Challenges for the Future:
助成者インタビュー

【vol.12】JUNTOSの精神で困難に取り組む~国籍の垣根を超えて~※JUNTOS(ジュントス):ポルトガル語で「一緒に」という意味。横田能洋氏/認定NPO法人茨城NPOセンターコモンズ 代表理事

三菱グループは2020年、創業150周年記念事業の一環として、三菱財団を通じ、当時急速に拡大しつつあった新型コロナウイルス感染症に取り組む助成事業を実施しました。三菱財団は、その資金供与を受けて、赤い羽根共同募金を運営する社会福祉法人中央共同募金会と共同で、総額一億円の「~新型コロナウイルス感染下において困窮する人々を支援する~外国にルーツがある人々への支援活動応援助成」(以下、「外国ルーツの人々への応援助成」)を組成しました。翌2021年、コロナ禍が長期化する中、三菱財団と中央共同募金会は同様の共同助成の2回目を実施し、今年、2022年も3回目を行うことになりました。

今回ご紹介する認定NPO法人茨城NPOセンターコモンズ(以下、「コモンズ」)の横田能洋代表理事は長年茨城県を拠点にさまざまな社会福祉活動を行ってきましたが、日系ブラジル人をはじめ、多くの外国ルーツの方々、子どもたちが居住するという地域性を踏まえ、とりわけ外国ルーツの方々の課題に熱心に取り組んでこられました。「外国ルーツの人々への応援助成」には2020年、2021年と2年連続で採択されています。そこで、コモンズの拠点の一つ、茨城県常総市水海道地区のコミュニティーカフェ「えんがわハウス」を訪ね、お話を伺いました。

美しい花々に彩られた「えんがわハウス」の前に立つ横田代表理事。
美しい花々に彩られた「えんがわハウス」の前に立つ横田代表理事。

茨城県常総市の「えんがわハウス」を訪ねて

茨城県南西部に位置する常総市は、都心から一時間程度の通勤圏内ですが、その立地の良さから食品工場も多く、また、関東平野の真ん中で農業生産も盛んです。つくばエクスプレスの守谷駅から関東鉄道常総線に乗り換えて15分、無人駅の北水海道駅を降りて、徒歩5分の所に周りをよく手入れされた花々で飾られた「えんがわハウス」があります。以前、病院であった建物ですが、2015年、鬼怒川の氾濫による被害を受け、病院自体も廃業されたため、その跡をコモンズが地域交流の場として改装したものです。

活動の原点・・・学生時代、就職

「弟に聴覚障害があり、健常者と一緒に学ぶことの難しさを近くで見ていましたので、大学に入学してから社会福祉のボランティア活動サークルに参加しました。そこで多くの障害者の方たちと出会い、手話も学びました。社会福祉に目を向けたのは、制度からというよりも、このような現場での出会いが原点にあります。障害があってもなくても同じ人間として付き合えばよいということを学びました。その一方で、なぜ同じように生活できないか、人生を送れないかについても考えさせられたのです。」

また、アメリカでの見聞が大きなインパクトになったと続けられます。

「この大学時代、アメリカで開かれた世界のろうあ者の大会に、親の代わりに参加したのですが、そこでスピーチには字幕が必ずついていたのに驚かされました。当時の日本では全く行われていなかったのです。また、公衆電話にキーボードがついていて、それを叩くと音声にして伝えてくれる『電話リレーサービス』にも感心しました。人権に対する対応の格差をまざまざと見せつけられ、またそれは、当事者の問題ではなく、社会の問題であることを強く感じました。日本はその当時世界のナンバー2の先進国であったにもかかわらず、差別を解消しようという機運も弱く、障害者は不自由でも弱者として保護の中で生かされていくしかないという状況でした。そのような状況を変えるには、当事者の活動が活発になることこそ重要だと思いました。」

こうした大学生活を経て、就職を決める時期を迎えます。

「友人たちが次々と大企業への就職を決めていく中、ゼミの教授から『フィランソロピー※1を知っているか』と尋ねられました。その恩師は、当時地元茨城県の企業の地域活性化や社会貢献の研究会の座長を務めており、『茨城県経営者協会』が10年ぶりに新人を採用することを教えてくれました。自分としても民間で新しい福祉を考えてみたいと思い、就職を決めました。まずは企業の社会貢献について勉強するため、夕方になると東京まで出向き、さまざまなセミナーに参加するなどして情報を得ていました。そこで知ったのは、アメリカでは社会貢献活動を企業が独自で行うのではなく、専門性を持つ非営利の団体と組んで実施しているということ。つまり『NPO※2』という言葉を初めて知ったのです。当時日本の市民活動のほとんどはボランティアで、有給スタッフを置いているのは一部の大きな『NGO※3』だけでした。ところがアメリカでは有給の職員の人がたくさん働いていて、多額の寄付を集めてしっかりとした事業をしている。企業と対等なパートナーシップを組んでいろいろな提案をし、それによって企業も幅広く社会貢献ができているということがわかってきました。」

※1 フィランソロピー:Philanthropy/「人間愛」が起源となっている概念。人々のwell being(健康で幸せな人生を送ること)を高めたり、改善したりすることを目的とした奉仕的活動や、組織を指す。
※2 NPO:Non-Profit Organization/市民を主体として民間の支援などのもと、社会的な公益活動を行う組織・団体。法人格を取得したNPOは「特定非営利活動法人」=「NPO法人」となる。
※3 NGO:Non-Governmental Organization/企業などの営利組織と政党等の政治団体を除く、すべての民間非営利団体を指す。

NPO立ち上げへ

そして、95年の阪神・淡路大震災が起こります。

「それまでボランティア活動はごく少数の高い志を持った人たちが行うものだと言われていました。それが阪神・淡路大震災では100万人を超えるボランティアが出現しました。きっかけがあればボランティアをしたいという、ごく普通の人たちが実はたくさんいたのです。その一方、『ボランティア難民』という現象も起きました。役に立ちたいという気持ちで現地入りした人々が、何をしてよいかわからず市役所に長い行列をつくっているのを見て、コーディネーター不在の問題点が見えてきました。つまり、NPOのような専門職によって多くのボランティアの人々を生かす仕組みをつくることが大事だと確信したのです。そこでNPO関連の法律が成立、施行された98年に茨城県経営者協会を退職し、NPO法人としてコモンズを水戸市で立ち上げました。

当時のコモンズは、制度が出来たばかりのNPO法人を茨城県で数多く設立していくことを目的に、その設立や運営をお手伝いする、いわゆる中間支援団体で、設立したNPO法人と企業の橋渡しをすることが目標でした。また、自らも助成金を獲得して福祉事業を行いながら、さまざまな専門家とのネットワークを広げ、経営ノウハウも蓄積していきました。」

1999年4月11日、水戸市民会館にてコモンズ設立記念行事を開催。参加者は100名を超えた。中段右から二人目が横田氏
1999年4月11日、水戸市民会館にてコモンズ設立記念行事を開催。参加者は100名を超えた。
中段右から二人目が横田氏

リーマンショックを機に外国ルーツの人々の課題に目を向ける

水戸市で立ち上げ、他のNPO法人をサポートすることが主体だったコモンズが、現在のように県南西部の常総市にも拠点を持ち、外国ルーツの方々への支援に自ら深く関わるようになったのは、リーマンショックと鬼怒川の氾濫による水害の二つが大きく影響しています。

「NPOの立ち上げ当初から、自分が住んでいる常総市は、ブラジル人の方が多いエリアだとはわかっていました。ただ、皆さん早朝や夜遅く、送迎バスに乗って工場へ出勤し、買い物もブラジルの食品を扱う特定のスーパーに行くだけで、地域との接点は限られていました。2008年にリーマンショックが起きたとき、それまではブラジル人のための私立学校に通っていた子供たちが、親の失業で授業料が払えなくなり、経済的負担の小さい地元の公立小学校に転校してきていると知りました。受け入れ体制が弱く、混乱している学校のために、自分にできることは何かを考え、コモンズでこれまでやってきた『課題に関わっている異業種で協議する』ということが生かせるのではと思ったのです。まずはブラジルの方々に関わっていそうな地域の教育委員会、日本語教室、派遣会社の方々などに声をかけ、情報共有の場をつくりました。そこで分かったのは、皆、断片的な理解、情報しかなく、全体が見えている人がいなかったということでした。以前から企業とNPOの連携で重要なテーマの一つは『外国人の子どもの教育』だと思っていましたので、これを機に自分もこの分野に取り組みたいと考えるようになりました。」

「失業したブラジル人の方の就労支援策として厚労省が『無料日本語研修』を行うことになったとき、常総市のコーディネーターにならないかと声を掛けてもらい、研修の場所、通訳や日本語教師の確保に奔走しました。日本語を知らずに来日し、自宅と会社を往復する毎日でそれまで日本語に接する機会のなかった人々にとっては絶好の学習機会で、多くの方が意欲的に学んでいました。一年後、今度は茨城県から雇用対策として、常総市で母国語での就労・就学相談の事業をやるので、コモンズとして引き受けないかと声を掛けられました。NPO法人設立以来、法人としてはずっと水戸の拠点から活動してきましたが、2010年、この県からの事業を始めることを機に、常総市に第二の拠点を設けることにしました。当時、茨城県では、つくば市などを除くと子ども向けの語学支援はほとんどなく、これだけは委託事業が終了した2012年以降もコモンズ独自の事業として継続することにしました。2019年に県の教育委員会が学習支援を予算化するまで、サマースクール、高校進路ガイダンス、プレスクールなどを独自に行いました。」

鬼怒川の洪水と復興活動

もう一つの大きな出来事は、2015年9月常総市を襲った鬼怒川の氾濫による水害でした。

「コモンズもオフィスを同じビルの2階から1階へ移したばかりの時で、3日間水につかり、書類や車などほとんどを廃棄せざるを得なくなりました。そういった意味で大打撃ではあったのですが、もう一つ、それまでずっと支援する側にいた我々が被災当事者として支援を受け入れる立場になったということも大きなことで、全国のNPOのスタッフが応援に駆けつけてくれました。地域の社会福祉協議会は大量の土砂の排出・泥かきのような喫緊の課題を大量のボランティアの方たちと取り組む一方、我々は外国人の方たちの通訳をおこなったり、毎日『かわら版』を日本語版のほかにポルトガル語版も出すことで情報格差を生まないようにしたり、精神的ケアなど細かいことを専門家に繋いだりというふうに、上手く社会福祉協議会と役割分担ができたと思っています。また、ブラジルの方の中には、自分たちも被災しているのに、誰かのために役に立ちたいと言ってきてくれた方が大勢いらっしゃいました。日本人の方たちにとっても普段は交流もなく、人によっては怖いイメージもあった外国の方々と、こうした極限状態で一体感を持って災害に立ち向かったという経験は貴重だったと思います。

その後、我々の拠点の一つを『JUNTOS(ジュントス)』と名づけました。ポルトガル語で『一緒に』という意味です。日本人、外国人問わずに一緒に取り組んでいくことが大切だという思いを込めています。」

インタビューでお邪魔した『えんがわハウス』も『JUNTOS』という精神のもと、地域交流を広げる場として開設したものです
インタビューでお邪魔した『えんがわハウス』も『JUNTOS』という精神のもと、地域交流を広げる場として開設したものです

コロナ禍の現在の活動

「2018年まで行った就学支援事業の経験を踏まえて、次は多文化保育事業を始めたいと考えました。常総地区には通訳のいる保育園が少なく、かくれ待機児童数も100人を超す状態で、需要は認識していました。一方、就学支援事業によって日本語を学び、また勉強を頑張ってきた中高生の卒業後の進路が、親と同じように限られた就職機会しかないという状況を改善するため、就職の選択肢の一つとして、保育を考えたのです。保育では日本語も母国語も生かせます。また、保育士の資格を取れば一生の仕事として続けることができます。廃業となった病院はえんがわカフェとなりましたが、残りを保育園として活用しています。2020年からは0歳から2歳児のクラスは認可保育園となったのですが、認可が下りたとたん、新型コロナウイルスの感染拡大で自粛が呼びかけられました。ただ保育園が閉められると、親は仕事に行けず、生活できなくなりますので、これまでほとんど休園することなく、頑張ってきました。園児はブラジル人、フィリピン人の他、日本人の子どももいて、まさしく多文化の状況です。」

大人もワクワクするような遊具がいっぱいの保育園
大人もワクワクするような遊具がいっぱいの保育園

「多くの外国人の方たちが働く工場でも新型コロナウイルスのクラスターの発生で、大変な状況に陥りました。特に問題だったのは、必要な情報が外国人の方に届かないことでした。いくら市役所のホームページに掲載してあるといっても、その情報まで行き着けないのが現実です。ですから私たちは緊急事態宣言とは何か、どのような支援制度があるか、発熱したらどう行動するかなど、きめ細かく母国語に翻訳して情報提供するよう心がけました。そのような中で、外国人の方たちのワクチン接種については、市と連携をして取り組みました。ワクチン接種は、日本全国どこでもそうでしたが、当初なかなか予約をとることが難しく、外国人の方たちにとってはさらにハードルの高いものでした。そこで、市が外国人の方たち向けの接種会場を設け、我々がポルトガル語と英語のチラシを作って声がけをし、接種会場でも問診票の記入などのために、通訳を派遣しました。このとき、市が予算をとり、我々のサービスへの対価をきちんと払ってくれたのは大きな前進でした。それまで助成金など我々の自前の財源とボランティアの人たちの献身で行ってきたものが、少しずつ制度の中に入り、対価を当然のこととして受けられるようになることは大事なことだと思います。」

助成金を活用した活動について

「一方、助成金でなければ賄えないこともあります。一回目の三菱財団の『外国ルーツの人々への応援助成』からの助成金は、外国人の中でも特に女性、もしくは母子家庭が暮らせるシェアハウスの改装費用に活用しました。コロナ禍で深刻化した問題の一つは家庭内暴力(DV)です。もともと行動範囲の狭い外国人家庭では、コロナ禍でさらに行動制限が強まり、家庭内でのストレスがDVという形で表れてきたと感じました。この施設にはインド人の母子とクルド人の母子が入居しました。どちらも複雑な家族事情があって来日したこともあり、これまで関わってきた多くのブラジル人とは全く異なる状況の人たちとの出会いとなりました。」

シェアハウスの一例。住居スペースは清潔で快適。
シェアハウスの一例。住居スペースは清潔で快適。

「日系ブラジル人の方たちは、就労の選択肢が現実的には限られているとはいえ、働くことによる収入確保の道があり、日本に居住することに問題のない方たちばかりでした。今回、迎い入れたインド人やクルド人は知人を頼って来日したのですが、在留資格が全く違う方たちでした。別のシェアハウスに入居したナイジェリア人の男性は入国管理庁の収容施設に長年収容されていて今春外に出られた方です。心臓疾患があり、ナイジェリアでの医療ケアでは生存できないため、日本での居留が認められましたが、収入がないにもかかわらず生活保護の資格を得られず、カンパだけに頼っている状態です。

二回目の助成金は、パキスタンなどのイスラム子女で学校に行かせてもらえない人や16歳以上で来日して高校に入れないでいるオーバーエイジを対象とした学習施設の改装費用に充てています。パキスタンの一部の地区では慣習的に女性の進学には否定的で、中学校に行かせてもらえない子どもたちがいます。そこで、ここでの学びを通じて日本の社会と接点を持ち、親とは異なる価値観、人生を選べる権利を支援したいという思いから、家から出て集い、勉強や友達と語らう場所として使ってもらうことを目指している施設です。この建屋は、もとは製麺工場だったのですが、水害で廃業したところです。現在ブラジル人の有志の方なども大工仕事を手伝ってくれ、コストを抑えながら、改装を進めています。」

ブラジル人の有志の協力も得て改装が進められている施設。
ブラジル人の有志の協力も得て改装が進められている施設。

これからの課題と展望

ウクライナ避難民のことが昨今報道されていますが、その点についてもお伺いしました。

「常総市もウクライナ避難民の受入宣言をしているので、我々としてもウクライナ語への対応ができるようにする等、準備を進めています。ウクライナからの方たちは戦争という深刻な状況から逃れてくる人たちなので、単に住居を提供するだけではなく、心のケアといったことへの気配りが必要だと考えています。一方、インド人、クルド人、ナイジェリア人の方たちに出会った経験から日本の難民認定制度、受け入れ態勢は見直すべき時期に来ていると強く感じています。今回のウクライナの避難民受入の動きをきっかけとして、ウクライナ人だけでなく、日本に来ている多くの難民に対する認定の在り方や、受け入れの横断的体制の構築など、県知事をはじめトップが高い関心を持ってリーダーシップを発揮している今が、その受け入れ態勢づくりのチャンスだと思っています。」

これまでの活動を伺っていると、まさしく日本のNPO法人の先駆けとして、地域に根差し、着実に成果を挙げてこられたことが分かります。全国のNPO法人のトップランナー、モデルケースとして、これからどのような方向に向かっていきたいのかについてもお伺いしました。

「外国ルーツの方々への支援という観点から、その幅を広げることができている最も重要な要素はポルトガル語やタガログ語を話せるスタッフを常勤で雇えていることです。全国の同じようなNPO法人がどうやってそうした多文化支援ができるスタッフを持つことができるか悩んでいるわけですが、我々の場合、そうしたスタッフにまず保育や学習支援という雇用の場を作り、何かあれば他の相談対応でも働いてもらえるという仕組みになっています。これまでの介護スタッフのようにマンパワーとしてだけで雇うのではなく、フィリピンの方であれば『タガログ語と日本語のできるスタッフ』という位置づけです。そうすることで、今後フィリピンの方が介護施設に入ることがあればその対応もできるし、普段は日本語で働いていたとしても、いざとなればいろいろな局面でタガログ語が生かすことができます。また、うちの保育園のブラジル人の保育スタッフが、今度、近隣の保育園に週一回サポートで行くことになりました。その保育園にはブラジルの子どもが一人いて、日本語もわかっていそうではあるものの、やはり母国語の分かるスタッフが、週一回でも保育通訳兼アドバイザーのような形で関わってくれれば、子どもにとっても保育園の先生たちにとっても心強いのではないかと思います。さらには、このブラジル人スタッフ自身にとっても将来的に仕事の幅を広げるチャンスにもなります。こういったことが今後広げていきたい方向でしょうか。」

外国人だけでなく、日本人の子どもも通う多文化保育園になっている。
外国人だけでなく、日本人の子どもも通う多文化保育園になっている。

三菱グループに期待すること

最後に三菱グループに期待することを伺ってみました。

「三菱さんですぐ思いつくのは、このえんがわハウスや他諸施設でもたくさん使っているので、エアコンでしょうか。大企業の中でも消費者に近いところに位置しているというイメージがあります。一方、茨城にある大企業は工場が多いものの本社は少なく、例えば社会貢献を考えてくれるような部署が地元にない、言い方を変えると、消費者や地域住民との接点がなくても、やっていける業種・業態が多いのです。三菱グループの会社の方たちには、ぜひ消費者の声をよく聞いて商品開発をして欲しいと期待します。例えば、保険会社の方に保険商品のメリットやリスクを多言語で説明できればとお話しすることがあります。この地域で水害に備えて保険に入っているのと入っていないのとでは天と地ほどの差があると思うのですが、そういったことを外国人の方たちが理解できるように説明している多言語の説明書を見たことがありません。これは一例ですが、そういったことを実現できれば、本業の中で企業の重要な社会貢献を達成することになると思いますし、三菱グループの企業であれば他の企業への大きな影響もあると思います。もう一つ、採用という観点からも外国ルーツの若者を積極的に採用していただければと思います。日本語も十分できる人も多いですし、世界各国でビジネスを展開している三菱グループであれば、そうした人たちの母国語や母国とのつながりを生かす機会もたくさんあると思います。このような観点からも、率先した取り組みで、日本の他の企業のモデルケースとなっていただけるのではないでしょうか。」

取材を終えて…

横田さんの物静かな語り口から伺うことができたのは、固い信念と情熱がなければ成し遂げられない、さまざまな困難に果敢に取り組まれてきた物語でした。現在、日本には300万人近い外国ルーツの方々がいらっしゃり、いろいろな問題を抱えて暮らしています。三菱財団と中央共同募金会の共同助成は、コロナ禍でさらに困窮度が高まったこうした人々への支援が目的でしたが、コモンズのような支援団体が人々に寄り添って応援していることを改めて詳しく伺い、大変心強く思いました。
このような活動の積み重ねの先にこそ、新しい日本の未来が築かれていくと思います。
【画像】「えんがわハウス」の前で横田代表理事(右)と。