社会の変革期には出自よりも才覚が物を言う。下積みの人がみるみる権力の頂点に上り詰めたり、貧者が一夜で億万長者になることもある。
140年前の日本。幕末維新の血で血を洗う日々はようやく終息し、近代国家への道を歩み出した。その中で、わずか数年で日本を代表する海運会社を築き上げた男がいる。岩崎彌太郎である。
彌太郎は、土佐藩の経済官僚として幕末の長崎に赴任した。開成館長崎商会を任され、グラバーなど外国商人から武器・弾薬・艦船の類を買い付ける。藩の命運に関わる重要な仕事だ。藩益代表として他藩と折衝することや、藩船の手配なども仕事の内。海援隊の坂本竜馬の面倒も見なければならない。
先立つものは金。鰹節や樟脳など土佐の産品を売るだけでは到底賄いきれない。彌太郎は、遣り繰り算段に忙殺されながら、外国商人たちと酒を酌み交わし、日本の将来を論じる。腹を割っての話し合いは、相互信頼を醸成し、土佐藩への借款を拡大させた。
大政奉還、王政復古。後藤象二郎や板垣退助らは中央政府の要職に就き、彌太郎も長崎から大阪の藩邸に移る。開成館大阪商会は、活発化する日本の経済の中心で、貿易と海運にフル稼働した。
そうこうする間に、薩長主導の明治政府は、廃藩置県に先立ち、藩営の事業を禁止する方針を固める。これはまずい。土佐の要人たちは、故郷との往来が不自由になり、根無し草になる。
知恵者は考えた。「先手必勝だ。私営の会社を作り、海運事業を譲渡してしまおう」。新会社には、土佐阪神間の航路を維持させる。失業する藩士たちの受け皿の役目もさせよう。経営の監督は藩邸の岩崎彌太郎がいい。あいつが一番実務に詳しい。それで万全、土佐は薩長に伍していける。
かくして、明治3年(1870)閏10月18日、藩士たちの会社「九十九(つくも)商会」が設立され、開成館の海運事業と貿易が譲渡された。
船旗は、開成館時代は山内家の「三つ柏」の紋そのものを使用したが、九十九商会はその柏の葉を細長い菱形に置き換えたものにすることにした。
いかにも民間企業らしい斬新なデザインの旗が、藩から借り受けた夕顔丸のマストに翩翻(へんぽん)とひるがえった。近代日本の夜明けだ。
成田誠一(なりた・せいいち)
三菱史アナリスト。「マンスリーみつびし」に連載した「岩崎彌太郎物語」「岩崎彌之助物語」「三菱史紀行」はホームページでご覧いただけます。