「あなたの三菱、世界の三菱」。長きにわたり親しまれたこのスローガンは、実は三菱広報委員会の初めての事業として、三菱グループ社員から広く募集し決定したものである。
1970年(昭和45年)9月号の「マンスリーみつびし」では、このスローガン誕生の舞台裏が次のように記録されている。
「グループの広報関連活動を、ひとつの統一されたポリシーのもとに置き、そして同時になお一層合理的に運営するために、三菱広報委員会が発足したのは、昭和39年の9月でした。
広報委の事業として、一番最初にとり上げられたのは、グループのスローガン募集だったのです。三菱化成からの提案がきっかけですが、39年11月から40年1月中旬にかけて、グループ内の全社員から標語を募集しました。
応募総数は10,239通、社員の参加意識の昂揚といった副産物まで生れ、まさに大成功だったのです」
1万通を超える応募。今から60年も前のできごとであるが、今と変わらぬ社員達の熱意には驚かされるばかりだ。
意外と身近! 「親しみやすい三菱」を再認識してほしい
しかし、この輝かしいスローガンの裏には、当時の三菱が抱えていたある課題があった。同記事は次のように言葉を続けている。
「三菱は、“どうも親しみにくい”というイメージがありますが、広報委員会のスローガンとして5年半前に“大衆とともに"との姿勢が打出されたことは注目に値することと思います」
いわゆるBtoBのビジネスが多く、生活者との距離が遠くなりがちな三菱グループ。「意外に身近なところに三菱があるのを、再認識してほしい」という願いを込め、記事ではいくつかの歴史的な実例が挙げられている。
・国産初の乗用車: 大正6(1917)年12月、神戸造船所でフィアットA型をモデルに試作を開始し、第一号が完成。
・扇風機: 明治43(1910)年にはすでに試作を完成させていた。
・家電の草分け: アイロンやストーブなども、大正時代にいち早く開発。
ほかにも昭和の身近な商品の例を挙げ、「目に見えないところで、国民生活に密接に結びついているのだが、ちょっと分りにくい、これは、基幹産業、原材料メーカーの宿命かもしれません」と語る。目立たぬ場所で社会の基盤を支え、人々の暮らしに寄り添う――。その「宿命」は三菱がずっと大切にしてきた誇りでもある。それは当時も今も変わっていないはずだ。
己を語らない時代から、積極的に伝える時代へ
さらに興味深いのは、この記事が三菱の企業風土にまで踏み込んでいる点だ。
「そして、三菱自身の“己を語らない”“自己宣伝などしない”という伝統的(?)気質のせいも“知られない三菱"に作用しているかも知れません。ちゃんとやってれば、立派な品物をつくっていれば、向うから買いにくるよ、といった気風から、いちいちしゃべりまくることはない、といった傾向になったのかもしれません」
しかし、時代は大きく変わった。かつて紙の冊子としてグループ内を繋いでいた「マンスリーみつびし」は、今ではグループ外のより多くの人々の目に触れるWebメディアへと進化を遂げている。社会に提供している価値を自らの言葉で届けていくこともまた、現代を生きる企業に求められる役割である。これからもずっと「あなたの三菱」であり続けるために。素晴らしい製品、サービス、そして未来への取り組みを、この「マンスリーみつびし」で積極的に発信していきたい。
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