旧岩崎邸庭園
旧岩崎邸庭園
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旧岩崎邸庭園全景
旧岩崎邸庭園は明治29(1896)年に岩崎彌太郎の長男で三菱第三代社長の久彌の本邸として造られました。
ジョサイア・コンドルの設計の洋館は、17世紀の英国ジャコビアン様式の見事な装飾が随所に見られ、イギリス・ルネサンス様式やイスラーム風のモティーフなどが採り入れられています。 -
洋館1階 ホール
鹿鳴館時代を彷彿とさせる1階中央のホール。天井の意匠、床の木組、暖炉のしつらえなど、随所に手の込んだデザインが施されています。
各室に暖炉が設けられていますが、こうした設備の有無が本格的な洋館の証のひとつとされています。日常は、西側通路で結ばれた和館から移動する際にスリッパを使用し、外国からの来客があったときにだけ靴を履いたといわれています。また、1階ホールから2階へと続く大階段は、支柱のない構造となっています。 -
洋館1階 婦人客室
設計者コンドルが好んで用いたイスラム風デザインが取り入れられています。シルクのペルシャ刺繍が施された布張りの天井になっています。
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庭園
江戸期に越後高田藩榊原氏、及び明治初期は舞鶴藩牧野氏の屋敷でありました旧岩崎邸の庭は、大名庭園の形式を一部踏襲していました。建築様式同様に和洋併置式とされ、「芝庭」をもつ近代庭園の初期の形を残しています。往時をしのぶ庭の様子は、江戸時代の石碑、和館前の手水鉢や庭石、モッコクの大木などに見ることができます。この和洋併置式の邸宅形式は、その後の日本の邸宅建築に大きな影響を与えています。
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撞球室
コンドル設計の撞球室(ビリヤード場)は、洋館から少し離れた位置に別棟として建っています。ジャコビアン様式の洋館とは異なり、当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の造りとなっています。全体は木造建築で、校倉造り風の壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、アメリカの木造ゴシックの流れを組むデザインです。洋館から地下道でつながっており、内部には貴重な金唐革紙の壁紙が貼られています。
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和館
洋館と結合された和館は、書院造りを基調にしています。完成当時は建坪550坪に及び、洋館を遥かにしのぐ規模を誇っていました。現在は、洋館同様冠婚葬祭などに使われた大広間の1棟だけが残っています。施行は大工棟粱として、政財界の大立者たちの屋敷を数多く手がけた大河喜十郎と伝えられています。床の間や襖には、橋本雅邦が下絵を描いたと伝えられる日本画など障壁画が残っています。
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2階客室
洋館2階には婦人客室や集会室など、来客用ではありますが比較的プライベートな空間が配されていました。
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2階ベランダ
洋館南側には、コロニアル様式の大規模なベランダが設けられています。
1階にトスカナ式の列柱、2階にイオニア式の列柱が立っています。床には草花文の多色象嵌のビクトリアン・タイルが、一面に敷き詰められています。