トップインタビュー

2023.10.26

日本郵船

座右の銘は「心頭滅却すれば火もまた涼し」と「笑う門には福来る」

一人一人の社員にワクワクしながら働ける職場環境を提供したい

三菱関連企業のトップのお考えやお人柄をお伝えする連載『トップインタビュー』。第6回は日本郵船の曽我 貴也社長に、新入社員&海外駐在時代のエピソードや、新中期経営計画に基づくポストコロナの経営にかける思いを聞いた。

歌手の松田 聖子の大ファン。ファンクラブに入り、日本武道館で開催されるコンサートには毎年足を運んでいる。「会場で周りを見ると同世代のビジネスパーソンが多く和みます」

日本郵船 代表取締役社長
曽我 貴也(そが・たかや)

1959年、北海道生まれ。1984年に一橋大学商学部を卒業後、日本郵船に入社。名古屋支店に配属される。シンガポール、ロンドン、バンコクなどの駐在を経て自動車物流グループ長、常務経営委員(現常務執行役員)、専務執行役員、取締役・専務執行役員などを歴任。2023年4月より現職。

―――曽我社長は大学時代、茶道部に入っていらしたそうですね。

曽我大学では基礎スキーのクラブを立ち上げていたので、静かな部活もやってみたいと思ったのがきっかけです。日本の文化について深く知りたい気持ちもありました。茶道部は表千家学生茶道連盟に所属していて、在学中の4年間はずっと表千家の先生の指導を受け、卒業間近にやっと習い事十三ヶ条という初級のお免状(学割で[笑])をいただくことができました。

――茶道部に入部したことが、日本郵船への入社につながったと伺いました。

曽我茶道部の先輩が当時就職に強いと学内でも人気が高かったゼミに入っていて、「君も来ないか」と誘ってくださったんです。日本保険学会理事長や国際保険学会理事などを務められた故・木村 榮一先生の海上保険のゼミです。ゼミに入ったことで日本郵船をはじめとする海運会社について詳しく知ることができました。ゼミの同級生の多くは大手損保など金融業界に就職しました。しかし、私は少々へそ曲がりだったこともあり、目に見えないものを扱う仕事より目の前に存在する物を扱う仕事の方が自分に向いている、貿易の中枢を担う海運会社で物を運ぶ業務を通して人々の暮らしを守りたいと考えたんです。

――入社して最初に名古屋支店に配属されたのですね。その頃の話をお聞かせください。

曽我配属後間もなく、オープントップコンテナにかけるブルーシート(ターポリンシート)を港の現場から持ってきて雑巾がけをするように言われました。何に使ったかと言えば、花見です。名古屋には名城公園という桜の名所があって、毎年支店で花見会をしていたんです。当日は場所取りもしました。花見のあともボート大会やテニス大会、盆踊りといったイベントの準備に追われ、それが年末のクリスマスパーティーまで続きました。学生時代に思い描いていた社会人のイメージとはずいぶん違いましたが、今振り返れば、イベントを通して支店や取引先とのつながりが生まれ「人を知る」ことに役立ちました。自分なりに新しい環境を楽しんでもいましたね。ギターを弾くので支店の仲間とバンドを組み、クリスマスパーティーではかぐや姫やオフコースなどの曲を演奏しました。当時は独身寮住まいだったのですが、寮の和室をきれいに掃除して、支店の女性社員からお道具を借りて和菓子を買ってきて寮の人達とカジュアルな茶会を催したりもしました。

部下の命を守るため顧客に「ノー」と言ったことも

――充実した新入社員時代を過ごされたのですね。曽我社長はそのあと、シンガポールを皮切りにロンドン、バンコクで足かけ13年の駐在生活を送っていらっしゃいます。海外勤務のなかで一番印象に残っている出来事は何ですか?

曽我インパクトが強かったのはタイでの出来事ですね。タイでは2006年のクーデターでタクシン・シナワット元首相が追放されてから、農民主体のタクシン派(赤シャツ)と都市部のインテリ層を中心とする反タクシン派(黄シャツ)が対立を深めていました。2010年頃にタクシン派のデモ隊がバンコクの中心部を占拠したことがあったんです。デモ隊の一部は暴徒化し、放火や略奪を行いました。政府は武力での制圧を図り、バンコクの街中を装甲車が行き交うようになりました。勤務先のあった建物は鉄条網が張り巡らされて入れず、私が住んでいたアパートの下の通りでも銃撃戦が行われていました。外国人が攻撃されることはなかったのですが、夜間外出禁止令が出され、「21時から翌日の5時までの外出は安全を保証できない」と言われました。当時私は物流を扱う現地法人の社長を務めていて、お客さまの必要に応じて工場に部品を届けるサービスを請け負っていました。夜間操業の工場だと外出禁止の時間帯の納入を求められることもあり、これはどうしたものかと頭を抱えました。

――そのときはどんな対応をされたのですか?

曽我取引先と相談しながら、夜間を避けて朝一番で届けるとか、トラックドライバーに21時までに工場に入り翌朝5時までは工場内で休んでもらうといった対策を取りました。しかし、なかに一社だけ「夜間もいつも通りに届けてほしい」というお客さまがいました。いくらお客さまの要請とはいえ、大事なドライバーを命の危険にさらすわけにはいきません。大口のお客さまで万一契約を打ち切られたらと逡巡する気持ちはありましたが、「ノー」と言い続けました。あとで聞いた話ですが、夜間配達を続けていた同業他社ではドライバーが何人か行方不明になっていたそうです。あのとき、「イエス」と言わないで本当によかったと思います。

――厳しい決断をなさったのですね。半面、楽しかった駐在の思い出もありますよね?

曽我タイでも素晴らしい方々との出会いがあり、充実した時間を過ごすことができました。一番楽しかったのはロンドンですね。家族も帯同していたので、夏休みや冬休みにはLCCを利用して近隣諸国を旅して回りました。とくに印象的だったのはエジプトです。間近で見たピラミッドは、写真とは全然違う迫力がありました。私はお酒を飲むことや食べることが好きなので、行く先々でおいしいものを見つけるのも仕事の活力になります。下の写真はスウェーデンに出張したときのものです。スウェーデンには「ザリガニ・パーティー」といって、海で取れたザリガニと淡水のザリガニをゆでて殻をむき、マヨネーズのようなソースをつけて食べる会があります。毎年8~9月のザリガニ漁の期間にだけ行われ、大勢で集まって蒸留酒のシュナップスと一緒に楽しむのが現地流ですが、シュナップスはアルコール度数が高く、飲み過ぎると悪酔いして大変なことになります(笑)。この写真のときは取引先のパーティーに参加したのですが、日本人は私だけで、生オケで出身地の北海道の民謡「ソーラン節」を歌ったのを覚えています。

2012年にスウェーデンを訪れたときの一枚。美食や名酒との出合いも、出張の楽しみのひとつ

社会と自社の「エネルギー転換」に挑む

――「ソーラン節」、海外の方に受けそうです。曽我社長は就任の記者会見の際に座右の銘は「心頭滅却すれば火もまた涼し」だとおっしゃっていましたが、それは社長のビジネスに対する姿勢にも通じるものですか?

曽我実はこの言葉、茶道の先生からよく言われていたんです。茶釜のフタを取るとき、つまみの部分が熱を含んで「熱っ」となり、その度に先生から扇子でビシッと叩かれました(笑)。先生は「心頭滅却すれば火もまた涼し、ですよ」と涼しい顔でおっしゃるわけです。この言葉が意味するのは、「心の持ち方次第で苦痛も苦痛と感じられなくなる」ということですが、それなら最初から笑っていた方がいいだろうと思いまして、私のなかでは「心頭滅却すれば火もまた涼し」と「笑う門には福来る」がセットになっているんです。

――なるほど。座右の銘の“合わせ技”、説得力がありますね。さて、曽我社長はCFO(最高財務責任者)として新中期経営計画(新中計)策定に携わり、新中計が始動したこの4月から社長に就任されています。今の新中計への思いをお聞かせください。

曽我当社はコロナ禍のサプライチェーン分断の危機に際しても、「物流を止めない」を合言葉に全社一丸となって乗り越えてきました。
ポストコロナの今は新しい時代への過渡期と言えます。2050年カーボンニュートラルを目指すエネルギー転換の早期実現に向け、石炭からの置き換えが進む液化天然ガス(LNG)やアンモニア、水素といった新しいエネルギーの輸送体制の構築が急務となっています。なかには、電気そのものや素材としてのCO2を海上輸送してほしいというニーズもあります。こうした新エネルギーを輸送するに当たっては新しい技術や船舶を導入し、それを扱う乗組員も増やしていく必要があります。加えて、当社自身もエネルギー転換によって船舶から排出するCO2を削減していかなければなりません。
社会のためのエネルギー転換のサポートと自社のエネルギー転換。今回の新中計では、この二つを成長戦略の柱に据えています。とはいえ、この大きすぎる目標を当社だけで達成するのは非常に難しく、造船所、燃料のサプライヤー、電気事業者といったステークホルダーの皆様とうまく「共創」していけたらと考えています。
幸い、前期(2023年3月期)まで2期連続の最高益更新で、財務基盤は極めて強固です。エネルギー転換に向けた投資がしやすくなっていますし、株主還元を行う土台もできました。この4年間できっちりと計画を達成していきたいと思います。

今こそ求められている三菱三綱領の精神

――計画達成の鍵を握るのは「人」だとおっしゃっていましたね。

曽我社会は人と人がつながり合って形成されていくものです。何かをやり遂げたい、いいものを作りたいと思えば、最後は「人がすべて」ではないでしょうか。
日本郵船およびグループ会社の社員の方々の尽力があってNYKグループの今があるわけですから、社員一人一人をこれまで以上に大切にして、全員にワクワクしながら仕事をしてもらえるような環境をつくっていきたいと思います。

――曽我社長のインタビューを拝見すると、「ワクワク」という言葉がよく出てきます。仕事をするうえで、ワクワク感は大切ですか?

曽我私自身がこれまでワクワクしながら仕事をしてきたという経緯もありますが、嫌々仕事をやっているよりは、ワクワク仕事をした方が人生楽しいしアウトプットもずっとよくなります。仕事の捉え方や心持ちを変えていくことも大切ですが、私は、そもそも会社の方が一人一人の社員にワクワクしてもらえる仕事をアサインすべきだと思っています。既存のものを壊せるクラッシャー、種をまく人、育てる人、収穫する人など各々の個性を尊重し、得意な分野の仕事を楽しみながら存分に能力を発揮できるような人事制度を検討していきたいですね。

――曽我社長の下で日本郵船がどんな会社になっていくのか楽しみです。最後に、『マンスリーみつびし』の読者へのメッセージをお願いします。

曽我三菱金曜会のセミナーを受講したことがあるのですが、一般教養的な座学で三菱三綱領について改めて学び直し、頭をハンマーで打たれたような衝撃を受けました。三綱領の内容が今の世の中にぴたりと当てはまるものだったからです。岩崎小彌太さんは戦前からこんなことを考えて綱領としてまとめていたんだと思うとその先見性に愕然としました。 グローバルな視点を持ってフェアに行動しよう。そもそも企業活動の究極の目的は社会貢献なんだということを三綱領は言っている。その三綱領の精神を根底に持ちながら、三菱グループ各社は脈々と活動を続けてきたわけです。
そして今私達が生きている社会では、まさに三綱領の精神が強く求められています。だからこそ、グループ各社の従業員の方々には、自信を持って自分達が信じる道を突き進んでいただきたい。ちょっと偉そうに聞こえるかもしれないけれど、そんなことをお伝えしておきたいと思いました。
当社も今年で創業138年になりますが、企業理念に掲げる「Bringing value to life.」、世界中の人々の暮らしを海上輸送や物流で守っていくというミッションは不変です。社会に貢献し、社会から必要とされる企業としてさらに成長していきたいと思います。