Challenges for the Future:
助成者インタビュー

【vol.14】これからも末長く愛される“あみださま”であるために福島県田村郡小野町 小野赤沼行政区の皆さま

三菱財団では、日本社会の学術、教育、文化、福祉の向上に寄与することを活動目的とし、1969年より学術研究や社会福祉事業の助成を行ってきました。節目の50周年を迎える2019年、活動目的のひとつである「文化の向上」に貢献すべくスタートしたのが文化財修復事業助成です。第一回助成(9件)の中の一つが福島県重要文化財に指定される光明山無量寺の木造阿弥陀如来および両脇侍像。今回は、この平安時代より伝わる木造阿弥陀如来三尊像が修復されるまでのストーリーを、長く光明山無量寺の住職をお務めになられている時田敏孝氏、この町に生まれ育ち、福島県田村郡小野町小野赤沼行政区の前区長をお務めになられた遠藤貴美氏、現区長の佐藤喜春氏に伺いました。

無量寺阿弥陀堂 阿弥陀三尊像の前で。右から時田住職、遠藤前区長、佐藤区長、三菱財団 渡邉氏
無量寺阿弥陀堂 阿弥陀三尊像の前で。右から時田住職、遠藤前区長、佐藤区長、三菱財団 渡邉氏

古くから人々に愛され、親しまれた“あみださま”

修復され、ふたたび無量寺に安置された現在の阿弥陀三尊像
修復され、ふたたび無量寺に安置された現在の阿弥陀三尊像

阿弥陀如来を中尊(本尊)に、向かって右の左脇侍が観音菩薩、向かって左の右脇侍が勢至菩薩という阿弥陀三尊の形式。三尊像ともに平安末期の作とみられており、台座まで当時のものが残っているケースは非常に稀です。古代の仏教資料としても大変貴重な文化財です。この阿弥陀三尊を本尊とする光明山無量寺の住職を1969年から務めているのが時田敏孝氏。1975年に阿弥陀三尊像が福島県の重要文化財に指定されるまでの経緯を鮮明に覚えておられます。

「この寺に関するさまざまな資料に目を通し、阿弥陀三尊像が非常に古いものであろうことは知っていました。しかし具体的な年代となると、どの資料も信憑性に欠けると言わざるを得ません。それを明確にしてくれたのが、福島県による調査でした。なんと、平安末期に作られたものであると。昔から“あみださま”と地域の方々から大変親しまれてきた仏様でしたが、まさかそこまで古く、価値のあるものとは住職の私ですら知りませんでした」。

時田敏孝氏/無量寺 住職
時田敏孝氏/無量寺 住職

時田住職の言葉に笑顔でうなずくのは、この小野赤沼地区で生まれ育ち、幼少のころより無量寺および阿弥陀三尊に親しんでこられたという遠藤氏。
「私が子供のころから、このお寺や本尊様のみならず、付近一帯を“あみださま”と呼んでいました。『あみださまに行ってくる!』と子どもが言えば、親は、あの辺りで遊んでいるのだなとわかったものです。そして無量寺は、夏休みには子供たちが集まって勉強会を開いたり、法要のあるときは大人たちが酒を酌み交わしたりと、老若男女に愛され続けてきました」。

檀家様の声は「本物を寺に残してほしい」で一致

遠藤氏をはじめ地域の方々の生活の一部ともいえる無量寺と阿弥陀三尊像。町や県の重要文化財に指定されたものの「当時は事の重大性にピンときませんでした」という遠藤氏。
「重要文化財という立派な肩書きをいただいても、私たちにとっては、これまでも、これからも“あみださま”。その思いは今も変わりません」という言葉に、無量寺と阿弥陀三尊への深い愛情が垣間見えます。
地域の方々からの信仰と愛情は、時田住職のこんなエピソードからもうかがい知ることができます。
「阿弥陀三尊が県の重要文化財に指定されたことで、福島県がレプリカを製作しました。住職の私にも見分けがつかないほど、それは精巧な作品でした。そして、本物とレプリカのいずれかを博物館に展示したいとおっしゃる。私としては、やはり本物の仏像を寺に残しておきたい。しかし、重要文化財に指定された以上、盗難の防止や維持・保存するための管理が不可欠です。熟慮の末、本物を博物館で管理していただけたらありがたいと考えました」。

しかし、時田住職の決断は一転することに。
「檀家の皆さんにお伺いを立てたところ、満場一致で『本物を寺に残してほしい』と。我々のあみださまを我々の手で守っていこうと小野赤沼地区の老人会で保存会を立ち上げ、日々の清掃などを行っていただくことになりました」。

「ダメでもともと」と応募した文化財修復事業助成

地盤は強固なものの湿気が多く、木造の阿弥陀三尊には決してやさしくはない環境。経年による老朽化は避けられませんでした。

「阿弥陀三尊の痛みが顕著になってきたのは20年ほど前でしょうか。小野赤沼地区の寺役員の間では、なんとかしなければいけないという話は度々持ち上がっていました。しかし、修復には多額の費用がかかります。どうしたものか…と手をこまねくばかりでした」と、当時を振り返る遠藤前区長。

朗報が飛び込んだのは2018年の11月。図書館、美術館、郷土史料館などを備え、小野町の文化コミュニティを支える『小野町ふるさと文化の館』より、三菱財団が文化財の助成活動を始めるという知らせを受けたのです。
三菱財団の助成活動50周年を機に開始する文化財修復事業助成。初めての取り組みであり前例がないことから、三菱財団では全国47都道府県の教育委員会に文化財修復事業助成をアナウンスし応募を募りました。それが巡り巡って、遠藤氏ほか寺役員の方々の耳に届いたのです。

「補助金とは異なり、100%負担していただける助成は非常にありがたい。当時の小野赤沼行政区長が中心となり臨時総会を開き、ダメでもいいから手を挙げてみようかと。申請が通ったという知らせを受けたときは“バンザイ!”と叫びたくなるほどの喜びでした」と遠藤氏。

遠藤貴美氏/赤沼行政区前区長
遠藤貴美氏/赤沼行政区前区長

2年がかりで行われた過去最大級の修復プロジェクト

阿弥陀三尊の修復を依頼した先は、新潟県で仏像文化財修復工房を営む松岡誠一氏。同氏は東日本大震災の文化財修復などで実績があり、かつて小野町内の木地蔵の修復を依頼した縁もあったとのこと。阿弥陀三尊の修復においても即断だったといいます。

天正11年(1583)、元禄8年(1695)、昭和14年(1939)と、過去3回にわたって行われた阿弥陀三尊の修復作業。2019年11月から始まった令和の修復は、天正の修復に並ぶ大掛かりな作業になりました。その主な内容は次のようなものです。

  • 阿弥陀如来像の額に埋め込まれている水晶の白毫(びゃくごう)を適正な大きさに改め、胎内から合成樹脂を注入し構造を強化【写真1】。
  • 腐朽や欠失の見られる箇所は釘穴の錆を落とし、必要に応じてヒノキ材で掘り出したものや漆木屎、樹脂などを用いて構造を強化しながら補修【写真2】。
  • 鉄釘などが膨らんでいる箇所は必要に応じて解体して釘を除去し、構造を強化。
  • 蓮弁の外れそうな箇所は麦漆、エポキシ樹脂系接着剤、ステンレス釘などを用いて補修【写真3】。
  • 光背の柄に緩みが見られたことから、構造を強化し安定させるための補修を実施。
  • その他、漆塗や漆箔、補彩を行い自然な状態へ戻す作業を実施【写真4】。

写真1~4:「木造阿弥陀三尊像 修復報告書/仏像文化財修復工房」より

【写真1 白毫の修復】
補修時にはめ込まれた白毫の大きさがあっていなかったため、適切な大きさの水晶にあらためた。
(写真左が修復前、右が修復後)

【写真2 腐食箇所の修復】
錆びた鉄釘などは丁寧に除去し(左)、
腐食した箇所にアクリル樹脂を含浸(右)。

【写真3 台座の修復】
台座は解体し修復。各段の順番が変わっていたため、白水阿弥陀堂の阿弥陀様の台座を参考に組み直しを行った。
(写真左が修復前、右が修復後)

【写真4 無量寺阿弥陀堂に安置された阿弥陀三尊像 ~ 修復前後】
仏像修復は現状維持が基本である。そのためクリーニング、塗り直しなどを処置した上で経年の味わいを元のように再現する。単なる修理ではない、もうひと手間がかかっている。そして、修復後は両脇侍の立ち位置を変えている。これは、江戸時代の後補の光背の軸に陰刻されているものを確認したことや、今回「観音」とした御像の頭部には化仏をつけたと思われる穴の修理後があることが理由。また、同時期に制作された白水阿弥陀堂の両脇侍の位置も参考に行ったものである。
(写真左が修復前、右が修復後)

2019年11月から2021年12月にかけて2年がかりで行われた阿弥陀三尊像の修復。作業については松岡氏に一任したものの、任せっきりでは失礼と無量寺役員が2020年11月に工房を訪ねたといいます。

「古い金具や釘を外していく作業や釘跡に埋め木を施す作業、そのひとつひとつがとても丁寧で感銘を受けました。さらに驚いたのが、漆や金箔の処理。ただきれいにするだけではこれまでの仏像とまったく異なるものになってしまうということで、漆や金箔が剥がれた箇所をそっくりそのまま再現されていたのです。三尊像の外見に関しては長年あみださまを見続けてきた私たちですら、違いを見分けられないほど巧妙に修復してくださいました」。
遠藤前区長が「任せてよかった」と評価する松岡氏。一方、遠藤氏も仏像について自ら勉強したといいます。修復時におけるこんなエピソードを披露してくださいました。

「阿弥陀如来像の脇侍である観音菩薩像と勢至菩薩像は、足元からバラバラに分解できるため、どこかで修復された際に台座が入れ替わっている可能性があります。観音菩薩像の一部に『くわんのん』という記載が見られるものの決定的な証拠にはなり得ません。そこで私は、仏像について勉強した際に読んだ『製作された時代によっては観音菩薩の掌や額に化仏があしらわれている』という一節を思い出しました。それを松岡さんにお伝えしたところ、確かに観音菩薩の額に化仏が埋め込まれていた形跡があると──」。

遠藤氏の指摘により観音菩薩像を確認した松岡氏は、福島県文化財保護審議員にも連絡を取り、指摘に間違いのないことが判明しました。その結果、写真4の通り、脇侍の位置を入れ替えることになりました。

より多くの方に阿弥陀三尊を拝んでいただくために

2021年12月7日、2年の歳月を経て修復を終えた阿弥陀三尊。無量寺へ戻す作業は2日間にわたり行われ、その翌週には時田住職を迎え遷座式(仏像へ魂を入れるための儀式)が行われました。そして当時区長を務めていた遠藤氏や寺役員らが中心となり2022年1月から、修復完成を記念して一般公開を実施しました。地元の方々はもちろん、北は仙台、南は宇都宮に至る地域から、1週間で400人を超える人々が阿弥陀三尊を訪ねてきたといいます。その方々から寄せられた声を、遠藤氏は感慨深げに振り返ります。

「ほぼすべての方の第一声は『穏やかなお顔ですね』という言葉。これは、白毫を適正な大きさに戻したことで本来のお顔に戻ったことが大きいのではないでしょうか。また、福島県内や小野町の方でさえも『小野赤沼にこんなに素晴らしい仏像があるとは知らなかった』と驚かれる方も多くいらっしゃいました。そのほか『地元の人間だけではなく、もっと広く公開してはどうか』という声もいただきました。確かにそうあるべきだと思いますし、そのための体制づくりは今後の課題といえるでしょう」。

現在、阿弥陀三尊を間近で拝むことができるのは毎年11月末に行われる浄土宗の法要『御十夜』に限られているとのこと。「幅広い地域の方々にご覧いただけるよう、年に数回は期間限定で定期的に阿弥陀三尊を公開する機会を設けるべきかもしれませんね」と時田住職と遠藤氏は言います。この素晴らしい文化財を多くの人と共有したいという願いがうかがえます。

この先100年、150年と安心して拝める安堵を胸に

いにしえの面影は残しつつも、よりすこやかに生まれ変わった阿弥陀三尊像。その今後を託されたのが、小野赤沼行政区の現区長を務める佐藤氏です。もともと小野町内に住んでおり、20数年前に小野赤沼に転居。

その理由を「この地域はおじいちゃん・おばあちゃんの世代と親世代、そして子供世代を巻き込みながら、にぎやかにいろいろな行事を催していました。当時、中学生と小学生の子供を持っていた私としては、子育てをするなら小野赤沼が最適だろうと考え、ここへ移り住むことを決めました」と話します。
阿弥陀三尊の修復に伴い多くの人が足を運ぶであろう今後については、このように展望を述べます。「転居する前から無量寺の阿弥陀三尊が福島県の重要文化財に指定されていることは知っていましたが、残念ながら実物を拝ませていただく機会はありませんでした。小野赤沼行政区の区長となり、今後は無量寺の阿弥陀三尊について質問をいただくことも増えるかと思います。時田住職、遠藤さんをはじめこの地域に詳しい方々のご協力を得ながら、少しずつこの町の誇りである阿弥陀三尊への知識を深めていきたいと考えています」。

佐藤喜春氏/赤沼行政区 区長
佐藤喜春氏/赤沼行政区 区長

そんな佐藤区長を今後もサポートとしていきたいという遠藤氏は、阿弥陀三尊を守っていく立場から喜びを超えた感情が芽生えたとのこと。
「幼いころから親しんできた“あみださま”が修復された喜びはもちろんありますが、それ以上に“この先100年、150年と安心して拝める”という安堵のほうが大きいかもしれません。とはいえ、これからも我々には継続的に守っていく責任があります。現状は行政区、寺役員がお寺の管理・運営を担っていますが、今後は無量寺と阿弥陀三尊の保存を担う奉仕団体の結成も考慮する必要があるかもしれません」と、具体的なビジョンを語ってくださいました。

最後に小野町赤沼行政区住民の皆さまから、三菱財団ならびにこの記事をお読みになる方へのメッセージをいただきました。
「この度は三菱財団の文化財修復事業助成によって、我々の財産である阿弥陀三尊像の修復を成し得ることができました。このような助成活動により日本各地の貴い文化財が甦り脚光を浴びることは素晴らしいことであり、その当事者としてあらためて感謝と御礼を申し上げます。この光明山無量寺ならびに阿弥陀三尊は、私たちの先人たちの素朴な信仰によって900年間にわたり守られてきました。今後は一般の方にも広く公開できる機会を増やしていきたいと考えておりますので、どうぞ足をお運びいただき、日々の喜怒哀楽を阿弥陀様に語りかけてはいかがでしょうか。地域ぐるみで皆様のお越しを歓迎いたします」。


プロフィール

光明山無量寺

現存する阿弥陀堂の西南側(現在は山林となっている場所)で、平安時代に天台宗の寺院として開山されたと伝わる。当時からのものと思われる阿弥陀三尊像は、浄土宗に改宗した天正11年(1583)、元禄8年(1695)、昭和14年(1939)に修復された記録が残っており、令和元年(2019)から2年がかりで行われた修復は4回目となる。昭和50年(1975)5月には、この木造阿弥陀如来像および両脇侍像が福島県の重要文化財に指定されている。
また、阿弥陀三尊像が安置されている無量寺阿弥陀堂は、元禄4年(1691)の改築からの姿を今に残す文化財として、昭和50年(1975)2月に小野町の重要文化財に指定された。
<所在地:福島県田村郡小野町大字小野赤沼字寺前72>

阿弥陀堂の中には、訪れる方や後世の人々に伝えるため、この修復事業が三菱財団の助成により行われたと明記されたパネル、どのような修復を行ったかを記した木版が掲げられている。

取材を終えて…

文化財修復事業助成の記念すべき第一弾として行われた、光明寺無量寺の阿弥陀三尊の修復作業。20年以上も前から修復の必要性を感じつつも、なかなか実現に至らなかった地域の愛すべき“あみださま”。取り返しのつかないことになる前にご協力できたことは、三菱財団としても大きな喜びです。
この阿弥陀三尊に幼いころから親しんできた遠藤さんの印象深い言葉を、最後にお伝えさせていただきます。「重要文化財として守っていくべきものではありますが、本来の信仰心が薄らいでしまっては、これまでのように何百年と受け継いでいくのは難しいと考えています。貴重な文化財であるとともに、いつまでも“私たちのあみださま”として信仰の対象であってほしい。そう願っています」。