
三菱人物伝
志高く、思いは遠く ―岩崎小彌太物語vol.02 グローバルな世界観と勇気と
小彌太は敗戦直後に GHQの財閥解散要求を拒否した。では彼は偏狭な反欧米主義者だったのか。そうではない。彼のグローバルな考え方は日米開戦の時にはっきり示された。今から考えてみると日本がほとんど全世界を相手に戦争するなど、およそ考えられないことだ。だが昭和になってから日本は、急激に世界から孤立し、一部の偏狭な国家主義者的政治家と軍部の指導者に引きずられて悲劇的な戦争に突入した。
小彌太は若い頃英国に学び、周囲には国際的な考えの人も多かったが、なにせ国内では少数派だった。軍部若手将校らは自由主義外交と財閥を目の仇にし、五・一五事件や二・二六事件などで襲撃・暗殺を繰り返した。三菱銀行本店も三井銀行本店も襲撃された。国際情勢に通じていた小彌太は、親しい外交官や軍人には平和を維持すべしと主張していた。しかし世の大勢は変わらなかった。
1941年12月8日、日本海軍はハワイ真珠湾の米国太平洋艦隊を奇襲攻撃、太平洋戦争が始まった。開戦直後の予想以上の「大戦果」に国民は狂喜した。開戦二日目の12月10日、小彌太は三菱協議会(三菱系各社の最高幹部の集まり)を招集した。
そのとき、彼はこう語った。
「今度の戦争は日本始まって以来の大事件だ。自分はこれまで国民の一員として政治外交上の問題にいろいろ意見を言ってきたが、ことここに至っては国の方向は明らかだ。こうなった以上は天皇の命令に従い一致協力して勝つために努力しよう」
このあたりは、明治生まれの日本人の共通感覚である。また小彌太は男爵でもあり、天皇家を崇敬していた。だが、彼の志は次の言葉に表れている。
「しかしこの機会に諸君に特に考えて欲しいことがある。第一は目前の情勢の変化に惑わされず常に百年の大計を立てて事に処して欲しい。この戦争は一時のことだ。何時(いつ)までも戦争が続く訳ではない。そう考えて大局を見て経営に当たって貰いたい」
英米の旧友を忘れるな
「第二は英米の旧友を忘れるなということである。これまで三菱と提携してきた多くの英米の友人がいる。彼等とは今日まで事業の上で利害を共にしてきた。今や不幸にして戦火を交える両国に分かれたが、これによってこれまでの友情が変る事はありえない。国法の許す限り彼等の身辺と権益を保護すべきである。いつの日か平和が回復したら、また彼等と手を携えて、再び世界の平和と人類の福祉のために扶(たす)けあおう」
開戦二日目、アメリカとイギリスに敵愾心が燃え上がっている最中である。たとえ社内とはいえこの発言は勇気がいることだった。社長の周囲ではこの話が外に洩れないかとハラハラした。外部に聞こえたらどんなことになったか分からない。
小彌太は素直に自分の考えを語っただけで別に二心があった訳ではない。しかしここに小彌太の世界人としての思想がよく表れている。
この社長の考え方をうけて、三菱電機や三菱石油では戦時中も英米系の提携先企業の権益を可能な限り保護した。そのことはアメリカ側にも伝わった。そして敗戦後の事業再開の時に大いに役だった。
小彌太はこのようなグローバルな考えをどのようにして身につけたのだろうか?(つづく)
文・宮川 隆泰
- 三菱広報委員会発行「マンスリーみつびし」1998年5月号掲載。本文中の名称等は掲載当時のもの。