ、「日本も変わる」と不覚にも涙を流す(「岩崎彌太郎日記」慶応3年6月9日『余不覚流涙数行…』)。竜馬はその半年後に暗殺されてしまうが、日本変革への熱き思いはこの世に残った。
政治の舞台に首を突っ込まなかった彌太郎は、その後大阪に移り、藩営事業を受け継ぐ形で九十九商会を立ち上げ、海運や貿易、鉱工業、金融と、今日の三菱の礎を築いた。それは、桂浜に立つ竜馬が、細い目ではるかに見据えていた日本の将来と大いにダブるであろう。
高知で見逃せないのは、高知城と土佐山内家宝物資料館、それに坂本竜馬記念館と自由民権記念館だろうか。
「日本三大がっかりのひとつといわれてます」
と、高知の人が苦笑いするのははりまや橋。(あと二つは、沖縄の守礼の門と札幌の時計台だとか)。ま、細かいこと言いっこなし。
高知は有田焼や九谷焼の大皿に旬のものを豪快に盛りつけた皿鉢(さわち)料理が有名だが、旬産旬消がモットーの老舗料亭“臨水”の懐石料理はさすが土佐。黒潮と大地の香りを感じさせる。
「どうせなら宿もそこにしたら…」。
高知出身の三菱樹脂OBの武内さんの勧めに従い、宿も臨水に。山内家の宝蔵跡地に建てた古風な木造3階建て。目の前に鏡川があり、柳が揺れる。
土佐は酒の国。ワインだの焼酎のお湯割りだのといったやわな世界ではない。正真正銘の辛口日本酒の世界。「土佐鶴」「司牡丹」「酔鯨」といった全国区の酒もさることながら、彌太郎の故郷の安芸市に「安芸虎」がある。その安芸虎の絶品が「えい彌っ」だ。「彌」太郎にちなんだネーミング。安芸市の山裾の清らかな水とうまい米を感じさせる純米吟醸だ。
行ってみよう、見てみよう。三菱史紀行を24回にわたって連載してきたが、締めはやはり高知だ。明治維新や自由民権運動のエネルギー。南国土佐ならではの個性ある人々。よさこい祭りの爆発的パワー。地域格差なんて吹き飛ばそう。声をあわせて「えい彌っ」。元気に、陽気に、前向きに。(完)
桂浜
土佐を代表する名勝桂浜は、高知市の南、太平洋に面した浦戸にある
坂本竜馬像
明治維新の立役者・竜馬の銅像も桂浜に立つ
[アクセス]
東京、名古屋、大阪(伊丹)、福岡から飛行機を利用して高知龍馬空港へは、それぞれ約1時間10分、約50分、約45分、約50分。空港連絡バスで高知市の中心地「はりまや橋」までの所要時間は約40分
自由民権記念館
土佐の自由民権運動は日本初の民主主義運動だった。
桟橋通4-14-3    TEL:088・831・3336

関連三菱史
1858 岩崎彌太郎、吉田東洋門下に
1866 彌太郎、開成館下役に登用
1867 岩崎彌之助、藩校到道館に入学。
彌太郎、開成館長崎商会に赴任
1871 彌太郎家族、高知に転居
1873 大阪へ転居


成田×雄太
●プロフィール
成田誠一(なりた・せいいち)三菱史アナリスト。これまで本誌に『岩崎彌太郎物語』『岩崎彌之助物語』などを連載。朝比奈雄太(あさひな・ゆうた)。 フットワーク抜群のフリーランスカメラマン

太平洋の向こうに世界を見た土佐の偉人たち

雄太
成田
雄太
成田
雄太
成田

高知出身の偉人が多いですね。
竜馬と彌太郎が異彩を放っている。
政と経ですかね。
ふたりとも世界に目を向けていた。
土佐は太平洋に…。
めいっぱい面しているからね。

文・成 田 誠 一
 
これまでの連載をホームページでご覧いただけます。
http://www.mitsubishi.com/j/history/series/『岩崎彌太郎物語』『岩崎彌之助物語』
『岩崎久彌物語』『岩崎小彌太物語』『ゆかりの人シリーズ』

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