トップインタビュー

2025.06.05

三菱重工業

三菱重工の“スタートアップ”で鍛えた
技術屋としての矜持と誠実さ

三菱関連企業のトップのお考えやお人柄をお伝えする連載『トップインタビュー』。第25回は三菱重工業 社長の伊藤 栄作氏に学生時代やキャリアの話、社長としての会社の目標などについて聞いた。

趣味はスポーツ・映画鑑賞など。休日はウォーキングと街の探索などをして過ごす。食事については好き嫌いなし。どちらかといえば、和食が好き。論文・レポートの類をよく読む。

三菱重工業 社長CEO
伊藤 栄作(いとう・えいさく)

1963年鳥取県生まれ。1987年東京大学工学部航空工学科卒業後、三菱重工業入社。2007年九州大学で博士(工学)。2015年技術統括本部総合研究所流体研究部長、2016年マーケティング&イノベーション本部ビジネスインテリジェンス&イノベーション部長、2018年執行役員フェロー総合研究所副所長、2020年常務執行役員CTO、2025年より現職。

――鳥取県のご出身ですが、どんな子ども時代を過ごされましたか?

伊藤鳥取県東伯郡の半農半漁の集落で生まれました。実家は農家でした。小学3年生のとき、通っていた学校が廃校になり、別の学校にバスで通うようになりました。集落に子どもが少ない分、高学年になるほど、自分が小さな子ども達を守らなければならないという意識がありました。実家は海のすぐ近く、日本海の荒波を身近に感じながら育ちました。その後、別の場所に引っ越して、近くの公立中学校に通いました。野球部に入りましたが、冬の時期は練習ができないので、吹奏楽部にも所属していました。あまり勉強はしませんでしたが、成績はよかったと思います。

4歳頃の伊藤社長。家のすぐ前の日本海の砂浜で。春はワカメを採って、夏は毎日海水浴。岩場ではモリで魚が採れ、地引網を手伝ってバケツいっぱいに魚をもらって帰ったことも。

――文武両道だったのですね。

伊藤県立倉吉東高校に入学しましたが、野球肘でボールが握れないくらい痛くて、中学の同級生に誘われて、一緒に囲碁部に入りました。渋いでしょう(笑)。ただし、ルールは知らないし、興味もありませんでした。でも、貴重な新入部員に対し、先生や先輩達が丁寧に教えてくれたこともあって、囲碁が面白くなっていきました。高校3年生のときには県の団体戦で優勝し、全国大会でベスト16まで勝ち上がりました。大学でも囲碁部に入ろうとしましたが、部のレベルが高すぎて居場所はないと感じ、それ以降、囲碁はやっていませんけどね。

――その後、東京大学工学部に進まれます。

伊藤数学や物理が好きだったこともあり大学は理系に進み、専門課程では実験で忙しくなるため、理工系学生限定の硬式野球部に入部しました。高校で碁石しか持っていないので、野球肘も完治してました(笑)。工学部では航空工学科に所属し、専門は航空原動機、いわば、飛行機のエンジンについて研究していました。先生からは大学院進学をすすめられましたが、早く設計をしたい、プロになりたいと思い、就職を選びました。

兵庫県高砂市の研究所に通算30年
一貫してガスタービンの研究開発に従事

――三菱重工に入社後、どこに配属されたのですか。

伊藤大学の同期は航空関連事業を手掛ける名古屋の製作所に行く人が多かったのですが、私はジェットエンジンと同じ構造を持つ発電用ガスタービンを担当する高砂製作所を希望しました。当時、ジェットエンジンやガスタービンについて、すべて自主開発しているのは三菱重工しかありませんでした。高砂では研究所に配属され、学生時代に読んだ学会誌の論文執筆者が、結果的に私の上司になりました。
幸いなことに仕事では、大学で勉強したことをそのまま即戦力として活用することができました。当時、ガスタービンはまだ事業規模が小さく、専門で担当しているのは30人くらい。今でいえば、スタートアップのような感じでした。研究所に振り分けられる予算も少なく、新入社員の私にまでたどり着きません。そのため、先輩の手伝いや研究とは直結しないさまざまなことなど、何でもやりました。今振り返れば、設計から実験、シミュレーションまで開発に関わるすべての分野を経験したことで、理論だけでなく実践の仕事を身体にしみ込ませることができたと思います。高砂の研究所では通算30年ほど仕事をしました。

25歳のとき、入社後に留学したMIT(マサチューセッツ工科大学)のガスタービンラボで。
ジェットエンジン用の試験装置の研究をしていました。

――研究所はどんな雰囲気だったのですか。

伊藤当時、社内ではスタートアップのような扱いだったため、チームとして情報はすべて共有されており、新入社員であっても、所長やトップクラスの技術者といった目上の方々に意見をしても何も文句を言われない。そんな雰囲気がありました。ライバルは、はるか上の欧米の大手メーカー。人も設備もお金も見劣りする分、スピードで勝負しなければならなかったのです。都度、上司に相談しなくても、自分で必要だと判断したら即動く。そのように鍛えられました。目標は世界一のガスタービンを作ること。そのためにひとりひとりが持ち場で工夫を重ねている職場でした。

――苦労した仕事で印象深い思い出はありますか。

伊藤それはもうたくさんあります。いちばんしんどいと思ったのは、上司の転属や病気などで、チームのリーダーが一時的に誰もいなくなったときです。入社3年目くらい。社内から仕事を集めて、協力会社の人達に振り分けなければならなくなりました。仕事がなければ協力会社の人達の翌月の給料は下がってしまいます。資金繰りに悩むスタートアップ企業の社長さんと同じようなプレッシャーも感じ、夜もおちおち眠れません。社内をかけずり回り、「何か仕事はないでしょうか」と頭を下げて仕事を確保しました。仕事でお金をいただくためには、期待以上の成果を出して、信頼を勝ち取らなければならないことを学びました。

――2007年には九州大学で博士号を取得されています。

伊藤上司からすすめられました。海外では大学の先生や企業と共同研究する際、博士号を持っているかどうかがとても影響するからです。そこで、週末などを利用して九州大学まで通ったり、昼休みに先生の指導を仰いだり、時間の捻出がとてもしんどかったですね。途中、仕事が忙しくて論文が停滞した時期もあります。あるとき先生から「やるのか、やらないのか、はっきりしなさい」と言われ、そこから一念発起し、結局3年で取得できました。

――2016年には畑違いのマーケティング&イノベーション本部でビジネスインテリジェンスやイノベーションを担当されることになります。

伊藤まさに青天の霹靂(笑)。初めて東京の本社勤務になりました。イノベーションについては自分の専門分野を生かせるのですが、マーケティングについては門外漢。ただ、高砂ではよく海外のマーケティング情報を集めて吟味していたので、違和感はありませんでした。それでもMBA(経営学修士)を取得している人達が持っているような知識はほとんどありません。部長なのにマーケティング用語はチンプンカンプン。ガスタービンのことは知っていても、それ以外の製品のことには詳しくありません。話を聞いても背景も競合もよく知らない。そのため、実務に携わりながら一生懸命勉強しました。そこから急速にレベルアップしていったと思います(笑)。

――その後はおもに技術畑を担当なさっています。技術開発における勘所とは何でしょうか。

伊藤私達が手掛けるさまざまな製品は、共通した技術から生まれています。だからこそ、研究開発では、なるべく共通性のある技術を開発していくことが肝要です。そのためには、5~10年くらい先、ときには20年先を見越した視点が必要になります。将来の技術を先読みしていけば、なぜ今できないのか、実現には何が足りないのかが見えてきます。将来の予測を立てて、足りないものを積み上げていくことが重要なのです。
たとえば、かつてガスタービン事業はスタートアップ的でしたが、今では非常に大きな事業に成長しています。それは先を見越して研究開発をしてきたからです。そのうえで、いかにスピードを上げて、次の準備をしておくのかが大事になってくるのです。そのスピード感をイメージにすると、たとえば、欧米のメーカーが10年かけて開発したものを、私達は2~3年遅れで始めて、5年で開発を成し遂げたことになります。

重工の技術基盤は広く
世界トップクラスの技術を有する

――すごいことですが、その分しんどそうですね。

伊藤もちろんしんどいことですが、そうしなければ世界的な競合に伍して戦うことはできません。まずはお客さまが期待していることを最優先で考え、それをもとにマクロトレンドや競合先の状況を調べたうえで、お客さまの期待や競合先のさらに上を目指していく。そのために、いつまでに何をやらなければならないのか。そうした大きな計画を全員で共有し、互いの進捗状況を確認しながら進んでいくことが欠かせないのです。
たとえば、今ならエナジートランジションやカーボンニュートラルでしょうか。世界的な状況が刻々と変化するなかで、より現実に近い解を生み出すにはどうすべきか。いちばんのポイントは経済性です。既存の設備を使いながら、ちょっと技術を足すだけで大きな変化を生み出すことができる。そんな分野がたくさんあると思っています。

――重工の強さの秘密とは何でしょうか。

伊藤表面的に見えている製品はたくさんありますが、そのベースはさまざまな技術分野で成り立っており、それぞれが世界トップクラスの技術力を有しています。いわゆる技術基盤の分野が広く、新しいことをするときも技術を組み合わせることで95%くらいは三菱重工グループのなかで準備をすることが可能なのです。そして、足りない5%は外部とオープンイノベーションを行っていく。だからこそ、早いスピードで新たな製品を生み出すことができるのです。重工の技術開発では物理現象までさかのぼって、そのなかで何が起きているのか。そこまで理解することが基本になります。それはいつも私が口酸っぱく言っていることでもあります。大学との共同研究も、頼るのではなく互いの技術力を切磋琢磨することで解を求めていくもの。大学の先生からも重工と研究すれば、最も早く実用化を実現できると言っていただいています。

――CTOも務められましたが、どんな仕事をされるのでしょうか。

伊藤社内の技術をどううまく使うか、どのようにレベルアップしていくのか。そうしたことを考えるのがCTOの仕事になります。世のなかにないものを生み出すには、その気になっていない人をその気にさせなければなりません。AIなどの新しいトレンドや技術については常に目を配っており、使えるものはどんどん採用していく姿勢でいます。
一方、今はAIやDXに注目が集まっており、重厚長大産業は大学生や株式市場からは時代遅れに見えているかもしれません。もちろん、事業を通じて私達がいかに社会貢献しているかをもっとアピールしていく必要もあります。しかし、これから誰でも使えるAI技術と重厚長大産業のどちらに希少価値が生まれるでしょうか。社会インフラには必ず三菱重工の技術が必要になります。私達の技術がいらなくなる日は来ない。そう考えています。

社員ひとりひとりが家族に
自慢できる仕事をしてほしい

――社長に就任されて、どのような展望を持っていらっしゃいますか。

伊藤現在、旺盛な注文をいただいているので、それらをきちんとお客さまに納めていくことがまずは最優先となります。そのうえで、過去最高の業績に浮かれることなく、さらにその先を見越して将来へ向けた準備を進めていきたい。既存のお客さまだけでなく、もっと多くのお客さまを引きつけられるような技術開発を行っていきたいと考えています。これからも世界へ向けて、もっと事業を大きく広げていきたいと思っています。

――最後に読者へのメッセージをお願いします。

伊藤社員ひとりひとりが家族に自慢できる仕事をたくさんやってほしいと思っています。それが結果的に大きな社会貢献につながっていくのではないか。どんな仕事であれ、ひとりひとりがそういうことを実感できるような会社にしていきたいと考えています。

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