ライフスタイル企画

2023.10.05

本を読めば「今」が見えてくる――BOOK REVIEW Vol.4

ほっこりする?ドキドキする?
秋の夜長に読みたい小説3冊

ビジネスの専門分野のことから教養まで、そう言えば最近手に取った本は実用書ばかり…という方も少なくないかもしれない。そんなときには、物語の世界に没頭するのもおすすめ。右脳と左脳をバランスよくほぐすのにも役立つなど、「自分とは違う人生を生きる人」の価値観やライフスタイルを疑似体験することも視野を広げてくれる。なんて難しいことは抜きにして、秋の夜長のリラックスタイムを楽しもう。

墨のゆらめき

墨のゆらめき
三浦 しをん著 新潮社(1,600円)

職場でのややドライなコミュニケーションが日々の中心になっている…という人におすすめなのがこちら。老舗ホテルで働く続力(つづき・ちから)は招待状の筆耕士、遠田薫に初めての依頼をするため、書道教室を訪れた。現れたのは紺色の作務衣を着た、いかにも美男な風貌ながらぶっきらぼうでガサツな男。子どもたちを相手に独創的な指導を行っている。ところが挨拶のために足を運んだ続は、遠田が依頼された手紙の代筆を手伝うはめに…。保守的で平穏な毎日を好む続と型破りでいて秘密めいた陰りも見せる遠田との間に、不思議な親密さが生まれていく。仕事への向き合い方も、働くスタイルも全く異なる二人が一つの仕事をするとき、阿吽の呼吸のような心地よさはなくとも、タイプが違うからこそ生まれる気づきや新鮮な科学変化があるだろう。著者は映画やアニメにもなった「舟を編む」で辞書編集者を描いた、お仕事小説の名手。仕事という大義名分がなければ出会えなかった二人であることを思えば、働くことがドラマチックに思えてくる。
また本書のもう一つの魅力は「書道」の描写。書の魅力や奥深さが描写され、読み進むうちに豊かな墨の香りが漂ってくるよう。読後、久しぶりに筆をとりたくなるかも。

禍(わざわい)

禍(わざわい)
小田 雅久仁著 新潮社(1,870円)

食事中に読んではいけない。家族団らんの片隅で読んでもいけない。臆病な人なら、ひとりの夜に読んでもいけない。あなたの体内にひたひたと禍が忍び込んで、そこから帰って来られなくなるかもしれないから。本書は小説新潮で発表されたホラーファンタジー短編集。恋人の百合子が失踪し、彼女の住むアパートを訪れた私は“隣人”と名乗る男から「耳もぐり」という信じられない秘技を聞かされる…(「耳もぐり」)。ほか、7つの物語はいずれも、ごく普通の日常生活を送っていた人がほんの小さなズレをきっかけに蟻地獄のような世界に紛れ込む。その「ズレ」の入り口は、目・耳・口・鼻・髪といった、肉体の変容。情報過多、デジタル優位で実体の薄れつつある世の中で一番信じられるはずの肉体が、自分の常識を裏切るとき、私達の思考は脆く崩れてしまうのだ。
前作「残月記」で第43回吉川英治文学新人賞と第43回SF大賞を受賞した著者の想像力は獰猛で果てしない。日常を突き抜けた世界でリフレッシュしたい人にはもってこいの一冊。また想像力のブートキャンプのように脳を刺激し、自らの五感に意識を取り戻す瞑想のような体験としても役立てられるかもしれない!

アロハ、私のママたち

アロハ、私のママたち
イ・グミ著 李 明玉訳(1,870円)

最後にご紹介するのは、ポジティブなパワーをもたらしてくれる一冊。1918年、アジアの山村で育った18歳のポドゥルは、ハワイで暮らす男性の元へ嫁ぐため、故郷を離れた。ハワイの場所も知らず、結婚相手も写真でしか知らないが、その楽園へ行けば豊かな暮らしと女性でも勉強をする機会が与えられるというのだ…。同様に一枚の写真で故郷を離れることになったホンジュとソンファとともに、長い船旅を経てその地に降り立ったが、彼女たちを待っていたのは試練の連続だった…。
1910年から1924年までの14年間実際に1,000名ほどの女性達が歩んだこの人生を三人の女性たちの姿に代えて描いたこの物語。激動の時代に、さまざまな運命のいたずらのなかでもたくましく生きる姿は、眩しく頼もしい。関西弁に翻訳された彼女たちの姿は明るくサバサバとしていて、どんな状況であっても夢や欲も捨てることなく、主張することはしっかり主張し、友を助けるために全力を尽くす姿にはブラボーと喝采を送りたくなる。シスターフッドの爽快感を味わえる作品ではあるが、男性にとっても、義理人情や友情、地域コミュニティの大切さをこの時代に改めて見いだせるだろう。

ライタープロフィール

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文/吉野 ユリ子
1972年生まれ。企画制作会社・出版社を経てフリー。書評のほか、インタビュー、ライフスタイル、ウェルネスなどをテーマに雑誌やウェブ、広告、書籍などにて編集・執筆を行う。趣味はトライアスロン、朗読、物件探し。