未来を拓く一歩を支援
助成プロジェクト 成果レポート

【vol.13】アートの力で育むのは、創造的に生きていく力長谷部貴美氏/一般社団法人ELAB 理事、高橋浩子氏/一般社団法人ELAB 常務理事

一般財団法人 三菱みらい育成財団が2020年度に助成したプログラムの一つが、一般社団法人ELAB(イーラボ)の「未来を描くプログラム」です。同プログラムは、現代社会を生き抜くために必要な主体性や自己認知力、コミュニケーション能力などを「アートによる学び」を通じて育んでいく、というもの。助成を受けてさまざまな高校で実施され、これまで3年間で約200名の生徒が受講しています。ELABがこのユニークなプログラムを開発した背景をELAB理事・長谷部さんにお聞きしました。後半では、実際のプログラム実施風景を取材しました。

絵を描くことを通じて自分と他者、そして社会と向き合う力を育む

一般社団法人ELABの展開する事業は、「アートによる学び」を通じて次世代に未来を創り出す力を育んでいこうというもの。その中心となって事業を推進してきたのが、ELABの理事でアートプロデューサーの長谷部貴美さんです。長谷部さんは2001年にアーティストの谷澤邦彦さんとともに株式会社ホワイトシップを設立。そして2002年、2人は次世代の子どもたちのために、アートによる学びのプログラム「EGAKU」をスタートさせました。

「EGAKU」は次第に子どものみならず、中高生、大学生・大学院生、そして社会人へと広がり、2009年には企業向けプログラムもスタート。学校の正式な授業としても導入が進み、2022年2月時点で延べ2万1000人以上が受講した人気のプログラムです。

中高生向けの「未来を描くプログラム」は、「EGAKU」を繰り返すことによる学びを核として、生徒一人ひとりが自分らしく対話と表現を楽しみ、自己認知力やコミュニケーション力を高めることができるよう開発されたものです。高校生を対象とした「未来を描くプログラム」は、2020年に三菱みらい育成財団の3カ年助成事業として採択されています。

「高校時代は、自分について突き詰めて考えたり、他者との関係性に悩んだりしながら成長する大切な時期です。近年は社会情勢が混沌とし、経済格差や地域格差が広がるなど、高校生を取り巻く環境はますます厳しくなっています。この『未来を描くプログラム』は、そのような中でも、すべての子どもたちが自信をもち、未来に向かって創造的に生きていく力を身につけることができるよう開発したものです」

一般社団法人ELAB理事で「未来を描くプログラム」のディレクター兼講師を務めるアートプロデューサーの長谷部貴美さん。株式会社ホワイトシップでは代表取締役を務める。長谷部さんの後ろに展示されているのは谷澤邦彦さんの作品。
一般社団法人ELAB理事で「未来を描くプログラム」のディレクター兼講師を務めるアートプロデューサーの長谷部貴美さん。株式会社ホワイトシップでは代表取締役を務める。長谷部さんの後ろに展示されているのは谷澤邦彦さんの作品。

「対話」「発見」「表現」で脳に働きかける

「未来を描くプログラム」では、さまざまなテーマでの「創作」と「鑑賞」を繰り返します。授業の始まりに必ず行うのが「マインドセット」。長谷部さんはここで、「未来を描くプログラム」の目的や基本的な流れをていねいに説明します。続いて、谷澤さんの描いた作品を鑑賞し、感じたことを4〜5人のグループで話し合う「鑑賞」の時間。

「鑑賞の狙いは2つあります。1つは、違いを楽しみ、多様性を実感することです。例えば同じ作品を鑑賞しても、「風船」「魚」「ぼこぼこ」「甘い匂い」など、そこから感じることは十人十色。それぞれが感じたことを発表し合うことで『人の感覚ってこんなに違うんだ』と気づいてもらうのです。もう1つの目的は、私たちは見たいように見ている、決めつけやすいという「認知バイアス」への気づきです。人の脳には、過去の経験から物事を判断する能力が備わっていますが、それは同時に経験から物事を決めつけてしまう、見方や考え方を固定する仕組みでもあります。自分とは違う見方や考え方を知ることを通して、認知バイアスの存在に気づくことができるのです。」

「未来を描くプログラム」の授業には、美術が得意かどうかは関係なくいろいろな生徒が集まる。抽象画を描くのは初めてという生徒も多い。
「未来を描くプログラム」の授業には、美術が得意かどうかは関係なくいろいろな生徒が集まる。抽象画を描くのは初めてという生徒も多い。

「鑑賞ワーク」の次はいよいよ「創作ワーク」。創作のテーマは「大切にしていること」「歓(よろこび)」「怖(おそれ)」など、目的や状況に合わせて設定します。ポイントは、描き始める前にワークシートを使って自分の思いやイメージを言語化するプロセスがあること。言語化のステップを踏むことで、常に揺れ動く自分自身の「心」の姿や動きを捉えやすくなるといいます。

画材は、EGAKUプログラムのために開発されたオリジナルです。画用紙の大きさは15cm四方。12色のうちから1色を選び、パステルを使って指で描きます。すぐに描き始める人、なかなか描き出さない人、描き進めるうちにワークシートの内容を忘れて没頭する人……。それぞれが自分の絵と向き合うこと約40分。同じテーマでも1つとして同じものはない、個性豊かな作品が完成します。

プログラムで身につく5つの力

今回、プログラム実施風景を取材させていただいたのは武蔵野大学高等学校です。同校は、生徒の非認知スキル(意欲や協調性、創造性など測定できない個々の能力)の向上を目指して、「LAM(リベラル・アーツ・ムサシノ)」という特別な授業を展開しています。2019年度よりLAMに導入されている「未来を描くプログラム」では、高校1年生の希望者が半年間受講します。

今期の受講者は30名あまり。5人前後のグループに分かれて着席しました。目の前には、額装された自分の「歓」の絵が飾られています。この日の授業は、前回の授業で制作した自分の作品を鑑賞し、タイトルをつけることから始まりました。

1週間前に自分が描いた作品をあらためて鑑賞する。額装されたことで印象が変わったという感想も。

次は全体鑑賞の時間。作品を一列に並べてお互いに鑑賞し、コメントを付箋に書いて作品の前にどんどん貼ってゆきます。自分のグループの作品に付箋をつけ終えたら、教室内をめぐってみんなの作品を鑑賞。「歓」という共通のテーマから、これほど多彩な作品が生まれたことに圧倒されます。1つの作品に対する感想も人それぞれです。全体鑑賞を終えると生徒たちは席に戻り、作品へのコメントを読み合ったり、自分の作品に込めた思いを発表したりして、新たな視点で作品と向き合いました。

授業の最後は「リフレクションワーク」です。配布されたワークシートに、授業を通して気づいたこと、この体験を今後どのように生かしていきたいかを記入します。その内容をみんなの前で発表して、一連の授業は終了しました。作品は封筒に入れて持ち帰ります。半年間、全10回の授業が終わった後は、各自が使用したパステルもプレゼントされる予定。その画材代やプログラム運営費として三菱みらい育成財団の助成金が活用されています。

「『未来を描くプログラム』では、私たちが考える「創造的なコミュニケーション」の5つの力を伸ばすことができます。観察力、表現力、共感力、対話力、そして自己認知力です。プログラムでは自分の心と向き合い、観察し、感じたこと、考えたことを言語化するプロセスをさまざまなテーマで繰り返します。そのうえで、仲間に発表したり、意見を交換したりするので、発表力、思考力、言語化能力などが自然に身につくのです。今期のクラスで全体鑑賞をするのは今日で2回目ですが、1回目に比べて内容がより深まり、発表の仕方にも積極性や意欲の向上が見て取れます」と、講師として立つ長谷部さんは話します。

生徒たちの普段と違う表情に出会える

「未来を描くプログラム」は、年齢や立場の壁を超えてフラットに刺激しあえるという「アートによる学び」の特性があることから、担当教員も生徒とともに創作や鑑賞に参加できることが特徴です。武蔵野大学高等学校で今年度、「未来を描くプログラム」を担当している福林由芽先生もそのお一人。そこで、実際にご自身がプログラムを体験された感想や、生徒の変化などについてお聞きしました。

「もともと美術は苦手で、この授業を担当すると決まったときには戸惑いました」
しかし、そんな不安や緊張は、プログラムが進んでいくうちに徐々に解消していったと、福林先生は明るい笑顔で話します。

「先週の授業では思い通りに描けなかったと感じていたのですが、今日あらためて自分の作品を鑑賞したら、『そんな不完全な部分も含めて自分らしいのかな』と思えるようになりました。それに、同じグループの生徒が私の作品にくれた鑑賞コメントからも、今まで気づかなかった「自分らしさ」を発見できてうれしかったです」

「未来を描くプログラム」の授業では、生徒たちの普段とは違う表情に出会えることに福林先生は気づいています。

「通常の授業では問いに対する答えを聞くことはあっても、『自分の心』を表現する機会はほとんどありません。しかし、この授業では自分を表現し、他の人の考え方を聞くことも刺激となって、一人ひとりが授業のたびに成長していると感じられます」

「未来を描くプログラム」を受講している生徒の中には、自分の教室に帰ってから自分の作品を友人に見せて、あれこれ話し合う人もいるそうです。プログラムの外でも自発的に鑑賞ワークが行われているのです。

「自分が感じていることや主張を言葉で表現する力を育むことは、本校の方針の一つでもあり、私自身も深く共感するところです。生徒たちには、「未来を描くプログラム」での自分を表現する機会を上手に生かして、持っている才能を磨き、これからの社会に大きくはばたいていってほしいですね」

「未来を描くプログラム」が高校生に贈るのは、自分らしい未来を描くためのスキルとヒント。それがどう使われて、どんな未来につながるのか、大人たちはワクワクしながら見守っています。

生徒に交じって授業に参加する福林先生。「豊かな創造力をもっているなと感じたり、着眼点がユニークだったりと、一人ひとりの個性に触れられる貴重な時間となっています」。
生徒に交じって授業に参加する福林先生。「豊かな創造力をもっているなと感じたり、着眼点がユニークだったりと、一人ひとりの個性に触れられる貴重な時間となっています」。
ホワイトシップのギャラリーにて。写真右はELAB常務理事の高橋浩子さん。長谷部さんとともにワークショップの企画設計や講師を務める。
ホワイトシップのギャラリーにて。写真右はELAB常務理事の高橋浩子さん。長谷部さんとともにワークショップの企画設計や講師を務める。

プロフィール

一般社団法人ELAB

一般社団法人ELABは、 アーティストの谷澤邦彦により2011年に設立され、子ども・若者や教員を対象に、アートによる「創造的な学び」を通じて未来を創り出す力を育む事業を展開しています。事業の核となるのは、2002年に開発された創造的な学びのメソッド「EGAKU」。子どもから社会人まで延べ22,000名以上が受講、15校あまりの学校・大学等で授業として採用されています。(※社会人・企業向けは、ELABの母体組織である株式会社ホワイトシップが推進)

取材を終えて…

このEGAKUプログラムは、『芸術作品を鑑賞する。自らが描く。そして「描いた作品」に対して他者とコミュニケートしながら多様性を実感する』 というステップを通して、人生で最も多感な10代に自分の心と向き合い、自分がもつ可能性・創造力に気づくとともに、自ら考え行動できる素地をつくるという素晴らしい内容です。芸術(アート)という切り口で、これからの社会に求められる「主体的、かつ自発的に考え、行動していかれる人材」を育んでいくELABの取り組み。微力ながら三菱みらい育成財団もその活動を支え、今後の展開を楽しみに応援していきたいと思います。