「マンスリーみつびし」2010年4月号
三菱史点描
千年くすのき─番外編1
  これまでの「三菱史ノート・千年くすのき」では、三菱の経営史に残る出来事や岩崎四代の経営哲学を、正面から捉えて論じてきた。今回からは、それを補完するような話を「番外編」として、時系列や整合性にあまりとらわれずに紹介したいと思う。
泣くな彌太郎、国民的英雄のため
  吉川英治や山岡荘八の小説は時代小説といった。司馬遼太郎の小説は歴史小説という。ひょっとして、江戸時代までを時代小説といい、明治以降を歴史小説というのだろうか。いやいや、時代小説は作り話で、歴史小説は真実だとでもいうのだろうか。司馬の書いた小説は、『坂の上の雲』にせよ『竜馬がゆく』にせよ、史実と思っている人が多い。
  しかし、小説は小説であって、歴史的事実の記述ではない。だから主役がいて脇役がいる。英雄がいて悪役がいる。主役や英雄を引き立てるために、脇役や悪役は歴史的事実とは関係なく誇張して描かれる。それが小説というものだ。
  坂本龍馬は司馬のお陰で今や国民的英雄である。わが三菱の創業者岩崎彌太郎は、『竜馬がゆく』の中で、かわいそうに徹底して龍馬の引き立て役を演じさせられている。「弥次郎 弥太郎という評判の悪い親子がいた」で始まり「毒虫のように怖れられていた」と続く。さらに「腹がへればねずみでも引き裂いて食いつきそうな面構え」と描写されている。一体全体、司馬遼太郎という作家は岩崎彌太郎にどんな顔を想定したのだろうか。
  岩崎彌太郎と坂本龍馬の接点は、彌太郎が開成館長崎出張所(長崎の人は土佐商会と言った)に赴任した慶応3年(1867)の3月から、龍馬が京に向かった
9月(11月に暗殺される)までだ。後藤象二郎の尽力で龍馬の商船隊亀山社中が土佐藩の支援を受けることになって海援隊に衣替えしたのは4月。6月には後藤は上方に移り、彌太郎が商会の主任になる。外国商人相手の取引をするかたわら海援隊の財政の面倒も見る。
  藩の金を少しでも多く引き出そうとする龍馬と、財布の紐を締める彌太郎。ワクにはまらない男と、律儀な官僚。言い争ったことも一度や二度じゃない。ところが彌太郎の日記には酒を飲み大いに語りあったことがしばしば出てくる。「坂本来たりて酒を置く。従容(しょうよう)として心事を談じ、素心在るところを談じ候ところ、坂本手をたたきて善しと称える」
  二人はそれぞれに、自分が将来活躍する舞台は海の向こうだという夢を描いていた。
  元々鼻っ柱の強い彌太郎、土佐藩の長崎代表である。いくら龍馬が、司馬が描くように天真爛漫、傍若無人で、「頭から彌太郎を愚弄する」ことがあったとしても、彌太郎が「首をちぢめ、妙にいじけてろくな音(ね)がでない」なんてことはありえない。絶対にない。
  司馬は彌太郎を「鬼瓦」のような顔だという。ひどいよなぁ、ひどい。だけど彌太郎、すべては国民的英雄のためだ。泣くまいぞ、嘆くまいぞ。男は顔じゃない。心だよ、心。
成田誠一(なりた・せいいち)
三菱史アナリスト。「マンスリーみつびし」に連載した「岩崎彌太郎物語」「岩崎彌之助物語」「三菱史紀行」はホームページでご覧いただけます。