数字でみる三菱グループ

数字でみる三菱グループ

三菱グループに関する歴史やグループに関わる様々な情報を 数字でわかりやすくご紹介します。

[歴史篇]

三菱の起源は1870(明治3)年。土佐藩出身の岩崎彌太郎が海運事業を興したことに始まります。

創業者岩崎彌太郎にはじまる四代の社長が三菱グループの基礎を築きました。

三菱の歴史の中で受け継がれてきた経営の根本理念です。

岩崎彌太郎は、土佐藩の大阪商会の事業を引き継ぎ、土佐藩の汽船3隻を譲り受け、九十九商会の名で海運業を始めました。

日本のビジネスの中心地として発展を遂げ、日本の玄関口としての役割も担っている丸の内エリア。1890(明治23)年に岩崎彌之助が明治政府から丸の内の兵営跡地など10万余坪を購入したことにはじまります。

岩崎彌太郎は、明治11年に茅町本邸を購入。明治13年に社員の親睦の場として下町の深川別邸(約3万坪)を作り、その後、駒込の駒込別邸(約3万坪)を購入。現在は、重要文化財として東京都で公開されています。

[はじめて・No.1篇]

【世界初】絞りと露出計の連動、モータードライブの実用化など、世界初のさまざまな機能を盛り込み、高級一眼レフカメラとしての地位を築きました。

【日本初】(昭和27年)場所は石川県七尾市。
今や日本全国あらゆる場所で使われるPC橋ですが、この小さな橋が日本でのPC橋の始まりです。

【日本初】日本の海運会社として初の遠洋定期航路「ボンベイ航路」開設の年です。

【世界初】脱酸素剤「エージレス®」を世界で初めて生産を開始した年です。

【世界初】世界初の量産型EV「i-MiEV」発売しました。

【日本初】明治時代、国家の近代化を目指す政府の殖産興業政策により、数多くの新産業が生まれました。その1つとして、当時業績を伸ばしていた海運・貿易業に欠かせない海上保険会社を設立する動きがあり、1879年8月1日、東京海上日動の前身である東京海上保険会社が設立されました。

【日本第一位】原油処理能力 187万バレル/日
※国内第1位、 2020年11月末現在

現在のキリンブランドの原点となった「キリンビール」。キリンビールの前身会社である、ジャパン・ブルワリー・カンパニーが製造していました。現在の「キリンラガービール」の原点であり、130年以上の歴史があります。

【世界一】106m3/477ton硬土盤グラブバケットは、浚渫船用の世界最大重量バケットとしてギネスブックに登録されました。

【世界初】日本郵船がはじめて開発した自動車の積付方式「カウンター・クロック・ワイズ方式」により、荷役時の車両ダメージを大幅に低減させ、北米航路のダメージ率を1%以下に引き下げた。今では世界中の自動車船で使用されている。

【日本第一位】系列サービスステーション数 約13,000か所
※国内第1位、 2020年11月11日現在

【世界初】紫外線を約99%カットする自動車フロントドア用強化ガラス“UVベールPremium”を世界で初めて発売

【日本第一位】国内外の顧客に向けた外国籍ファンドに提供する事務サービスであるファンドアドミニストレーションの受託残高、日本一位(2020年3月末現在)

【日本第一位】H2A, H2Bロケット打ち上げサービス 52回
※2020年11月現在
・打上げ成功率 98.1%(51/52)*
(注)打ち上げ成功機数/全機数

【世界初】三菱電機は、スパイラルエスカレーターを製造している世界で最初かつ唯一の企業。これまでに国内・海外向け合わせて111台を生産している。
※2020年12月現在

【世界初】屋外用カラー大型ディスプレイ(1980年 ドジャースタジアム)屋外用カラー大型表示装置「オーロラビジョン」がIEEEマイルストーンに認定!(2018年3月)

【世界第一位】ギネス記録。
直島製錬所で鋳造された、重量250㎏の世界一の大金塊。この金塊は土肥マリン観光(株)で見ることが出来る。