三菱の金属鉱山事業は三菱第三代社長・岩崎久彌の時代に金・銀・銅の鉱山を20カ所以上有する一大事業に発展。久彌が次々に取得した鉱山や炭坑の中でも、最後の優良官営事業とされた佐渡・生野両鉱山と大阪製煉所を明治29年(1896)に一括落札したのは、後の事業発展に大きく貢献した。久彌在任中、全三菱の利益に占める鉱山・炭坑の割合は約6割、鉱山と炭坑の利益比率は7対3だった。その鉱山部門で25%の最大利益を稼ぎ出したのが生野銀山だ。
生野銀山の歴史は古い。本格的な銀鉱脈採掘が始まったのは、天文11年(1542)の山名祐豊の時代だ。信長、秀吉の時代を経て、徳川幕府が「銀山奉行」を設置。その後「生野代官」が置かれると、生野銀山は繁栄を極めた。明治元年、政府直轄鉱山となった生野銀山にフランス人技師ジャン・フランシスク・コワニェが赴任、近代化を遂行。明治22年に宮内省御料局の所管へ移され皇室財産になった後、三菱合資会社へ払い下げとなる。三菱は生野銀山に水力発電所を建設し、水車や蒸気機関のエネルギーを電力に転換、増産体制を敷いた。国内有数の大鉱山だった生野銀山はその役割を終え、昭和48年(1973)に閉山した。
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史跡 生野銀山
●兵庫県朝来市生野町小野33-5 ☎079・679・2010 (営)9:00〜17:30(季節により変動あり)。一般・大人900円、中高生600円、小学生400円、小学生未満無料。無料ガイドあり(要予約)。 【アクセス】JR姫路駅よりはまかぜ1号(直行)で約45分、または播但線、寺前駅乗り換えで1時間5〜15分。JR生野駅西口よりバス利用(約5km)、生野銀山口下車徒歩10分 |
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