根本理念「三綱領」

三菱グループの原点

いつまでも色褪せない
「三綱領」の精神

「三綱領」

三菱グループは、多様な分野で活動している企業により構成されています。
各社は各々が独立しながらも個性を尊重し合い、歴史・理念を共有しています。
その共有する理念、それが「三綱領」です。
三綱領とは、第四代社長岩崎小彌太によって示された経営理念。
私たちは、岩崎家の四代社長が切り拓いた「三菱グループの道」を未来につなぎ、この理念をもとに内外に開かれたグループとして活動していきます。

「三綱領」

所期奉公

期するところは社会への貢献

事業を通じ、物心共に豊かな社会の実現に努力すると同時に、かけがえのない地球環境の維持にも貢献する。

事業経営は国家的事業観に立つべきだ、との信念を小彌太社長は持っていました。「…生産活動は国の最も重要な活動の一つである。その活動に携わっているわれわれは、国から極めて重要な任務を任されているとも言える。したがって、事業の究極の目的は国のためにするということであって、その目的達成のためにベストをつくすことがわれわれの理想でなくてはならない」(1920(大正9)年、三菱鉱業株式会社臨時場所長会議におけるスピーチ)。この精神を四文字で表したのが「所期奉公(しょきほうこう)」です。事業活動の究極の目的は社会への貢献だということです。

事業経営は国家的事業観に立つべきだ、との信念を小彌太社長は持っていました。「…生産活動は国の最も重要な活動の一つである。その活動に携わっているわれわれは、国から極めて重要な任務を任されているとも言える。したがって、事業の究極の目的は国のためにするということであって、その目的達成のためにベストをつくすことがわれわれの理想でなくてはならない」(1920(大正9)年、三菱鉱業株式会社臨時場所長会議におけるスピーチ)。この精神を四文字で表したのが「所期奉公(しょきほうこう)」です。事業活動の究極の目的は社会への貢献だということです。

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処事光明

フェアープレイに徹する

公明正大で品格のある行動を旨とし、活動の公開性、透明性を堅持する。

事業経営においては公明正大であることを心がけるよう小彌太社長は一貫して説いてきました。「…競争に熱中し、数字を上げるために、手段や方法を選ばないというようなことが…あってはならない。…われわれは常に社会正義とは何かということを念頭において行動しなければならない。不正には正義を、権謀には正直をもって、われわれは行動すべきである…」(1920(大正9)年、三菱商事株式会社場所長会議におけるスピーチ)。すなわち「処事光明(しょじこうめい)」。何事であれフェアープレイに徹するということです。

事業経営においては公明正大であることを心がけるよう小彌太社長は一貫して説いてきました。「…競争に熱中し、数字を上げるために、手段や方法を選ばないというようなことが…あってはならない。…われわれは常に社会正義とは何かということを念頭において行動しなければならない。不正には正義を、権謀には正直をもって、われわれは行動すべきである…」(1920(大正9)年、三菱商事株式会社場所長会議におけるスピーチ)。すなわち「処事光明(しょじこうめい)」。何事であれフェアープレイに徹するということです。

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立業貿易

グローバルな視野に立って

全世界的、宇宙的視野に立脚した事業展開を図る。

小彌太社長は太平洋戦争勃発の2日後に三菱の幹部たちにこう述べました。「…これまでわが三菱はさまざまな分野で英国や米国のパートナーと協力してきた。それが今や不幸にして敵と味方に引き裂かれてしまったが、彼らの身辺と権益を守ることは日本人の情義であり責務である。…いずれの日にか再び彼らと協力しあって世界の平和や人類の福祉に貢献するときが来るだろう」(1941(昭和16)年、三菱協議会におけるスピーチ)。「立業貿易(りつぎょうぼうえき)」の意味は、文字通りには「対外貿易を主たる業務とする」ことですが、小彌太社長が言いたかったことは、グローバルな視野に立つことの重要性です。

小彌太社長は太平洋戦争勃発の2日後に三菱の幹部たちにこう述べました。「…これまでわが三菱はさまざまな分野で英国や米国のパートナーと協力してきた。それが今や不幸にして敵と味方に引き裂かれてしまったが、彼らの身辺と権益を守ることは日本人の情義であり責務である。…いずれの日にか再び彼らと協力しあって世界の平和や人類の福祉に貢献するときが来るだろう」(1941(昭和16)年、三菱協議会におけるスピーチ)。「立業貿易(りつぎょうぼうえき)」の意味は、文字通りには「対外貿易を主たる業務とする」ことですが、小彌太社長が言いたかったことは、グローバルな視野に立つことの重要性です。

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