Challenges for the Future:
助成者インタビュー

【vol.11】人と犬が “目” でコミュニケーションするようになった進化の道のりを“協調・協力”の視点から解き明かす菊水健史氏/麻布大学 獣医学部 動物応用科学科 介在動物学研究室 教授、ヒトと動物の共生科学センター長、研究推進支援本部長

犬は最も古い家畜であるといわれます。古代から狩猟で人間のお供となり、現在も牧畜の見張りや家々の番犬として、身体の不自由な人を支える介助犬や捜査に携わる警察犬として、そして人々に愛玩されるペットとして、常に人間のそばにいる伴侶動物です。にもかかわらず犬の科学的な研究は、チンパンジーに代表される類人猿と比べると大きく遅れていました。この犬と人との関わりに興味を抱き、共に進化してきた道のりに動物行動学、遺伝学の見地からアプローチしている麻布大学獣医学部動物応用科学科 介在動物学研究室 教授の菊水健史氏【写真1】にお話を伺いました。

【写真1】 愛犬ジャスミンと麻布大学キャンパスにて。菊水健史氏/麻布大学獣医学部 動物応用科学科 介在動物学研究室 教授
【写真1】 愛犬ジャスミンと麻布大学キャンパスにて。
菊水健史氏/麻布大学獣医学部 動物応用科学科 介在動物学研究室 教授

飼い犬のコミュニケーション能力に驚いて研究スタート

少年時代から故郷・鹿児島の豊かな自然の中で鳥を獲り、魚を釣って過ごしたという菊水氏。その頃から犬にも興味はあったのですが、お父様が趣味で自宅にバードケージを設置し、インコやウグイス、烏骨鶏など数多くの鳥を飼っていたことから、犬は飼わせてもらえなかったといいます。ただ、近所の親戚が犬を飼っていたので、そこの犬と遊んだり、散歩させてもらったりして親しんでいたそうです。

その菊水氏が動物行動学の道に進もうと考えたきっかけは、森で生き物たちと知恵比べしながらハンティングをするうち「鳥にばれないように罠を仕掛けているのになぜかばれてしまう、そしてばれた情報がなぜか他の鳥にも伝わっている。それが不思議で、動物の行動についてもっと知りたいと思ったからです」と話します。

犬が大好きだった菊水氏ですが、東京大学農学部獣医学科時代はヤギを、その後の米国タフツ大学留学(2000〜2001年)中はマウスやラットを研究しており、学問の上で犬との縁はなかなか生まれませんでした。それが変わる最大の転機となったのが、留学中に家族の希望で初めて家の中で犬を飼い始めたことだといいます。

「コーディー、アニータという2匹のスタンダードプードルと共に暮らし、その立ち居振る舞いを見ていると、コミュニケーション能力がとても高いことを感じました。これはいったい何だろうと思い、帰国後、犬の研究に着手することにしたのです」と菊水氏。2007年、東京大学から麻布大学に移り、犬の研究を本格的にスタート。ちなみに、麻布大学は犬に関する実験施設が充実していることに加え、飼い犬のスタンダードプードルと共に出勤することを認められたのが、移籍を決めた大きな理由でした。「犬と一緒に大学へ来られることが本当に魅力的でした」と菊水氏は振り返ります。

人間と犬は頼り合いながら生き延び、共に進化した

菊水氏が関心を抱いたのが、人と犬との関わりにより共に進化した「共進化」の道筋を解き明かすことです。動物行動学のアプローチから入った菊水氏ですが、進化の過程を知るには遺伝学も取り入れたアプローチが必須になるため、人と犬が共に暮らすことにより変わってきた遺伝的背景を調べる研究を始めました。中でも菊水氏が注目したのが「犬と人との視線のやり取りによるコミュニケーション」です。

犬は誰しもが認める、人間にとって最も身近な動物の代表で、3万年、一説には5万年もの長い時間、行動を共にしてきました。ですが、人とのつながりという観点での科学的な研究は、実はそれほど進んでいませんでした。

2002年、ドイツのマックス・プランク研究所にいたブライアン・ヘア氏(現米国デューク大学教授)が、犬は人の視線や指差しを理解できるという論文を『サイエンス』誌に出します。類人猿であるチンパンジーにはこの理解ができないことから、それまで視線や指差しの理解は人特有のものと考えられてきたため、論文はセンセーションを巻き起こしました。並行して1990年代中盤から犬の遺伝学的研究も進んでおり、ヘア氏の論文を皮切りに世界中で犬研究が花開きます。視線に着目した菊水氏の関心も、ここに源流があります。

犬はオオカミと祖先種を同じくしています。ところが視線や指差しの理解はオオカミにはできず、犬特有の能力であることがわかっています。「ただ、多くの研究は犬が人に近づいてくることによってこのような能力が獲得されたとの見方であり、人の側も犬に近づくことで変化したという見方はされていませんでした。私は犬の変化と合わせ、人が犬によってどのように変化したかについても興味を持っていたので、動物行動学と遺伝学を結びつけた共進化の研究に力を入れていきました」(菊水氏)

2016年度の三菱財団自然科学研究助成で支援対象となったのが、まさに「イヌのヒトとの共進化に関わる遺伝子の同定」という名の研究です。生物のさまざまな行動は、タンパク質の設計図である遺伝子により決められているといわれます。
菊水氏はかつて『愛と分子※1』という名の著書で、生き物同士の愛や絆が進化の過程で獲得された遺伝子の分子によりつながっていることを説いていました。

※1「愛と分子~惹かれあう二人のケミストリー」著 菊水健史/2018年3月 東京化学同人

生物の進化に関しては従来、「競争」の原理で説明されてきましたが、この考え方では、人と犬がコミュニケーションを取り合うようになった共進化の過程を説明するのが難しくなります。そこで菊水氏は「協調・協力」という新たな視点により、犬と人の共進化について解明を目指したのです。

「犬の祖先種はオオカミと共通しているので、そもそもは人を襲ったでしょうし、人もそれに対し迎え撃ったでしょうから、天敵だったはずです。ところがあるとき、犬と人はお互い歩み寄り、弱いもの同士が協力することで生き延びる術を見出したのではないでしょうか。まだ確認されてはいないのですが、ネアンデルタール人には狩猟の友や見張り役として犬を使う能力がなかったため、絶滅したのではないかともいわれています」(菊水氏)

「指差し理解」と「人を視線で頼る」行動を遺伝子で解析

菊水氏と協同研究者の茂木一孝氏(麻布大学獣医学部動物応用科学科 伴侶動物学研究室 教授)・永澤美保氏(同科 介在動物学研究室 講師)らは以前の研究で、犬は人との共進化の過程で視線や指差しを介しコミュニケーションを取る能力を獲得したことを実証しました。

今回の研究では、犬と人の共進化に関わる遺伝的背景を明らかにするため遺伝子解析を実施しました。日本犬は欧米の犬よりもオオカミに近いことが分かっていたことから、日本犬について、より深く調べることにしたとのこと。

研究に際しては、日本犬の行動実験に加えて遺伝子解析も行うため、日本犬の個体数をどれだけ集められるかが課題になったといいます。「知り合いの獣医の方に協力していただき、北は東北から西は中国地方まで、学生が車の運転から現地での実験まで行うキャラバン活動を展開しました」と菊水氏。今回の助成金は、マウスやラットで行う実験費用以外に、このキャラバンの必要経費や、欧米犬種が混じっていない柴犬を選び出してDNA解析を行うための費用にも活用したそうです。

研究では「人の指差しの理解」「振り返り(困ったときに視線で人を頼る)」という、人との協調・協力を高める2つの行動について遺伝子解析を行いました。いずれも犬に特異な行動で、オオカミにはできないものです。結果、指差しと振り返りでは関わる遺伝子が全く異なっており、それぞれが別々に獲得されたことがわかったといいます。

「指差しの理解は、人の指示に従ったり、人と同じものを見たりすることにつながる能力です。古代犬といわれる日本犬でも理解できたので、おそらくはかなり古い時代、人と行動を共にする中で身につけた能力であろうと考えられます。一方の振り返りは、反対に犬のほうから人を視線で操作し、餌をおねだりするような行動につながるので、時代がもっと下って犬の家畜化が進み、人との関係がより深まってから獲得されたものだと推測できます。日本犬についていえば、振り返りはあまり行いません」(菊水氏)

【振り返り(困ったときに視線で人を頼る)の実験】

① はじめにケースの中から餌を与え、その後、しっかりとケースのフタを閉め開かないようにする。 ② なんとか自力でフタを開けようとするカルル。 ③ 自分では難しいことが分かると、教授の前に座り視線を合わせ、開けてほしいとアピール。
① はじめにケースの中から餌を与え、その後、しっかりとケースのフタを閉め開かないようにする。
② なんとか自力でフタを開けようとするカルル。
③ 自分では難しいことが分かると、教授の前に座り視線を合わせ、開けてほしいとアピール。

【写真①〜③】永澤先生の愛犬カルルくんに登場してもらい「困ったときに人間を頼る」という実験を見せていただいた。

遺伝子とともに菊水氏は、絆を生む幸せホルモンとして知られるオキシトシンにも注目していました。協同研究者の永澤氏が、人と犬が見つめ合うとオキシトシンが分泌されるという論文を2015年に発表しており、今回は日本犬におけるオキシトシンを介した飼い主との絆形成についても調べています。

その結果、日本犬、欧米犬種ともに絆形成をうまく行うものの、両者での違いもみえてきたそうです。欧米犬は見つめ合うに加え、人と触れ合うことでオキシトシンが出るのに対し、日本犬は見つめ合うだけでオキシトシンが出てくることがわかりました。これは飼い主よりも下の位置に佇み、飼い主を見上げることでオキシトシンが分泌され、それを基に絆形成を行うことにつながります。

「欧米犬種はすぐに人と仲良くなりますが、日本犬は人の顔をよく見て、特定の誰かと絆形成を行う傾向があります。人と共に長い間暮らしてきた犬は、人を映す鏡。日本犬は日本人が付き合いやすい犬としてつくってきた、あるいはそういった犬が残ってきた側面があり、まさに日本人の鏡といえる存在だと思います」(菊水氏)

犬の研究のその先に人間社会が見えてくる

2016年度の本研究の後、菊水氏は犬と人との関わりについて研究の幅をさらに広げています。例えば東京都医学総合研究所との共同研究で、犬の飼育が思春期児童のメンタルヘルスにもたらす効果を検証しています。現時点では、犬を飼っている家庭の子どもはウェルビーイング※2や社会性が高まることが見えてきているようです。

「核家族化が進む中で、子どもが精神的ゆとりを持てる場が少なくなっています。そういうときに犬の存在は、子どものウェルビーイングや家庭内のネットワークに良い影響をもたらすのではないでしょうか。その理由はまだわかりませんが、仮説としては、生物として異種であり、言葉も通じない犬が存在することで、相手を許容し尊重するという寛容性が上昇するのではないかと考えています」と、菊水氏はここまでの手応えを説明します。米国には、公園で犬を連れてベンチに座っている人のほうが話しかけられる頻度が15倍高いという研究があり、人と人がつながり合うコミュニティー形成のきっかけを犬が作れるのではないかと菊水氏は期待しています。

※2 ウェルビーイング(Well-being):直訳すると「幸福な状態」「健康の状態」のこと。WHO憲章で「肉体的・精神的・社会的にすべてが満たされた状態」をさして「健康」と定義した概念が、ウェルビーイングの考え方と同一視されることが多い。

「犬が好きなことから始めた研究ですが、犬を見ているとその向こうに人が見えます。人の価値観や生き方が、犬に反映されているんですね。その実感はどんどんと高まっています。だからこそ、協調・協力という視点で犬を研究することで、人間社会の理解も進むかもしれません。犬と人の共進化を追究するその先に、人間社会の理解につながる知見の可能性が見えてきたのも、この助成金のおかげです」

最後に菊水氏は、「犬を連れて出勤できる会社や組織が増えるとうれしいですね。育児休暇ならぬ、犬を飼った最初の1週間は休めるという制度ができてもいいんじゃないでしょうか」と願いを教えてくれました。

取材のこの日も最初に飼ったコーディーとアニータの孫とひ孫であるケビンクルト、ジャスミンの2匹のスタンダードプードルとともに自動車出勤してきた菊水氏。犬と人がより共生しやすい社会づくりが、いま私たちが抱えているコミュニケーションやコミュニティの課題解決の近道になり得る可能性が、菊水氏の研究から見えてきた気がします。

取材を終えて…

三菱財団の自然科学助成は、自然科学のすべての分野にかかわる独創的、先駆的研究を支援しています。また、新しい発想で複数の領域にまたがる学際的研究を応援してきました。菊水先生のご研究は当財団のこうした期待にまさしく合致し、採択当時の選考委員の先生からも「動物社会行動学とゲノム科学の融合を試みるきわめてユニークな試み」として高く評価されました。今回のインタビューでは、これからの共生社会の在り方を示唆する、実りある研究成果を伺うことができ、当財団としても、達成感を感じています。
冬の陽だまりでくつろぐ菊水先生と愛犬ジャスミンとのツーショット。お二人(?)で、未来の共生社会を体現されているように見えますね。