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助成プロジェクト 成果レポート
いまも世界で感染が広がる新型コロナウイルス感染症。その感染の有無を調べる検査法として確立しているのが、PCR検査や抗原検査です。しかし、所要時間や精度などで課題を抱えています。そうした中、まったく新しいアプローチで世界最速の確定診断を可能にする技術を開発した理化学研究所の主任研究員 渡邉力也氏に話を伺いました。
【vol.7】世界最速※! 5分以内に新型コロナウイルス感染を診断。汎用的な感染症診断への展望も(※2021年7月7日現在)渡邉力也氏/理化学研究所 開拓研究本部 渡邉分子生理学研究室 主任研究員
2019年末から世界中に広まった新型コロナウイルス感染症(SARS-CoV-2)は、未だ収束の目途が立っていない状況です。すでに免疫をつくるワクチンが開発され、接種は進みつつあるものの、また新たな変異株が登場しています。感染の状況を知るには、まず感染を特定する診断技術が重要となります。現在、主流になっているPCR検査や抗原検査は、所要時間や感度・精度で一長一短があり、より最適なウイルス検出方法の開発が急務とされています。これらの課題に挑み、5分以内に確定診断を実現する新たな感染診断法を開発し、その実用化を目指しているのが理化学研究所、東京大学、京都大学らの共同研究グループです。
今回は理化学研究所 開拓研究本部 渡邉分子生理学研究室の主任研究員 渡邉力也氏に、まったく新しいアプローチによる画期的なウイルス検出方法についてお話を伺いました。
わずか5分間で新型コロナウイルスの感染有無を確定!
これまでコロナウイルス感染症の確定診断を行うためには、ウイルス由来のRNAを増幅させて検出する「PCR検査」や、タンパク質抗原を抗体反応により検出する「抗原検査」が利用されてきました。しかし、これらの方法は所要時間や感度・精度に一長一短があり、大量の検体を高効率・高感度・高精度に解析して診断につなげることが難しい状況でした。
渡邉氏は「たとえば、感染が疑われたときのスクリーニングには抗原検査が実施されます。この検査は30分程度と比較的早く簡便に検査できますが、検出感度や精度で問題があります。また確定診断に用いられるPCR法は、感度はよいものの、専門的な技術や装置を使ってRNAを精製し、さらにDNAを増幅して検出するため、結果が出るまでに前処理を含めて1時間程度かかります。そのため迅速な診断には向いていませんでした」と従来の検査方法が抱える弱点を指摘します【写真1】。
そのような状況で、理化学研究所と東京大学らの共同研究グループは、理学と工学の異分野を融合し、抗原検査の迅速・簡便さと、PCR検査の高感度というメリットを両立させた「SATORI法」(CRISPR-based amplification-free digital RNA detection)を独自に開発したのです【写真2】。
渡邉氏は「従来のPCR検査は、ウイルスRNAを精製し、DNAを増幅して検出するのですが、新技術では精製や増幅のプロセスが必要なく、5分以内に診断が行えます」と説明します。
実は、このSATORI法は、以前から渡邉氏が基礎研究で培ってきた生体分子を1分子単位で高感度に検出する技術を応用したものです。そのポイントのひとつになるのが「バイオMEMS」(注1)によるマイクロチップです【写真3】。この半透明のマイクロチップ上には、目に見えない微小試験管が100万個ほど集まっています。1個の試験管は世界最小クラスの3fL(1fLは1000兆分の1リットル)という容積で、大腸菌とほぼ同じ大きさです。小さな試験管にウイルスRNAの分子が入る構造になっています【写真4】。
(注1)バイオMEMS:半導体製作で発展してきた微細加工技術(MEMS技術)をバイオへと応用したもの。微小な流路や反応容器を作成したり、さまざまな反応を1つの微小チップ上で行える。1細胞・1分子測定で重要な役割を果たす技術になりつつある。
ウイルスRNAを1個ずつ識別するための検出原理とは?
もうひとつSATORI法においてポイントとなる技術があります。それが「CRISPR-Cas13a」と呼ばれる核酸の検出技術です。このCas13aとは、2020年のノーベル化学賞に輝いたことで有名な「CRISPR-Cas9」(注2)と似た核酸切断酵素になります。
Cas9の親戚ともいえるCas13aには面白い性質があります。この酵素と蛍光レポーターを検体のウイルスRNAに混ぜると、ガイドRNAと複合体を形成し、酵素が活性化するのです。そしてウイルスRNAの分子が入った微小試験管が発光を始めます【写真6】。
(注2)CRISPR-Cas9は、目的となる標的のDNA配列を切り貼り編集する遺伝子改変技術です。簡単に例えると、標的をカットするハサミ役の「Cas9」 と、その標的までの切符を持った案内役の「ガイドRNA」があり、切符と同じ塩基配列を見つけると(目印になるのはPAMと呼ばれる特定配列)、その塩基配列をハサミ役のCas9がカットします。
蛍光レポーターは、標的となるウイルスRNAとCas13aの複合体を検出するための蛍光性の機能分子で、酵素が活性化されると蛍光レポーターが切断され、分離した蛍光基の信号強度が1分以内に上昇します(注3)。この蛍光の有無を二値化し、そのデジタル信号から、光を発する微小試験管の個数をカウントします。
(注3)蛍光レポーター:蛍光レポーターは通常、光を発する機能を持つ蛍光基と、光を消す機能を持つ消光基がつながっています。そのため両方の機能が打ち消しあって発光が抑えられていますが、酵素のCas13aが活性化されると蛍光レポーターの蛍光基と消光基が切れて、蛍光基のほうが光り出すという仕組みです。
発光した試験管の個数は、サンプル(検体)中にあるウイルスRNAの個数に相当し、ウイルスRNA濃度と、蛍光シグナルが確認された微小試験管の個数は正比例となります【写真7】。
写真7のグラフからSATORI法の検出感度は5fM(fMは1000兆分の1モーラー)となり、ウイルスRNA量は1μL(1μLは100万分の1リットル)あたり約1000個に換算されます。従来の試験法である抗原検査法より約10~100倍ほど感度が高くなります。PCR検査と比べると約10倍ほど低くなりますが、感染者のウイルスRNA量が1000個からなので、感染診断を実施する上では十分な感度を満たしています。また検査時間については60分から5分へ、PCR検査よりも約12分の1になり、世界最短を記録しました。これは前準備のRNA精製と、DNAへの変換・増幅プロセスが不要になったことが大きな要因です【写真8】。
「またSATORI法のランニングコストですが、マイクロチップのコストが約500円、検査試薬代が約400円で、計900円ぐらいになります。一方、現在のPCR検査は検査試薬代で500円ほどのコストですから、SATORI法のマイクロチップを大量生産でき、コストが抑えられるようになれば、十分に実現可能な汎用性の高い価格になるでしょう」(渡邉氏)。
生物・化学・物理・工学という理工異分野連携プロジェクトで完成
わずか2年足らずの短期間に、ここまで渡邉氏らの研究が前進できたのは、研究者としてのバックグラウンドに関係があるようです。もともと同氏は機械工学出身でしたが、バイオ工学へと研究対象を広げ、ナノサイズの生体分子モータ(ATP合成酵素)を計測する基礎研究を続けてきました。その際、大学の研究で培った機械工学の知見は、新しい事象を測定するための実験装置作りに遺憾なく発揮され、より最適な装置のカスタマイズを実現しました。ここが他のバイオ関係の研究者とは異なる点で、一歩先んじて成果を生み出す道へとつながったのです。
「特に1分子計測分野は、実験装置ができて初めて研究が進むというカルチャーなので、自分の肌によく合っていたと思います。これまで多くの対象でノウハウを積み上げてきたこともあり、このたび世界に先駆けて新型コロナウイルスの1分子計測の開発に成功しました」(渡邉氏)。
今回の研究にあたり、研究パートナーの貢献も非常に大きなものになりました。東京大学先端科学技術研究センターの西増弘志 教授と東京大学 大学院理学研究科 濡木理 教授らは、前出のガイドRNA合成を担当しました。この合成をメーカーに委託すると、1本で約8万円かかるそうです。目的の遺伝子を探す最適な塩基配列にするためには2000回ぐらい試行錯誤しなければならず、もしそうなると費用も1億円を超えてしまいます。
渡邉氏は「東大の西増先生に鋳型DNAからガイドRNAを転写していただきました。IVT法(in Vitro Transcription)と呼ばれる方法を採用したのですが、教科書では実現できないような難しい副次的な要素が多く含まれており大変苦労しました。夜中12時に東大に行って、できあがったガイドRNAのサンプルを受け取り、翌朝一番にラボで判定してもらうという毎日でした。さらにガイドRNAが完成しても、歩留まり向上のために、マイクロチップ成形の最適化を行う必要もありました」と、当時の苦労を振り返ります。
また研究パートーナーの京都大学 ウイルス・再生医科学研究所の野田岳志 教授には培養ウイルスから抽出したウイルス遺伝子の提供において協力を仰ぎました。このように今回の研究は、生物・化学・物理・工学という理工異分野連携のプロジェクト体制によって、それぞれが得意分野の技術と知識を発揮しながら完成させた努力の結晶となるものでした。
いち早い社会実装のために、全自動ロボットの導入なども計画!
本研究は、三菱創業150年記念事業の一環として実施した2020年度 三菱財団自然科学研究特別助成(感染症)「新型コロナウイルス等感染症に関する学術研究助成」として支援させていただいていますが、今回この特別助成が研究をドライブするうえで非常に役立ったそうです。
「たとえば試行錯誤で最適なガイドRNAを見つけるためには、多くの消耗品が必要になります。そういう点で三菱財団に大型の支援をいただき、大変ありがたかったです。さらに今後は変異株の識別や、PCR検査の感度を超える技術も確立していきたいと思います。また網羅的に研究を進め、この技術を世の中にいち早く普及させるために、すべてのプロセスの全自動化を目指してロボットなども導入していく計画も立てています」(渡邉氏)。
SATORI法の診断対象は、いまのところ新型コロナウイルスが中心ですが、将来的には多種多様なウイルスに対しても、迅速な診断ができるようにするとのことです。ガイドRNAの配列を、エボラやインフルエンザなどに最適化すれば、これらも同時に診断することが可能になるでしょう。
「我々としては、これまでの成果を絵に描いた餅にしたくはありません。多額のご支援を頂いたからには責任がありますので、助成期間の残り1年半ぐらいまでには、何とか形のある検査装置にして、社会実装まで漕ぎつけていきたいと思っています」(渡邉氏)【写真9】。
本研究の成果は、全人類を脅かす深刻な新型コロナウイルス感染症の問題を終息に向かわせるワンステップになるでしょう。さらに、がんなどの基礎疾患の早期発見や層別化診断などにもつなげられるものと大いに期待されています。一度この技術が確立されれば、あとは試薬を変えるだけで水平展開できます。まだまだSATORI法は、計り知れないポテンシャルを秘めている技術と言えるでしょう。
プロフィール
理化学研究所 開拓研究本部 渡邉分子生理学研究室の主任研究員
渡邉力也氏
2011年 東京大学大学院工学系研究科・助教、2013年 JST・さきがけ研究員(兼任)、2016年 東京大学大学院工学系研究科・講師、2018年 理化学研究所開拓研究本部・主任研究員、2020年分子科学研究所・客員教授(兼務)
取材を終えて…
今年に入りオンラインでのインタビューが続きましたが、今回は渡邉先生のご好意で埼玉県和光市にある理化学研究所の先生の研究室を訪問し、実験を間近で見学することができました。実験用の検体と検査試薬の混合液をマイクロチップである透明な板に落とし、顕微鏡にセットすると、モニター画面にはすぐに緑色に発光する点が現れ、その数が瞬く間に増えていく様子がわれわれにも容易にわかりました。5分どころかほんの数分のことで、いかに迅速な検査法であるかを実感しました。
この研究は昨年の三菱創業150周年記念事業として実施した「新型コロナウイルス等感染症に関する学術研究助成」により支援させていただきました。昨年の助成実施時には「喫緊の課題にタイムリーに対応した助成プログラム」として多くの方からご評価いただきましたが、早くもこのような成果をご紹介できましたこと、大変嬉しく思います。
【画像左】マイクロチップを手にする渡邉氏(右)と同氏研究室にて。