三菱広報委員会

探訪〜三菱ゆかりの地〜

以下のバックナンバーの記事内容は、掲載当時の情報です。
最新の情報とは異なる場合がありますので、予めご了承ください。
2010.10 vol.1

長崎県 旧グラバー住宅(グラバー邸)

幕末の長崎に渡来し、日本の近代化に貢献したイギリス商人トーマス・グラバーが、長崎港を見下ろす南山手の丘に、グラバー邸を建設したのは文久3年(1863)のこと。当時の長崎は、新時代を夢見る幕末の志士や、西洋の学問を志す若者、外国人商人の熱気であふれていた。… 続きを読む≫

2010.11 vol.2

静岡県・伊豆長岡 三養荘

三養荘は、昭和4年(1929)、三菱三代社長の岩崎久彌の別邸として、豊かな温泉に恵まれた伊豆長岡の地に造られた。4万2000坪の広大な敷地。京都の庭師・小川治兵衛が手がけた四季の移ろいが美しい日本庭園、瀟洒(しょうしゃ)な数寄屋造(すきやづく)りの和風建築邸が素晴らしい。… 続きを読む≫

2010.12 vol.3

東京都・丸の内 三菱一号館

明治になってから丸の内一帯は司法省や陸軍省などが所有する官庁舎、兵営、練兵場などだったが、明治政府は麻布の陸軍兵舎建設を決めると、150万円の建設費捻出のため丸の内を民間に払い下げる決定を下す。… 続きを読む≫

2011.1 vol.4

高知県・安芸市 高知市

三菱の創始者・岩崎彌太郎は、天保5年(1835)、土佐の井ノ口村(現高知県安芸市井ノ口)に、地下浪人岩崎彌次郎・美和夫妻の長男として生まれた。岩崎家は甲斐武田の末裔と伝えられる郷士であったが、曾祖父の時代に困窮し没落。彌太郎が生まれた頃、彌次郎は田地を持ち農耕に従事していた。… 続きを読む≫

2011.2 vol.5

東京都・湯島 都立旧岩崎邸庭園、三菱史料館

岩崎彌太郎は、明治7年(1874)大阪から東京に移り、湯島梅園町に居を構えるが、3年後に駿河台東紅梅町の高台に移り住み、後藤象二郎の娘と結婚した弟の彌之助と隣接して暮らした。… 続きを読む≫

2011.3 vol.6

東京都・世田谷 静嘉堂文庫美術館

二子玉川に近い閑静な住宅街、岡本にある静嘉堂には、国宝7点、重要文化財83点を含む約20万冊の古典籍と6500点の東洋古美術品が収蔵されている。静嘉堂はもともと三菱第二代社長の岩崎彌之助が明治25年(1892)に駿河台邸の一角に創設したもので、和漢の典籍と古美術品を蒐集(しゅうしゅう)していた。… 続きを読む≫

2011.4 vol.7

東京都・文京区 六義園

桜やツツジの名所として有名な六義園も三菱ゆかりの地のひとつ。
五代将軍・徳川綱吉の側用人を 務めた柳沢吉保の下屋敷だった六義園は、平坦な武蔵野の一隅に池 を掘り、山を築いた、江戸屈指の「回遊式築山泉水庭園」だった。… 続きを読む≫

2011.5 vol.8

神奈川県・箱根 山のホテル

箱根・芦ノ湖畔に4万5000 坪の敷地をもつ山のホテルでは、5月になると、3000株のツツジと300株のシャクナゲが咲き誇る。かつての敷地は10万坪、三菱第四代社長・岩崎小彌太の別邸 だった。ツツジやシャクナゲは、小彌太が全国はもとより、イギリスから収集したもので、今では樹齢100年を超える花や、他では観賞できない貴重な品種もある。…
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2011.6 vol.9

神奈川県・茅ケ崎 湘南カントリークラブ

湘南カントリークラブは、東京巣鴨にあった「思齊寮」出身者が発起人の中心となり、昭和36年(1961)にオープンした三菱グループのためのゴルフ場だ。「思齊寮」とは三菱第四代社長・岩崎小彌太が若い三菱マンのために創設した独身寮で、三菱各社の若手社員が入寮し厳格な生活を共にしながら同じ釜の飯を食べていた。… 続きを読む≫

2011.7 vol.10

神奈川県・横浜 日本郵船歴史博物館、日本郵船氷川丸奈川

三菱創業者・岩崎彌太郎の急逝により、郵便汽船三菱会社二代社長に就任した弟の彌之助は、共同運輸との死闘を終息させるため、国の指導の下、両社の合併に同意、海運業を三菱から切り離した。ここに新会社、日本郵船が誕生する。… 続きを読む≫

2011.8 vol.11

岩手県・雫石町 小岩井農場

3000haの広さを有する小岩井農場は、明治24年(1891)、日本鉄道会社副社長・小野義眞、三菱第二代社長・岩崎彌之助、鉄道庁長官・井上勝が共同で創業。岩手山南麓に官有原野の払い下げを受け、3人の頭文字を取って「小岩井農場」と名づけられた。… 続きを読む≫

2011.9 vol.12

東京都・文京区 東洋文庫

東洋文庫は、三菱第三代社長の岩崎久彌が大正13年(1924)に駒込別邸の一角に設立した、国内最古にして最大、世界でも五指に数えられる東洋学の研究図書館だ。国宝5点、重要文化財7点のほか、多数の貴重書を所蔵し、現在の蔵書数は100万を超える。… 続きを読む≫

2011.10 vol.13

神奈川県・横浜市 キリンビール横浜工場

明治3年(1870)、ノルウェー出身のアメリカ人技師ウィリアム・コープランドが横浜山手にビール醸造所スプリング・バレー・ブルワリーを設立。国産ビールの販売を始めるが、明治17年に経営難に陥り、閉鎖に追い込まれる。…
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2011.11 vol.14

東京都・江東区 清澄庭園

清澄庭園は、三菱創始者・岩崎彌太郎が社員との親睦と賓客の接待の場として当初「深川親睦園」の名で創設した庭園だ。一説には豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝えられ、享保年間には幕府の老中を務めた久世大和守の下屋敷があり、この時期にある程度の庭園が築かれたとされている。… 続きを読む≫

2011.12 vol.15

東京都・千代田区丸の内 明治生命館

丸の内は大正から昭和にかけてめざましい発展を遂げた。
明治生命は、明治28年(1895)竣工の三菱第二号館に本店を置いていたが、社業の成長に伴い建物が手狭となっていた。このため、昭和3年(1928)から新社屋の建築が計画されていたが… 続きを読む≫

2012.1 vol.16

神奈川県・箱根 吉池旅館

箱根湯本の吉池旅館は1万坪におよぶ庭園を有する老舗旅館だ。その広大な敷地の中に、明治37年(1904)に建築された、三菱第二代社長・岩崎彌之助の旧箱根湯本別邸がある。
設計は京都出身の岩崎家の建築技師・清水仁三郎による。木造平屋建て・入り母屋桟瓦葺き… 続きを読む≫

2012.2 vol.17

長崎県・長崎 三菱重工長崎造船所史料館

三菱重工長崎造船所史料館は、同造船所が日本の近代化に果たした役割を後世に伝えようと、昭和60年(1985)に開設。史料館の建物は第二代所長の荘田平五郎の時代に建設されたもので、造船所の鋳物工場に併設していた木型場としてかつて使用されていた。… 続きを読む≫

2012.3 vol.18

東京都・港区 財団法人 国際文化会館

三菱第四代社長・岩崎小彌太旧鳥居坂本邸は、多度津藩藩主の京極壱岐守(いきのかみ)の江戸屋敷から明治維新後に井上馨侯爵邸となり、久邇宮邦彦王(くにのみやくによしおう)邸、赤星鉄馬邸を経て、昭和4年(1929)に小彌太の所有となる。平安神宮や円山公園など京都東山南禅寺界隈に名園を残した造園家・七代目小川治兵衛に作庭を依頼。… 続きを読む≫

2012.4 vol.19

大阪市・西区 土佐稲荷神社

土佐稲荷は、桜の名所として江戸時代の観光ガイド『攝津名所圖會(せっつめいしょずえ)大成』にも紹介されている。
当時、土佐藩邸の北側には長堀川が東西に流れており、藩は大坂蔵屋敷に国元の鰹節や材木などを運び、大坂商人を介し特産品を全国に流通させていた。… 続きを読む≫

2012.5 vol.20

兵庫県・朝来 市生野町 史跡 生野銀山

三菱の金属鉱山事業は三菱第三代社長・岩崎久彌の時代に金・銀・銅の鉱山を20カ所以上有する一大事業に発展。久彌が次々に取得した鉱山や炭坑の中でも、最後の優良官営事業とされた佐渡・生野両鉱山と大阪製煉所を明治29年(1896)に一括落札したのは、後の事業発展に大きく貢献した。久彌在任中、全三菱の利益に占める… 続きを読む≫

2012.6 vol.21

東京都・豊島区 公益財団法人 三菱養和会

大正3年(1914)、三菱合資会社副社長だった岩崎小彌太は、工場や事業所の運動クラブを統合、三菱社員の精神的修養、親睦、体育の向上を目的に、全社的な三菱倶楽部を創立した。大正4年、岩崎久彌社長所有地である現在の東京都豊島区巣鴨二丁目の1万余坪 の提供を受け… 続きを読む≫

2012.7 vol.22

長崎県・長崎市 高島・軍艦島

長崎港外の小島にある高島の炭鉱業はもともと鍋島藩が英国商人トーマス・グラバーとの合弁で開発を始めたが、グラバー商会の破綻や明治政府による外資排除などを経て、明治7年(1874)に政府を退官した後藤象二郎に払い下げられた。… 続きを読む≫

2012.8 vol.23

神奈川県・横浜市 横浜みなとみらい21

横浜は三菱と縁の深い街である。明治8年(1875)、政府は米パシフィック・メイル社が独占する航路に日本の船会社を進出させようと、岩崎彌太郎率いる三菱に上海定期航路の開設を命じる。… 続きを読む≫

2012.9 vol.24

新潟県・佐渡市 史跡 佐渡金山

佐渡は古来、金の島で知られ、12世紀には砂金が取れたという記録もある。鶴子(つるし)銀山の山師によって発見され、本格的な開発が始まったのは慶長6年(1601)。徳川幕府直轄の天領として幕府の財政を支えた佐渡には、全国各地から鉱山技術者や商人、労働者が集まり、地域色豊かな佐渡特有の文化を築いた。… 続きを読む≫

2012.10 vol.25

東京都・武蔵野市 成蹊学園、成蹊学園史料館

三菱第四代社長・岩崎小彌太は、その生涯を通して日本の文化活動を支援した。小彌太はケンブリッジ留学時代から近代日本の教育を振興する新しい理念の学校が必要であると考えていた。小彌太は、高等師範学校附属学校尋常中学科で生涯の友となる中村春二と今村 繁三と出会うが… 続きを読む≫

2012.11 vol.26

東京都・国分寺市 都立殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園

大正初期、第一次世界大戦による好景気が鉄道の延長や道路整備を促し、東京郊外に土地開発の波が押し寄せる。大正2年(1913)、三菱合資会社営業部長だった江口定條(さだえ)(後の南満州鉄道副総裁)も実業家の別荘地として開発された国分寺村に別邸を建設した。… 続きを読む≫

2012.12 vol.27

澤田美喜とエリザベス・サンダース・ホーム

澤田美喜は三菱第三代社長・岩崎久彌の長女として明治34年(1901)に茅町の岩崎家本邸(現・都立旧岩崎邸庭園)で生まれた。20歳で外交官の澤田廉三と結婚した美喜は世界各地で暮らす中で、幅広い人脈と国際感覚を磨いた。…
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2013.1 vol.28

秋田県・鹿角市 史跡 尾去沢鉱山

奈良時代に発見されたという尾去沢(おさりざわ)鉱山には、東大寺の大仏鋳造や奥州藤原氏が築いた平泉の黄金文化に貢献したなどの伝説が残る。豊臣秀吉の時代に東北諸大名の領地認定が行われ、尾去沢鉱山は盛岡南部氏の所領となる。… 続きを読む≫

2013.2 vol.29

神奈川県・箱根町強羅 強羅環翠楼

強羅環翠楼(ごうらかんすいろう)は三菱創始者・岩崎彌太郎の三男康彌の別荘だった。
東海道の要衝であった箱根の開発は明治時代になって徐々に進む。明治40年(1907)に箱根火山の噴煙地・大涌谷から強羅への引き湯が成功すると… 続きを読む≫

2013.3 最終回

北海道・北斗市 男爵資料館 - 最終回

川田龍吉(りょうきち)は安政3年(1856)、川田小一郎の長男として土佐で生まれた。父小一郎は三菱創始者・岩崎彌太郎を支え、三菱の創設と発展に多大な貢献を果たし、第3代日銀総裁を務め、貴族院勅撰議員として男爵を授けられた。… 続きを読む≫