ゆかりの名所・史跡・文化施設

三菱の「ゆかり」に出会う旅。

2010年に復元されて美術館となった東京丸の内の三菱一号館をはじめ、岩崎彌太郎の生家、静嘉堂文庫美術館や東洋文庫、清澄庭園や六義園など、日本全国には三菱ゆかりの文化遺産が数多くあります。 こうした建物や美術館、庭園などで今でも三菱の歴史の一端を垣間見ることができます。ここでは次世代に受継がれる三菱ゆかりの貴重な文化遺産の中から、広く一般に公開されているスポットをご紹介します。

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三菱ゆかりの名所・
史跡・文化施設のご紹介

三菱のはじまり、岩崎彌太郎の生家へ。

岩崎彌太郎生家
岩崎彌太郎生家

 1835(天保5)年、岩崎彌太郎は、父・彌次郎と母・美和の長男として生まれました。 弟・彌之助、長男・久彌も同じくここに生まれました。
 生垣で囲まれた敷地には、1795(寛政7)年に曽祖父が移築した茅葺きの生家と 明治中期に建てられた土蔵があり、蔵の鬼瓦には岩崎家の家紋で三菱マークの原型といわれる「三階菱」を見ることができます。中庭の石組みは、彌太郎が少年期に自ら日本列島を模して、世界にはばたく夢を表したものといわれています。


三菱センターデジタルギャラリー

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DATA

【所在地】

高知県安芸市井ノ口甲1696
お問い合わせ先:安芸市商工観光水産課
TEL. 0887-35-1011




【最寄駅】

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線「安芸」駅より車で約10分

岩崎家の本家本邸で、第3代・久彌の暮らしを感じる。

旧岩崎邸庭園
旧岩崎邸庭園

 1896(明治29)年、岩崎彌太郎の長男・久彌により岩崎家本邸として建てられました。 洋館と撞球室(ビリヤード場)は鹿鳴館の建築家として知られる英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計によるものです。 当時は15,000坪の敷地に50棟以上の建物がありましたが、現在は洋館・撞球室・和館(広間)の3棟のみが残っています。
 コンドルの代表作として名高い洋館には、本格的なヨーロッパ式邸宅の随所に見事なジャコビアン様式の装飾が。 同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが、当時の華やかな暮らしを偲ばせます。



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三菱センターデジタルギャラリー

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DATA

【所在地】

東京都台東区池之端1-3-45
TEL. 03-3823-8340

開園時間:9時~17時(入園は16時30分まで)
休園日:12月29日~1月1日

【最寄駅】

地下鉄千代田線「湯島」駅下車 徒歩3分
地下鉄銀座線「上野広小路」駅下車 徒歩10分
地下鉄大江戸線「上野御徒町」駅下車 徒歩10分
JR山手線・京浜東北線「御徒町」駅下車 徒歩15分

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近代農業実践の場となった久彌終焉の地

旧岩崎久彌末廣農場別邸公園
末廣農場

末廣別邸主屋。貴重な昭和初期の別荘建築として国の有形文化財に登録されている

馬車に乗る久彌と橘農場長

馬車に乗る久彌と橘農場長(写真所蔵:橘家)

ガラス障子

主屋には室内を明るくするためガラス障子が多く用いられている

 明治26(1893)年、三菱の第三代社長となった岩崎久彌は、鉱業、金融、造船など事業の多角化を進めますが、大正 5(1916) 年に社長を退いた後は、かねてから手がけたいと願っていた農牧事業に力を注ぎました。岩手県、岩手山麓にある小岩井農場とともに、 その実践の場となったのが、現富里市に開設された「末廣農場」でした。農場の総面積は東京ドーム約73個分にも及び、農地が扇のような「末広がり」の形であったことが名の由来になりました。 ここでは放し飼いによる養鶏、養豚をはじめ、ハムやベーコンなどの農産品も生産。大豆の収穫を増やす栽培法を確立したり、 富里名産のスイカの原種を栽培するなど、実験的な試みで日本の農牧業の近代化に貢献しました。久彌は農場に別邸を建て、 自ら鶏の世話や草取りもしていたというエピソードは、久彌の飾らない人柄と農牧業への深い想いを今に伝えています。
 第二次世界大戦後の農地解放により、末廣農場は 30 余年にわたる歴史の幕を下ろすことになります。 昭和 24(1949)年、久彌は末廣別邸に移り住みますが、間もなく病に倒れ、療養生活ののち、昭和 30(1955)年 12 月 2 日、90 歳でその生涯を閉じました。
 久彌終焉の地となった「旧岩崎家末廣別邸」は当時の趣のままに保存されており、現在、令和7年度からの一般公開を目指し、修復工事が進められています。 また、その向かいには富里の農産物や岩崎家ゆかりの地の産品を販売する観光施設「末廣農場」があり、その一角には末廣農場の歴史を物語る展示コーナーが設けられています。


三菱センターデジタルギャラリー

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DATA

【所在地】

千葉県富里市七栄 650-25

TEL.
(中央公民館) 0476-92-1211 (社会教育班)0476-92-1211
(文化資源活用班) 0476-93-7641 (スポーツ振興班) 0476-92-1597

【問合せ】

旧岩崎久彌末廣農場別邸公園について
(富里市役所経済環境部商工観光課観光振興班)0476-93-4942
旧岩崎家末廣別邸について
(富里市役所教育部生涯学習課文化資源活用班)0476-93-7641

開園時間:10時~16時(最終入園15時30分)
休園日:月曜日(祝日の場合は次の平日)・年末年始
入園料:無料

【車でお越しの方】

・佐倉方面から:国道296号線「七栄末広南」交差点を左折
・芝山方面から:国道296号線「七栄末広南」交差点を右折
※カーナビを設定する際は、旧岩崎家末廣別邸の所在地「富里市七栄650-25」と設定してください。

【電車・バスでお越しの方】

京成本線京成成田駅から、京成成田駅中央口発着5番線「千葉交通本城台線」に乗車し、「末広」バス停から徒歩10分

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明治と昭和、2つの時代を体感できる空間。

旧永山武四郎邸及び旧三菱鉱業寮
旧永山武四郎邸及び旧三菱鉱業寮

 旧永山武四郎邸は明治10年代前半、屯田事務局長時代の永山武四郎が私邸として建築しました。 その後1911(明治44)年、三菱合資会社が永山邸の土地・建物を買収し、1937(昭和12)年頃に三菱鉱業寮部分を増築しました。
 旧永山武四郎邸と旧三菱鉱業寮は、明治前半期・昭和期の時代様式をそれぞれよく表しており、 それらが共存している点でも建築的価値が高い建物です。
 1985(昭和60)年に札幌市が建物を譲り受け、1987(昭和62)年に旧永山武四郎邸が北海道指定有形文化財に、 旧三菱鉱業寮は2019(令和元)年、国登録有形文化財に選定されています。

DATA

【所在地】

北海道札幌市中央区北2条東6丁目
TEL. 03-3283-9252

開館時間:9時~22時
休館日:毎月第2水曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始



多くの人が訪れる、明治時代を代表する「回遊式林泉庭園」。

清澄庭園
清澄庭園

 1878(明治11)年、岩崎彌太郎は社員の慰労や貴賓を招待する場所として、かつての大名の屋敷跡を購入し、広大な庭園を造成しました。 彌太郎の亡きあとも造園工事は進められ、園内を回遊して鑑賞する「回遊式林泉庭園」が完成しました。関東大震災で大きな被害を受けましたが、 災害時の避難場所として、多数の人命を救いました。
 大震災の翌年に東京市に寄付され、1932(昭和7)年に清澄庭園として開園しました。

DATA

【所在地】

東京都江東区清澄3-3-9
TEL. 03-3641-5892

開園時間:9時~17時(入園は16時30分まで)
休園日:12月29日~1月1日

【最寄駅】

地下鉄大江戸線・地下鉄半蔵門線「清澄白河」駅下車 徒歩3分

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歴史を巡るとともに、酪農、山林事業を学んでみよう。

小岩井農場
小岩井農場

 小岩井農場は共同創始者の小野義眞(日本鉄道会社副社長)、岩崎彌之助(三菱社社長)、井上勝(鉄道庁長官)の3名の名前から一文字ずつ取って「小岩井」と命名されました。 1891(明治24)年の開設当時は極度に痩せた酸性土壌であったため、基盤整備に数十年を要しましたが、現在では緑豊かな農場となりました。
 重要文化財に指定されている歴史的建造物や生産現場をご案内して酪農・山林事業などへの理解と関心を深めていただく参加型プログラムも展開中です。


三菱センターデジタルギャラリー

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DATA

【所在地】

岩手県岩手郡雫石町丸谷地36-1
TEL. 019-692-4321

【最寄駅】

JR「盛岡」駅より「小岩井農場まきば園行き」バス乗車 約35分
東北自動車道 盛岡ICより約15分(国道46号を秋田方面へ)

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久彌の別邸で、安らぎのひとときを。

三養荘
三養荘

 1929(昭和4)年、岩崎久彌の別邸として、京都の庭師小川治兵衛の手による壮大な日本庭園の中に、瀟洒な数寄屋造りの和風建築邸が建設されました。
 1947(昭和22)年には、旅館「三養荘」として営業を始め、現在でも3,000坪の庭園の眺望を楽しむことができます。2017(平成29)年6月、国の登録有形文化財へ登録されました。

DATA

【所在地】

静岡県伊豆の国市ままの上270
TEL. 055-947-1111

【最寄駅】

伊豆箱根鉄道 「伊豆長岡」駅より車で約5分

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日本の近代化を支えた鉱山。現在は観光坑道に。

史跡 生野銀山

 807(大同2)年に発見されたと伝えられ、織田・豊臣・徳川の時代を経て、佐渡金山とともに日本の近代化を支えた大銀山。 1973(昭和48)年に閉山するまでに、銀1,723トンを産出。現在は三菱マテリアルのグループ会社が観光坑道として公開しています。 2017(平成29)年に日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」の構成文化財に認定されました。

DATA

【所在地】

兵庫県朝来市生野町小野33-5
TEL. 079-679-2010



1,270年もの間、金・銀・銅を産出し続けた東北の鉱山。

史跡 尾去沢鉱山

 708(和銅元)年に発見されたと伝えられる鉱山で、1889(明治22)年から三菱の経営となり、 1978(昭和53)年に閉山するまでに金4.4トン、銀155トン、銅30万トンを産出。現在は三菱マテリアルのグループ会社が観光坑道として公開しています。

DATA

【所在地】

秋田県鹿角市尾去沢字獅子沢13-5
TEL. 0186-22-0123



世界遺産候補の大金山に足を運んでみよう。

史跡 佐渡金山
史跡 佐渡金山

 1601(慶長6)年に発見された金銀鉱山。江戸幕府や明治政府の財政を支えた後、 生野鉱山とともに1889(明治22)年、皇室の財産となり、1896(明治29)年、三菱合資会社に払い下げられました。 その後、三菱鉱業(のちの三菱マテリアル)が経営し、1989(平成元)年に閉山するまでの388年間に金78トン、銀2,330トンを産出。 現在は観光施設として一般公開され、自治体とも協力しながら世界遺産登録に向けた取り組みを進めています。

DATA

【所在地】

新潟県佐渡市下相川1305
TEL. 0259-74-2389



東洋古美術品と古典籍の宝庫を巡る。

静嘉堂文庫・静嘉堂文庫美術館
静嘉堂文庫

静嘉堂文庫全景。文庫建物は東京都選定歴史的建造物

明治生命館
曜変天目

上:明治生命館 外観 右:国宝 曜変天目(「稲葉天目」)

 静嘉堂は、明治期という西欧文化偏重の世相の中、軽視されがちだった東洋固有の文化財の散亡を怖れた岩崎彌之助により1887(明治20)年頃から本格的に収集が開始され、 さらに嫡子・小彌太によって拡充されました。国宝7件、重要文化財84件を含む6500余件に及ぶ東洋古美術品と約20万冊の和漢の古典籍を収蔵しています。
 文庫(図書館)に加え、1977(昭和52)年より展示館で美術品の一般公開を行ってきましたが、 静嘉堂文庫創設百周年に際して美術館が建設され、92(平成4)年4月、静嘉堂文庫美術館が開館しました。
 開館30周年を迎える2022(令和4)年10月より、美術館の展示ギャラリーは丸の内の明治生命館1階へ移転。「静嘉堂@丸の内」として公開されています。


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DATA

【所在地】

東京都世田谷区岡本2-23-1
TEL. (文庫)03-3700-2250
  (美術館)03-3700-0007
案内等:050-5541-8600(ハローダイヤル)
駐車場:美術館前約20台 正門脇約40台

美術館展示ギャラリー移転先(2022年10月〜)
東京都千代田区丸の内2-1-1 明治生命館1F

【最寄駅】

東急大井町線・田園都市線「二子玉川」駅より東急コーチバス「静嘉堂文庫」下車 徒歩5分
小田急「成城学園前」駅より二子玉川行きバス「吉沢」下車 徒歩10分

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文庫での図書閲覧は要予約。
詳細はハローダイヤルまでお問い合わせください。

岩崎小彌太と成蹊学園創立者・中村春二の友情の軌跡をたどる

成蹊学園史料館
現在の学園の校舎

現在の学園の校舎

中村春二氏が描いた成蹊実務学校全景

中村春二氏が描いた成蹊実務学校全景

岩崎小彌太、中村春二の学生時代

岩崎小彌太、中村春二の学生時代

三菱の二代目社長である父・彌之助の長男として生まれた岩崎小彌太は、 中学時代、のちに成蹊学園創立者となる中村春二と、銀行家になる今村繁三と出会い、 その後終生友情を育みました。中村の成蹊学園創立の際には今村とともに援助し、 成蹊学園理事長にも就任するなど成蹊学園の経営基盤を支え続けました。 成蹊学園史料館では、彼らの友情によって生まれた成蹊学園の100年を超える歩み、 独自の教育理念と実践の様子を、120インチの大型スクリーンやジオラマ、 中村春二の肉声など映像・画像を豊富に取り入れた展示によって伝えています。

DATA

【所在地】

東京都武蔵野市吉祥寺北町3-3-1
TEL. 0422-37-3994
E-mail: archives@jim.seikei.ac.jp

開館時間:9時30分~16時30分
休館日:土曜日・日曜日・祝日・学園の定める休業日

【最寄駅】

JR中央線・総武線・京王井の頭線『吉祥寺』駅下車 徒歩約15分、吉祥寺駅北口バスのりば1・2番より関東バス約5分『成蹊学園前』
西武新宿線『西武柳沢駅』南口より関東バス(吉祥寺駅行き)約15分『成蹊学園前』下車

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久彌、文化発展への想いとともに眠る100万冊。

東洋文庫
ミュージアム2Fモリソン書庫

ミュージアム2Fモリソン書庫

国宝 東洋文庫外観

東洋文庫外観

レストラン“オリエント・カフェ”

レストラン“オリエント・カフェ”

 東京・文京区、不忍通り沿いに位置する東洋文庫。1917(大正6)年、岩崎久彌が当時の中華民国総統府顧問だったG・E・モリソンの膨大な蔵書を購入、 さらに収集の範囲をアジア全域へと拡大して和漢籍の充実を図り、1924(大正13)年に日本初の東洋学を対象とする研究図書館を設立しました。 現在の蔵書は約100万冊。国宝5点・重要文化財7点をはじめとするアジア諸言語の資料など、世界的に貴重な文献が収蔵されています。 また、東洋学の研究機関としても国内外の中心的役割を果たしています。
 これらの貴重書および東洋学の普及のため、ミュージアムを設置しています。 最新のデジタル技術や空間演出を駆使し、国宝・重要文化財を中心とした貴重書や絵画など、長らく秘蔵であった品々を展示しています。 その他、小岩井農場が運営するレストラン“オリエント・カフェ”も併設されており、農場から直送の食材を利用した料理が楽しめます。


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DATA

【所在地】

東京都文京区本駒込2-28-21
TEL.(閲覧係)03-3942-0122
  (ミュージアム)03-3942-0280
  (オリエント・カフェ)03-3942-0400


閲覧室
開館時間:10時〜16時 ※事前予約が必要
休館日:火曜日・日曜日・祝日・年末年始
入館料:無料

ミュージアム
開館時間:10時〜17時
休館日:火曜日(祝日の場合は次の平日)
入館料:900円(各種割引有、友の会会員無料)

オリエント・カフェ
開店時間:11時30分〜21時
定休日:ミュージアムと同じ

【最寄駅】

JR山手線・地下鉄南北線
「駒込」駅下車 徒歩8分
地下鉄三田線「千石」駅下車 徒歩7分
都営バス「上富士前」駅下車 徒歩1分

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図書館内資料は閲覧無料。また「東洋学講座」は1926年から続く歴史の古い公開講座で、毎年春と秋に開催しています。

三菱の守り神として継承し続けられている場所。

土佐稲荷神社
土佐稲荷神社

 土佐稲荷神社は江戸中期に土佐藩主の山内豊隆が大阪の土佐藩邸の西蔵屋敷を稲荷神社として造営したのが始まりです。 明治時代に彌太郎の所有となりましたが、氏の敬神の念篤く、以降神社は三菱の守り神として引き継がれることとなりました。 また、この地は三菱の原点である九十九商会ができた場所でもあります。


三菱センターデジタルギャラリー

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DATA

【所在地】

大阪府大阪市西区北堀江4-9-7
TEL. 06-6531-2826

【最寄駅】

地下鉄千日前線・長堀鶴見緑地線「西長堀」駅下車 徒歩4分

武蔵野台地の自然の地形を利用した、歴史ある庭園。

殿ヶ谷戸庭園
殿ヶ谷戸庭園

 江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘を1929(昭和4)年に岩崎家が別邸として買い取ったのち、 津田鑿の設計で洋風邸宅を造り直し、数奇屋造りの茶室(紅葉亭)などを追加整備して完成した殿ヶ谷戸庭園。
 武蔵野の自然の地形を巧みに利用した和洋折衷の「回遊式林泉庭園」となっており、 現在では東京都が所有し、有料庭園として公開しています。

DATA

【所在地】

東京都国分寺市南町2-16
TEL. 042-324-7991

開園時間:9時~17時(入園は16時30分まで)
休園日:12月29日~1月1日

【最寄駅】

JR中央線・西武国分寺線・西武多摩湖線「国分寺」駅下車 徒歩2分

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戦前の貨客船文化を今に伝える。

日本郵船氷川丸
日本郵船氷川丸

 氷川丸は、1930(昭和5)年にシアトル航路用に建造された貨客船です。 当時の最新鋭の船として、戦前の豪華貨客船時代を彷彿とさせます。第二次大戦中は海軍の病院船として活躍、 1961(昭和36)年に山下公園特設桟橋に係留され、一般公開。2016(平成28)年に国の重要文化財に指定されました。 現在、横浜のシンボルとして多くの人々に親しまれ、貴重な産業遺産として高く評価されています。

DATA

【所在地】

神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先
TEL. 045-641-4362

開館時間:10時~17時
休館日:月曜日
※臨時休館日あり



【最寄駅】

地下鉄みなとみらい線「元町・中華街」駅下車 徒歩3分
JR「石川町」駅または「関内」駅下車 徒歩15分

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近代日本海運の夜明けから今日まで。

日本郵船歴史博物館
日本郵船歴史博物館

 日本郵船の誕生秘話から現代に至るまで、130年を超える歴史を紹介する博物館。 精巧で迫力あるモデルシップ、貴重な文書、美しいデザインの客船パンフレットなど、数々の資料を展示しています。 日本郵船横浜支店として1936(昭和11)年に竣工した歴史的建造物は、2階部分まで貫く華麗なコリント式列柱が特徴的です。

DATA

【所在地】

神奈川県横浜市中区海岸通3-9
TEL. 045-211-1923

開館時間:10時~17時
休館日:月曜日、年末年始
※臨時休館日あり



【最寄駅】

地下鉄みなとみらい線「馬車道」駅下車 徒歩2分
JR「関内」駅下車 徒歩8分
JR「桜木町」駅下車 徒歩12分

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1万坪の庭園で四季の移ろいをゆったりと楽しむ。

箱根湯本吉池旅館
箱根湯本吉池旅館

 1万坪を超える庭園の一角に、国登録文化財の旧岩崎家別邸が建ち、見事な景観を造り上げている、1941(昭和16)年創業の吉池旅館。 1908(明治41)年に造園された回遊式庭園には、春は桜とツツジとカラー、夏は紫陽花、秋は紅葉と、四季折々の風情を楽しめます。

DATA

【所在地】

神奈川県足柄下郡箱根町湯本597
TEL. 0460-85-5711

【最寄駅】

箱根登山線「箱根湯本」駅下車 徒歩7分

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解体された「三菱一号館」を、大都会の真ん中に再現。

三菱一号館美術館
復元された三菱一号館。1階にはカフェ、ショップ、三菱一号館歴史資料室、三菱センター デジタルギャラリーがある

復元された三菱一号館。1階にはカフェ、ショップ、三菱一号館歴史資料室、三菱センター デジタルギャラリーがある

現在カフェとなっている空間は、明治期には銀行営業室として利用されていた

現在カフェとなっている空間は、明治期には銀行営業室として利用されていた

 2010(平成22)年、東京・丸の内に美術館として開館。19世紀後半から20世紀前半の近代美術を主題とする企画展を年3回開催しています。 赤煉瓦の建物は、三菱により1894(明治27)年に丸の内における最初のオフィスビルとして、ジョサイア・コンドルの設計のもと、 英国ヴィクトリア時代のクイーン・アンスタイルで建設された「三菱一号館」(1968年に解体)を、建設当時の図面や写真資料を元に可能な限り忠実に復元。 コレクションは、建物と同時代の19世紀末西洋美術を中心に、トゥールーズ= ロートレックをはじめルドン、ヴァロットン作品などを収蔵しています。
 館内には、カフェ・バー「Café 1894」、ミュージアムショップ「Store 1894」、丸の内の歴史体感スペース「歴史資料室」、三菱グループが所有する文化財をアーカイブ形式で閲覧できる 「三菱センターデジタルギャラリー」なども併設。かつて丸の内が「一丁倫敦(ロンドン)」と呼ばれ親しまれた赤煉瓦街時代に、思いを馳せることができる空間となっています。

DATA

【所在地】

東京都千代田区丸の内2-6-2
TEL.050-5541-8600(ハローダイヤル)

開館時間:10時~18時(入館は17時30分まで)
※祝日除く金曜、第2水曜、会期最終週平日は21時まで
※臨時の時間変更の場合あり
※全館2023年4月10日から長期休館。2024年秋再開館予定。

【最寄駅】

JR「東京」駅丸の内南口・「有楽町」駅国際フォーラム口より徒歩5分
地下鉄千代田線「二重橋前」駅1番出口より徒歩3分

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美術館の開館は展覧会期間。臨時休館の場合もあるので詳細はお問い合わせください。

120年の時を超え、赤煉瓦館に息づく長崎造船所の歴史。

三菱重工・長崎造船所 史料館
三菱重工・長崎造船所 史料館

 造船業形成期の1898(明治31)年、鋳物製品の需要増大に伴って鋳型製造のための木型を製作する「木型場」として建設されました。
 総煉瓦造りの建物は、長崎造船所で最初に電気を動力として使用した工場建屋で、1985(昭和60)年に史料館として改装され、 日本最古の工作機械や、国内初の国産陸用蒸気タービンなど貴重な資料約900点を展示しています。2015(平成27)年7月、 「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつとして世界遺産に登録されました。

DATA

【所在地】

長崎県長崎市飽の浦町1-1(三菱重工業株式会社長崎造船所内)
TEL. 095-828-4134

【最寄駅】

JR「長崎」駅

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同史料館は補修工事のため、現在休館中

日本の海運を支えた近代船員教育の先駆け

三菱商船学校
「船員教育発祥之地」の記念碑

永大橋西側に建つ「船員教育発祥之地」の記念碑

アンカーの塔

東京海洋大学越中島キャンパスに商船教育発祥を記念して建てられた「アンカーの塔」

岩崎彌太郎の肖像入り記念切手

商船教育 110年にあたり、昭和 61(1986)年には岩崎彌太郎の肖像入り記念切手が発行された

 明治8(1875)年、日本の海運力強化をめざした明治新政府が、海運業に実績のあった郵便汽船三菱会社に船員の育成を命じたことにより、 私立の「三菱商船学校」が設立されました。長く鎖国が続いていた日本の海運は欧米列強に大きく遅れており、明治に入っても外国人船員に頼らざるを得ない状況でした。 そのなかで設立された三菱商船学校は、日本における近代的な船員教育の先駆けとなったのです。
 設立当初は、隅田川下流に架かる永代橋近くに繋留された帆船「成妙丸」を練習船兼校舎としていましたが、後に江東区西部の越中島に移ります。
 明治15(1882)年には私立から官立に移管され「官立東京商船学校」に改称。戦後は国立大学となり、 昭和32(1957)年には「東京商船大学」に改称されました。平成15(2003)年には東京水産大学との統合によって現在の「東京海洋大学」が設立されます。
 三菱商船学校の流れをくむ東京海洋大学海洋工学部は、現在も三菱商船学校があった越中島にキャンパスがあります。 来たる令和7(2025)年に開学150周年を迎えることとなる今も、その実績と伝統を未来につなげています。 また、三菱商船学校設立の地、永代橋西詰には、「船員教育発祥之地」と記された記念碑が建立されており、当時をしのぶことができます。

DATA

「船員教育発祥之地」の記念碑

【所在地】

東京都中央区新川1-30先 永代橋橋詰


【最寄駅】

東京メトロ茅場町駅から徒歩10分

旧岩崎邸庭園の近くで三菱の歴史を知ろう。

三菱史料館(三菱経済研究所付属)
瀟洒な煉瓦造りの三菱史料館の外観

瀟洒な煉瓦造りの三菱史料館の外観

閲覧室

閲覧室

三菱の歴史と時代背景を分かりやすく展示

三菱の歴史と時代背景を分かりやすく展示

 三菱ゆかりの地、旧岩崎家茅町本邸(旧岩崎邸庭園)に隣接する岩崎彦彌太(彌太郎の孫)の邸宅跡地に建てられた三菱史料館。 1995(平成7)年の三菱創業125年記念事業として、金曜会28社(当時)の拠出により設立され、公益財団法人三菱経済研究所に併設されています。 三菱創業以来の経営史料等を収集・保管・公開するとともに、三菱および日本の産業発展史の調査・研究を行っています。
 展示室では、明治維新期の創業から今日に至るまでの三菱の歴史と時代背景を分かりやすくパネルで説明、また所蔵史料の一部を展示して広く一般に公開しています。
 岩崎彌太郎自筆の書や創業当時の契約書をはじめとした文書類や古い写真などの展示史料は、いずれも三菱とわが国の産業発展史を物語る興味深いものです。




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DATA

【所在地】

東京都文京区湯島4-10-14
TEL. 03-5802-8673
E-mail: siryokan@meri.or.jp

展示室:入館無料
開館時間:10時~16時30分(入館は16時まで)
休館日:土曜日・日曜日・祝日・年末年始
※グループでの見学の場合には、事前にご連絡ください。

【最寄駅】

地下鉄千代田線「湯島」駅下車 徒歩6分
地下鉄丸ノ内線・大江戸線「本郷三丁目」駅下車 徒歩10分

公式サイトはこちらblank icon

史料閲覧は事前にご予約ください。三菱の歴史に関する各種照会にも電話やEメールなどで応じています。

昭和の建造物初、国の重要文化財に指定された歴史ある建物。

明治生命館
明治生命館

 1934(昭和9)年、3年7カ月にわたる大工事を経て竣工した建物で、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8階、地下2階という 当時としては最先端の設備を持ったビルでした。設計は建築界の重鎮、東京美術学校(現東京芸術大学)岡田信一郎教授。 古典主義様式の最高傑作として高く評価され、近代洋風建築の代表的な建造物といわれています。
 終戦後にGHQに接収され、対日理事会の会場として使用されるようになるなど、昭和の激動を乗り越えてきた歴史が刻まれています。 1階には静嘉堂文庫美術館の展示ギャラリー「静嘉堂@丸の内」がオープンし、静嘉堂のコレクションを公開しています。

DATA

【所在地】

東京都千代田区丸の内2-1-1
TEL. 03-3283-9252

開館時間:土曜日・日曜日の11時~17時
     水曜日・木曜日・金曜日の16時30分~19時30分
休館日:12月31日~1月3日およびビル点検日
※水~金曜日(祝日は除く)は、2階の一部と1階ラウンジのご案内



【最寄駅】

JR「東京」駅下車 徒歩5分
JR「有楽町」駅下車 徒歩5分
地下鉄千代田線「二重橋前」駅直結

公式サイトはこちらblank icon

小彌太が植えたツツジの傍らで、箱根・芦ノ湖を望む。

山のホテル
山のホテル

 岩崎小彌太別邸跡地に建つ、芦ノ湖畔のリゾートホテル。広大な庭園には、岩崎小彌太が植えたとされる樹齢100年を超えるツツジが。 その他、シャクナゲをはじめ、富士山を借景に芦ノ湖畔の春・夏・秋・冬と移りゆく風情が堪能できます。

DATA

【所在地】

神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80
TEL. 0460-83-6321




和歌の心息づく雅な江戸の大名庭園で回遊を楽しむ。

六義園(りくぎえん)
六義園(りくぎえん)

 六義園は、5代将軍綱吉の側用人、柳澤吉保が造営した大名庭園であり、造園当時から後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられていました。六義園の名称は、『古今和歌集』の「 六義 りくぎ 」という和歌の6つの基調を表す語に由来しています。
 7年の歳月をかけ「回遊式築山泉水庭園」が完成。平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、繊細で温かみのある日本庭園です。 明治時代に岩崎彌太郎が所有したのち、1938(昭和13)年に東京市に寄贈されました。現在国の特別名勝にも指定されています。

DATA

【所在地】

東京都文京区本駒込6-16-3
TEL. 03-3941-2222

開園時間:9時~17時(入園は16時30分まで)
休園日:12月29日~1月1日

【最寄駅】

JR・地下鉄南北線「駒込」駅下車 徒歩7分
地下鉄三田線「千石」駅下車 徒歩10分

公式サイトはこちらblank icon