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助成プロジェクト 成果レポート
【vol.16】考古学が探る「なぜ、ホモ・サピエンスだけ生き残ったのか」
~発掘された貝殻ビーズが私たちに語りかけてくること~門脇誠二氏/名古屋大学 博物館教授
私たちヒトの先祖は、どのような進化のプロセスを歩んできたのでしょうか。かつての地球には、私たち現生人類(新人、ホモ・サピエンス)だけでなく、さまざまな種類の人類が存在していました。そして今からおよそ4~5万年前、ホモ・サピエンスが繁栄への道をたどったのに対し、共存していたネアンデルタール人は絶滅してしまいました。なぜ、ホモ・サピエンスだけが生き残り、こうして現代にまでつながってきたのでしょうか。今回は、遺跡の発掘を通じて、その進化の解明を目指している名古屋大学博物館教授の門脇誠二氏にお話を伺いました。
自然の中に埋もれた古代の営みから人類の歴史を解き明かしたい
北海道、道南の中心都市・函館。その郊外、函館山の見晴らしが素晴らしいのどかな丘陵地帯で生まれ育った門脇氏は、子どもの頃から家を取り囲む自然と遊びながら成長しました。
ここで、その人生に多大な影響を及ぼす一つの偶然がありました。道南といえば2021年、北東北と合わせて縄文時代遺跡が世界遺産登録されたエリアで、門脇氏の家はそのすぐそばにあります。
「家の周囲のジャガイモ畑やトウモロコシ畑が縄文時代の遺跡で、歩くと土器や石器のかけらが落ちていたんです。父がそれを拾って『これは昔の人たちが使ったものだ』と教えてくれました」
こうした経験から、歴史は教科書で「覚える」だけでなく、まだ知られていない人間の営みが自然の中に埋もれていて、しかもそれを自分の力で「発見」できることに気づいたのです。
「子どもの頃の気づきが、今も世界に出かけていって野外調査をし、人の歴史を見つけ続けるという考古学研究活動の根底にあると思っています」
歴史好きの文系少年でありながら、ただ文献に触れるよりも、フィールドに出て見つけたモノを調べることに興味があったという門脇氏は、東京大学文学部考古学科に入学。何万年も前の遺跡から人類の歴史を探る考古学への一歩を踏み出します。
東京大学及び同大学院では、西アジア地域での遺跡発掘調査をもとに人類の歴史を解明していく研究に携わり、農耕村落の起源と人類進化の解明を目的とする調査隊が収集した考古資料に触れ興味が高まりました。1997年から「農業が始まった頃の石器の変化」と「ネアンデルタール人の石器技術」をテーマに研究を始め、シリア、ヨルダンなどでの調査にも参加しました。
大学院修士課程修了後、西アジアの考古学が欧米で盛んだったこともあり、アメリカのタルサ大学(2000〜02年)とカナダのトロント大学(2002〜07年)に計7年間留学します。
門脇教授「研究の歩み」資料より。留学時代の発掘調査風景。
この留学時代に、タルサ大学でヨルダンの遺跡調査を進めてきたドナルド・ヘンリー教授をはじめ数多くの研究者と出会い、世界各地の国際的なフィールド調査にも参加しながら、貴重な研究者ネットワークを築いていきます。
「北海道で生まれ育ったので北海道の遺跡研究をしてもよかったのですが、大学で西アジアの考古研究と出会い、人類の歴史の解明という目的を世界中の研究者と共有できることにワクワクしました」と振り返る門脇氏は、人類全体に共通するテーマである「人類進化」と「農業の起源」に直接関わる研究へと歩みを進めていきます。
長く共存したにもかかわらず、なぜ旧人は滅び、なぜ新人は生き残ったのか
門脇氏は三菱財団から2回の助成を受けています。2014年には「農業の起源」に関する研究テーマで助成を受けましたが、2018年、2回目の助成対象となったのは「ネアンデルタール人消滅と新人拡散のプロセスに関する考古学研究:ヨルダンの旧石器遺跡調査」です。この調査では、留学時代に得た西アジアでの遺跡調査の経験と研究者ネットワークが大いに活きています。ヘンリー教授からヨルダンの100を超える遺跡調査を継承し、2016年以降は自らが調査隊を組織して現地へ赴いています。
「ヨルダンを含む西アジアはアフリカとアジア、ヨーロッパをつなぐ人類の十字路のようなところで、多種多様な文化が入り混じっています。東京大学は西アジアで古くから農業の起源の研究に着手し、一方でネアンデルタール人の研究も始めていたため、私も調査に関わる機会を得ました」
西アジアを調査する理由は、まさに現生人類である私たちホモ・サピエンス(新人)の直接の祖先がアフリカで生まれ、世界各地へ広がっていくときに必ず通らなければならない場所だからです。
新人であるホモ・サピエンスは20~30万年前に地球上へ現れたといわれています。では旧人といわれるネアンデルタール人やデニソワ人がいつ誕生したのかといえば、実は新人とほぼ変わらないタイミングです。
「新人であるホモ・サピエンスは、最初はアフリカにしかいませんでした。その当時、世界の他の地域にはネアンデルタール人やデニソワ人といった旧人や、ジャワ原人の子孫であるフローレス人なども暮らしており、人類はとても多様だったのです。ところがその多様なはずの人類が、今では新人しか生き残っていません。いったい何があったのか?というのが人類進化の大きな謎の1つです。
人類がきわめて多様であった時期、ホモ・サピエンスはアフリカの一地方集団にすぎませんでした。もしも歴史が異なっていれば、ホモ・サピエンスはそのままアフリカで絶滅の憂き目に遭って旧人とされ、ネアンデルタール人が自らを新人と呼ぶようになっていたかもしれません。ですが現実には、ホモ・サピエンスがアフリカから出て、生息地域を世界へと拡張していき、一方で、それまで生息していた旧人は絶滅してしまったのです。
これほど大きな人類集団の交替は、おそらく人類史上でも最大と呼べる“事件”でしょう。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は何が違っていたのか、その違いを明らかにするためには、その背景にある時代や地理的環境がなるべく同じ条件下で両者を比べることが大事です。そのような観点からいうと、7万5千年前から5万年前頃のレヴァント地方は同じ時期、同じ場所に両種が生存した地球上数少ない地域です。同じ時期、同じ地域で暮らしていたにもかかわらず、唯一生き残り、今も人口を増やし続けるホモ・サピエンスはどこが特別なのか。これを調べたい気持ちに動かされ、研究に取り組んでいます」
現段階で、その理由はどう考えられるのでしょうか。
「それがまさに研究で明らかにしたいところです。以前から、ネアンデルタール人など旧人と新人であるホモ・サピエンスでは頭蓋骨の形が異なり、脳の構造も違っていたことはわかっています。ただ、そうした生物学的な差異の具体的にどれが、ホモ・サピエンス生き残りの理由であるかどうかは、現時点ではまだわからないのです。ホモ・サピエンスはネアンデルタール人を戦いで滅ぼしたという説もありますが、ホモ・サピエンスと旧人が争った痕跡は今のところ見つかっていません。また、ホモ・サピエンスは旧人よりも優れた狩猟具を持っていたという仮説もありますが、レヴァント地方の場合、実はホモ・サピエンスの優れた狩猟具はネアンデルタール人が絶滅してから数千年後の時期のものであることが分かってきたのです」
遺跡発掘調査で、歴史上の一大事件を現場検証したい
ホモ・サピエンス生き残りの理由を見つけるため、門脇氏はヨルダンの旧石器時代の遺跡発掘に勤しんでいます。日頃の講義の傍ら、こうした発掘調査を続けるために夏休みをフル活用し、その期間は例年4週間ほど。準備などを除けば実質3週間程度を発掘調査にかけています。門脇氏の遺跡調査期間は他と比較すると短い方だといいますが、研究室の大学院生もチームメンバーとして一緒に動くため費用がかさみます。2018年度の三菱財団からの助成金は出土物の年代測定の委託費にも使いましたが、主に学生を含むチームメンバーの旅費、滞在費に活用されました。
「レヴァント地方は現在のヨルダンを含む一帯です。この地域はアフリカから出てきたホモ・サピエンスが必ず通る場所であるだけでなく、地中海や紅海といった海に囲まれ、死海地溝帯に位置しているため水も食料も入手しやすい。現代は乾燥していますが、古代には暮らしやすかった地域と考えられます。ヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人も寒冷化により南下し、ここに住むようになったのでしょう。また、ヨルダンの洞窟や岩陰遺跡は比較的小規模なものが多く、しかも狭い範囲に集中しているので、短い期間で効率的に発掘できることも、ここで調査を続ける大きな理由です」
このイスラエル国境に近い死海地溝帯で、門脇氏は3つの時期に分けて調査を進めています。
-
1)
ホモ・サピエンス(新人)とネアンデルタール人(旧人)が共存していた時期
(7万5000年前から5万年前までの中部旧石器後期) -
2)
旧人が絶滅して新人のみが存続するようになった初期
(5万年前から4万年前までの上部旧石器初期) -
3)
新人が増加していった時期
(4万年前から3万年前までの上部旧石器前期)
「調査地には3つの時期を通して人類が居住した遺跡があり、しかも2×3kmの狭い範囲に6つの遺跡が集中しています。同じ場所において、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが共存した時期からネアンデルタール人が絶滅し、さらにホモ・サピエンスの人口が増加した時期のあいだに、人類の行動や周辺環境にどのような変化があったのかを精密に調べるのに都合がいいのです。まさに警察が事件の現場検証を行う意識で、人類進化史上の “事件” を実証的に研究したいと考えています」
貝殻ビーズから見えてきた、新たなコミュニケーション手段
2019年の調査では、ネアンデルタール人絶滅直後の、海から遠く離れたホモ・サピエンスの遺跡で、海の貝殻が出土しました。この地域で同様の貝殻はネアンデルタール人の遺跡からは1点も見つかっていないため、ホモ・サピエンス独自の行動を知る手掛かりとして、この発見は大きな成果に結びつく可能性があるといいます。
「これらは小さい貝殻で、食用ではないんですね。海から55キロ近くの遠距離を食用ではなく、貝殻目当てに運んできたものでしょう。海岸近くの遺跡では、4万年から4万5千年前の地層から100個、200個、場合によっては1000個といった膨大な数の貝殻が見つかっています。しかも穴が開いているものが多くみられ、たぶん紐を通したのではないかと。また、自分自身の装飾だけでなく、人にプレゼントすることも目的にしていたのでしょう。つまり、ホモ・サピエンスはこの時期、社会的なつながりの道具として貝殻ビーズを使い始めたのだと考えられます。
興味深いのは流通しはじめた時期です。レヴァント地方の場合、それは弓矢などの飛び道具となる石器技術が発達するよりも前です。飛び道具によって狩猟が一気に効率化しただろうといわれていますが、その時期より前に、海の貝殻ビーズが流通しはじめたことが面白い」
石器の狩猟具を発達させる以前に、ホモ・サピエンスが貝殻ビーズをある種のコミュニケーション手段として使っていた……とすれば、異なる環境に暮らす人たちとの交流や協力関係の構築がホモ・サピエンスの生き残りに重要だったのではないかと、門脇氏は考察しています。
「コミュニケーションをとるなど社会的なつながりの中で、環境変化や食料不足などのリスクに対応していたのではないかと。当時はまだ草原地帯だったとはいえ、この地域は食料が豊富ではなかったようです。木が少ないため鹿はおらず、狩猟動物の種類が限られていました。そうした環境で暮らすうえで大きな問題は、小さな気候変動でも資源枯渇が生じやすいという不安定性です。そのような乾燥地帯で、遠く離れた海とのつながりを示すのが、この貝殻ビーズなのです。その海まで食料を探しに行っていた、あるいは海の近くにいた集団とのつながりがあって、地域の食料不足で困ったときに助けてもらった、などが考えられます。狩猟具の革新より前に、社会的なつながり、社会交流によってリスクを低減し生き延びたのでしょう。
さらに推測すると、個人や小さな集団内の技術ではなく、社会的なつながりを広げてやっていこうとするときに、ネアンデルタール人は乗り遅れたのではないでしょうか。争いの跡が見られないということは、一緒に生き残ろうとはしていた。ただ社会が変わって、地域の中だけではなく、遠くの異なる地域の人々とも付き合いながらやっていこうという社会状況になったとき、うまく交流できる集団と、今までの環境の中にこもってしまう集団とがあったとしたら、広く交流を保てた方が子孫を多く残せたということなのかなと思います」
変化に対応する力、また社会的なつながり、コミュニケーションによって問題を解決していくということは、現代の社会にも共通するテーマです。
「こうしたプロセスを見ることで、現代人の成り立ちも分かりますし、さらにその先、困難な状況になった時に私たちがどのようにしていかなければならないのか、どのように変わっていくのかということも、指針が見えてきます。あるいは、それらを考える根拠といいますか、歴史から得る一つのヒントになればいいと思っています」
加えて、考古学研究では多くの人に広まり、一般化・定着したものでなければ、歴史上の事件のはっきりした証拠として示すことはできないとお話しいただきました。そして、遺跡の出土物は断片的なものであり、地域や時代が異なる出土物を都合の良いように組み合わせて安易に人類全体の大きなストーリーを描いてしまうことには問題があると指摘します。
「考古学の遺跡調査できちんと伝えられることは、一人が生み出した例外的なものではなく、その当時の多くの人に広まって、一般化し、定着化したものをはっきりとした証拠として示すことなのです。考古学の遺跡からわかるのは、一般の人々の日常生活での行動変化です。それがどう変わったときに人類の進化が起きたのか、イノベーションが生まれたのかを解明したいと思っています」
門脇氏は助成を活用した2019年の調査で、その価値につながる成果(貝殻ビーズによる社会コミュニケーション発達の可能性)を示しました。もちろん人類の行動変化には気候変動など他の外的要因が大きく影響した可能性もあるため、今後は遺跡の調査で得られる証拠から当時の環境を復元し、解明を進めたいと、これからの研究の方向性を教えてくれました。
2022年スウェーデンのペーボ博士※がノーベル生理学医学賞を受賞したことについても、ご感想をお聞きしました。
※スバンテ・ペーボ:スウェーデンの遺伝学者。古代DNA分析を通して人類の進化史とその理由の解明につながる画期的な研究方法を確立した。(マックス・プランク進化人類学研究所・遺伝学部門の創設責任者。沖縄科学技術大学院大学 教授)
「人類史の研究テーマがノーベル賞の対象となったことには驚きました。ペーボ博士は古代DNA研究という画期的な分析方法とその研究分野を確立させたことがノーベル賞受賞の理由ですが、ネアンデルタール人などの絶滅人類と比べて私たちホモ・サピエンスの特徴は何かという根本的な興味は私の考古学研究にも共通しているので、受賞を聞いてうれしかったです。こうした人類史への基礎的興味から発する研究テーマに光が当たった意義も大きいと思います」
最後に三菱財団へのメッセージをいただきました。
「応用研究がもてはやされるなかで、三菱財団は考古学のような基礎研究にもしっかりと注目してくれました。その視野と価値観の広さに感謝しています。考古学を通して “人間とはなにか”という本質の追求に、今後もいっそう力を入れていきます」
門脇氏の力強い言葉に、オリジナル性あふれる“歴史の現場検証”のこれからへ、さらなる期待がふくらみます。
プロフィール
名古屋大学博物館
東海国立大学機構名古屋大学の教育研究施設。地球科学や生物学、考古学、化学などを専門とする教員や研究員が在籍し、国内外のフィールドワークから岩石や化石、動植物、遺跡資料などを収集し、独自の研究活動と学生教育を行う。博物館展示室は一般に無料開放されており、ノーベル賞受賞研究をはじめとする名古屋大学の研究や歴史はもちろん、地球の歴史や人類史、東海地方の自然に関して常設展や特別展、講演会を公開している。地域の小学生から大人までを対象に、生き物や化石、鉱物、遺跡資料を用いた体験学習やフィールドセミナーも実施し、学校での自由研究支援や生涯教育の機会も提供している。最新の展示や多数のイベント情報については博物館ウェブを参照。
<所在地:名古屋市千種区不老町 名古屋大学 東山キャンパス内>
取材を終えて…
遺跡の発掘は地道で“ローテク”な作業とのことです。発掘現場は例えば、車を降りてからさらに30分歩いたところにある岩陰などが多く、スコップとちりとり、かご、こて、ピックを使って、地面を小さく区切り、5cmずつ掘っていくそうです。骨や土器など出てきたら刷毛で払い、どかした土にも小さな破片が入っているので全部ふるいにかけていきます。そうやって発掘した大きな成果が大量の白い貝殻でした。古代の人々が自分自身やプレゼントする相手を美しく飾る目的で、協力して獲得した貝殻だと門脇先生からご説明いただき、現代につながるホモ・サピエンスにとって、武器や技術よりも美しいもの、争うよりも協力することこそ大事ではないかとその貝殻が雄弁に語りかけてくれていることを実感しました。