みにきて! みつびし

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彌之助・小彌太親子が守った東洋の至宝を展示

静嘉堂文庫美術館

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  • 2022年10月より、美術館の展示ギャラリーは千代田区丸の内の明治生命館1Fに移転しました

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こんにちは! 事務局のカラットです。三菱グループが保有する施設の中には、現在ふたつの美術館があります。ひとつは東洋文庫ミュージアム、そしてもうひとつが静嘉堂文庫美術館です。今回は国宝7点、重要文化財84件を含む、約20万冊の古典籍と6,500点の東洋古美術品の収蔵を誇る、静嘉堂文庫美術館に行ってきました!

静嘉堂文庫美術館。背面に建物はなく、内部正面の大きな窓からは周辺を見渡せる。
静嘉堂文庫美術館。背面に建物はなく、内部正面の大きな窓からは周辺を見渡せる。

事前アンケートでは半数近くの方が「知っている」と回答された静嘉堂文庫美術館は、若者に人気の街、二子玉川の駅からバスに乗って10分ほど、東京都世田谷区岡本の緑豊かな丘の上にあります。小川が流れ、木々の緑が風に揺れる中、緩やかな丘を登って行くと現れるのが静嘉堂文庫と美術館の建物です。

静嘉堂文庫は、三菱二代社長・岩崎彌之助によって明治25年、神田駿河台に設立されました。若い頃から美術品に関心を持っていた彌之助は、明治維新後の急速な西欧化の中で東洋の文化財を散逸させてはならないという使命感で蒐集を続け、没後そのコレクションと事業は息子で四代社長の小彌太に受け継がれます。

駿河台から高輪への移転を経て、大正13年に静嘉堂文庫は現在の岡本へ。昭和15年には貴重な図書を公開して広く研究に役立てるため財団法人設立。さらに静嘉堂文庫創立100周年の平成4年、所蔵する美術品を展示するための静嘉堂文庫美術館が建設され、現在に至ります。

国宝「曜変天目」で宇宙へトリップ!

国宝「曜変天目」(高7.2cm、口径12.2cm、高台径3.8cm)。宇宙を覗きこむような神秘的な美しさ。
国宝「曜変天目」(高7.2cm、口径12.2cm、高台径3.8cm)。宇宙を覗きこむような神秘的な美しさ。

それではさっそく美術館へ。丘の上という立地を生かし、館内正面の大きな窓からは周囲の森やその向こうの街を広く見渡せて、どこかへ小旅行に来たようです。静嘉堂の収蔵品は絵画、彫刻、漆芸、茶道具、文房具、刀剣など多岐にわたり、美術館では年に4~5回、テーマを変えて展覧会を実施しています。収蔵品の中でも有名なのが国宝「曜変天目」。世界に三椀しか現存していない曜変天目のうち、内部に浮かび上がる宇宙のような模様「星紋」がもっとも鮮やかにあらわれている一品です。

私がお邪魔した時は「珠玉の香合・香炉展」の会期中で、曜変天目も特別公開中ということで楽しみにしていました! 初めて対面した曜変天目は、想像していたよりずっと小さなものでした。にも関わらず覗き込めば見えてくるのはまさに宇宙。まるで小さなお椀の底が宇宙の果てにつながっているようで、今にも星が動き出しそうな、不思議な魅力をたたえた美しさでした。

宇宙の果てにはキャンディがあった?! ミュージアムショップに並ぶ曜変天目をモチーフにした各種グッズも楽しみのひとつ。
宇宙の果てにはキャンディがあった?! ミュージアムショップに並ぶ曜変天目をモチーフにした各種グッズも楽しみのひとつ。

曜変天目の出展時はいつも以上に多くの入場者で賑わうそうです。今回のように企画展に時折登場しますのでお見逃しなく! またミュージアムショップでは企画展にちなんだ各種グッズのほか、様々な曜変天目グッズがあるのもお楽しみのひとつです。こちらも静嘉堂ならでは。訪問のお土産にぜひどうぞ。

ジョサイア・コンドル設計の霊廟。静嘉堂の建つ丘はもともとこの霊廟建立のために購入された。
ジョサイア・コンドル設計の霊廟。静嘉堂の建つ丘はもともとこの霊廟建立のために購入された。

さて、現在は美術館が広く知られている静嘉堂ですが、静嘉堂が建つ丘はもともとは明治43年の彌之助の三回忌法要にあたり、霊廟を建立するために小彌太が購入しました。こちらの霊廟も外観を見学することができます。霊廟の設計者は「みつびし みてきた!」でもおなじみのジョサイア・コンドル。内部は黒と白の大理石で作られ、彌之助夫妻と小彌太夫妻、そして忠雄夫妻の三代がこの霊廟で眠っています。

「男爵岩崎君墓碑」と刻まれた雄勝石(おがついし)製の巨大な墓碑。背面には内閣総理大臣・加藤高明(岩崎彌太郎娘婿)や、松方正義、大隈重信といった名前が並ぶ。
「男爵岩崎君墓碑」と刻まれた雄勝石(おがついし)製の巨大な墓碑。背面には内閣総理大臣・加藤高明(岩崎彌太郎娘婿)や、松方正義、大隈重信といった名前が並ぶ。

ちなみに「静嘉堂」とは、中国の古典『詩経』にある「籩豆静嘉」(へんとうせいか)の句から採られた言葉で、「祖先の霊前への供物が立派に整うこと」という意味だそうです。彌之助が堂号として使っていた名前ですが、霊廟の扉には中国で古来親孝行の優れた人物として有名な24人のエピソードを表現した「二十四孝」のレリーフが刻まれており、彌之助・小彌太親子の深いつながりや、二人が祖先を大切に敬った思いを目の当たりにした思いでした。

霊廟の傍らには彌之助を偲ぶ巨大な墓碑が立てられています。こちら、ずっと屋外の風雨にさらされ続けているにも関わらず、まったく削れた跡がなく、さらに墓碑を支える土台の石の大きさは今も不明なのだとか。そんな話を伺うと、深い森の雰囲気とともにどこか神秘的に見えてきます。

彌之助十七回忌に当たる大正13年に建設された静嘉堂文庫。小彌太にとって自分の時間を過ごす大切な場所のひとつだった。
彌之助十七回忌に当たる大正13年に建設された静嘉堂文庫。小彌太にとって自分の時間を過ごす大切な場所のひとつだった。

そして最後にご紹介するのが静嘉堂文庫。現在は研究者の方が所蔵図書などを閲覧するために使用されているところですが、今回特別にご案内いただきました。文庫の建物はコンドルの弟子、桜井小太郎の設計で、読書や研究を目的とした「書斎建築」と呼ばれる様式で建てられており、この様式が実際に使用されている形で残っているのはここだけなのだそうです。

小彌太社長は時々ここへ来て本を読んだり、文庫長だった漢学者の諸橋轍次博士と漢文の勉強をして過ごしたといいます。社長として激務の日々を送っていた小彌太にとって、気持ちの切り替えに必要な場所だったのでしょうね。ここには体が大きく腰痛持ちだったといわれる小彌太が使った体重計が残っています。なぜここにあるのかは謎だそうですが、体重計という生活感・プライベート感の強い品は、小彌太がここで大切にしていた「自分の時間」の象徴のように感じました。

館内に残された小彌太の体重計。白い座面に座り秤を使って測定する。
館内に残された小彌太の体重計。白い座面に座り秤を使って測定する。

曜変天目に遠い宇宙を感じ、岩崎小彌太という人物を少しだけ身近に感じる、わたしが訪れた静嘉堂はそんな場所でした。毎回特色ある多彩な企画展と、四季折々にさまざまな景色も楽しめるこの丘で、あなたの静嘉堂を探してみませんか?


注:本文中の情報等はいずれも2017年7月現在のものです。

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