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助成プロジェクト 成果レポート

【vol.21】南極の未来のために、日本が果たすべき役割を考える柴田明穂氏/神戸大学大学院 国際協力研究科 教授(国際法)・極域協力研究センター長

南極の地に立った「現場主義の国際法学者」が南極のあるべき未来を提言する。
南極の地に立った「現場主義の国際法学者」が南極のあるべき未来を提言する。

南極は世界に類を見ない科学研究の聖地である一方、環境問題、海洋資源問題、観光問題、地政学的な問題など、さまざまな問題が渦巻く場所でもあります。そうした重要な課題について定期的に議論し、国際的な政策を議論するのが「南極条約協議国会議(ATCM:Antarctic Treaty Consultative Meeting)」です。2026年にはATCMが30年ぶりに日本で開催されます。その政策議論に貢献すべく、神戸大学大学院 国際協力研究科の柴田明穂教授は国内外の専門家らと議論を行い、その成果を10本のYouTube動画として社会に提示しました。

「君は、南極条約を知っているか」

南極は、1959年に成立した「南極条約」によって管理・統治されています(詳細は後述)。日本は南極条約の最初の署名国の一つで、「南極条約協議国」の一員として他の締約国とともにその責務を果たしています。

柴田氏は、南極条約体制について20年以上にわたり最前線で研究してきました。国際法学者として日本で初めて南極周辺での現地調査を行なった人物でもあります。柴田氏と南極条約の出合いは1992年、京都大学大学院生時代。1992年といえば、国連環境開発会議(地球サミット)が開催され、リオ宣言が採択されるなど、世界的に環境問題への関心が高まっていた時期です。その頃柴田氏は、国連における環境法の形成について書いた自身初の論文の中で、「今後の国際社会は先進国中心ではなく、途上国も参加して一国一票制で意思決定するようになるだろう」との論を展開しました。それを読んだ当時の指導教員で国際法の大家として知られる太寿堂鼎(たいじゅどう・かなえ)教授は、柴田氏にこう問いかけました。「君の主張は正しいかもしれないが、国連とは違って南極では、南極条約に基づいて、わずか26か国(当時)が世界のために南極の管理をしている。この条約についてどう考えるか」

現在は神戸大学で教鞭をとりながら、南極国際法研究に取り組む柴田氏。
現在は神戸大学で教鞭をとりながら、南極国際法研究に取り組む柴田氏。

この問いをきっかけに南極条約に関心をもった柴田氏は、留学から帰国して岡山大学に着任した1995年から南極条約の研究を始めました。とはいえ南極に関する国際会議は非公開で、会議の詳細を知る資料はなかなか手に入りませんでした。そこで柴田氏は、東京・板橋区(当時)にある「国立極地研究所(通称・極地研)」を訪ねることにしました。

「アポイントもなく研究所のドアを叩いたら、ちょうど所長の渡邊興亞(おきつぐ)先生がいらして、『国際法の先生がくるなんて珍しい』と、所長室に招き入れてくださったんです。お話をしながら、ふと本棚を見たら『南極条約協議国会議(ATCM)』と書かれた資料が並んでいる。驚いて所長に『これは非常に重要な資料です。ぜひ拝見させてください』とお願いしました」

資料には、南極においてどのように法律が形成されていくか、南極条約協議国がどのように南極を管理しているかなど、柴田氏が知りたかったことがつぶさに記載されていました。ほかにも、思いがけない収穫がありました。

「極地研での最大の成果は、実際に南極で研究をしている自然科学者の先生方とお会いできたことです。極地研で資料を閲覧していると、そこにいらした各分野の第一人者の方々が飲みに誘ってくださり、現場ならではの研究の様子や南極の魅力などを話してくださるんです。何度も飲み会にご一緒し、私を2016年の南極派遣に導き、しかも観測隊長として現地でご一緒させていただいたのが、本吉洋一教授でした。私が専門とする国際法とは違った目線で南極の面白さ、難しさなどを伺ううちに、私の南極への関心は、ますます強くなりました」

国際法学者、初めて南極に立つ

2002年、柴田氏は外務省の依頼により、ポーランド・ワルシャワで開催された第25回南極条約協議国会議(ATCM)にアドバイザーとして参加(以来2008年まで毎年参加)。そこでは、柴田氏が資料でしか知り得なかった外交会議が目の前で生き生きと展開されていました。

「ATCMに参加して、太寿堂先生が『国連とは違うよ』とおっしゃった意味がよくわかりました。南極条約の締約国は56か国ですが、意思決定に参加できる協議国はそのうち29か国だけなのです。また、南極条約には全会一致の原則があり、29の協議国すべてが賛同しないと物事が決められません。それに対して国連は、加盟192か国すべてが1国1票の投票権をもち、多数決で物事を決める民主主義的な方法で運営されています。それと比べると、南極条約がいかに特殊かがわかります。法学者として見れば南極条約は非常に興味深く、外交的に見れば、利害関係をもつ29か国の全会一致で物事を進めていくのは、かなり難しい状況といえます」

研究やシンポジウムなどで使用されたテーマ画像:南極条約は意思決定権限を持つ南極条約協議国(29か国)と、加盟しているが意思決定権限を持たない非協議国(27か国)による2レイヤー構造で運営されている。
研究やシンポジウムなどで使用されたテーマ画像:南極条約は意思決定権限を持つ南極条約協議国(29か国)と、加盟しているが意思決定権限を持たない非協議国(27か国)による2レイヤー構造で運営されている。

ATCMではたびたび、「環境保護はたしかに重要だが、南極の過酷な環境では人命保護が優先で、それに必要だができるだけ環境に負荷をかけないような機材や装備はどうあるべきか」といった議論が交わされます。柴田氏が法律的な観点から意見を述べれば、自然科学者から盛んに「現場を見てください!」と声が上がります。実態を知るためには南極に赴かなければと、柴田氏は強く思うようになりました。

国際法学者が南極観測隊の一員になった例はありません。それでも極地研の先生方の尽力によって2016年の計画から、日本の観測隊に社会科学者の参加も可能になりました。柴田氏はその第一陣として南極に派遣されたのです。

東南極・リーセルラルセン山付近での地質調査に参加。
東南極・リーセルラルセン山付近での地質調査に参加。

「2016年11月から翌年3月末まで第58次隊として南極に派遣させていただき、南極条約が守ろうとしている自然環境、南極条約が促進しようとしている科学活動をこの目で見ることができました。私が同行した国際地質チームでは、国内外の研究者たちが同じテントで生活していました。彼らが実際にどういう形で国際協力しているのかを直に見られたことも大変よい経験になりました」。現地調査に赴くことで、文書や条文だけでなく、よりリアリティを伴った知見を得て研究に活かす柴田氏の活動は、国際的にも注目されています。

柴田氏が参加した第58次日本南極地域観測隊のシンボルマーク。デザインは毎回変更される。
柴田氏が参加した第58次日本南極地域観測隊のシンボルマーク。デザインは毎回変更される。

戦後の国際平和を維持するために作られた南極条約

南極条約は、国連憲章、国連海洋法条約とともに、戦後の国際平和を維持するために作られた条約です。

「1950年代、冷戦が激しさを増すなかで、南極に基地が作られ、それが軍事的に利用される動きを止めるために、1959年に成立したのが南極条約です。この条約のおかげで、南極は非軍事化、非核化を達成できました。また、アルゼンチンやチリなど7か国が南極の一部を自国の領土だと主張していますが、南極条約第4条によって、領土主張をめぐる意見対立はそのままにした上で、科学活動を促進するために南極を平和的に利用することに合意しました。こうして南極の秩序は60年間にわたって維持されてきたのです。その意味で、南極条約は戦後国際法の体制の根幹をなす条約の一つであると、私は考えています」

しかし今、南極条約に対する信頼が揺らいでいると、柴田氏は感じています。
「今年(2023年)フィンランド・ヘルシンキで開催されたATCMに、NGOの一員として出席し、会議が15年前と様変わりしていることに驚きました。欧米の発言力が低下し、中国やブラジルなど新興国の発言力が増しているのです。新興国は、欧米諸国の提案に最後まで反対し、反対国としてその国名が議事録に残ることも憚らない態度でした」

2023年ATCM会場(ヘルシンキ)にて。柴田氏は南極法政策立案における科学及び科学的証拠の重要性について講演を行った。
2023年ATCM会場(ヘルシンキ)にて。柴田氏は南極法政策立案における科学及び科学的証拠の重要性について講演を行った。

このような現状に対して柴田氏は、従来の南極条約体制を守りつつ、その「レジリエンス」を高めればよいのでは、と考えています。レジリエンスとはしなやかさ、回復力、弾力などを意味する英単語。レジリエントな体制であれば、「外圧をうまく受け流し、圧がかかっても元に戻る」ことが可能です。

「全会一致の原則があるから物事が決まらない、進まないという面はたしかにあります。しかし大切なのは、そこではない。物事を決め、進めるために『とことん議論する』ことこそ、南極条約体制の要なのです」

例えば、ATCMで議論されているテーマの一つが「南極観光」。現在、南極半島には年間10万人の観光客が訪れ、環境破壊や汚染が危惧されています。さらに一部の国は基地に観光客を受け入れ、滞在費を基地の維持管理費に充てています。自国の基地なのだから自由に使う権利があるというのが、その国の主張です。

「こうした問題について、仮に多数決で『観光客を排除せよ』と決めれば不満をもつ国が出てきます。そうではなく、とことん話し合って意見をすり合わせ、一歩一歩進んできたのが南極条約なのです。このやり方で観光問題に10年かけて取り組んだ結果、昨年になってようやく『常設の基地がどのように利用されているのか、情報をできるだけ公開しよう』という決議が出ました。前進ですよね」

2048年には、南極条約議定書(マドリッド議定書。南極条約の補足的な条約で、南極の環境保護について定めている)第7条の「南極鉱物資源活動を、科学的調査を除いて禁止する」を再検討することが可能になります。その期日に向けて、南極条約体制を少しずつレジリエントにしていく努力が今、求められています。

南極の未来を描く提言を日本から

外交会議と南極。2つの現場を知る柴田氏は「現場主義の国際法」ともいえる独自の研究スタイルを確立。現場で得た知見と経験を基に、南極国際法の研究に邁進しています。2020年には三菱財団の人文科学研究部門の助成を申請し、2026年に日本で開催されるATCMの政策議論に貢献するための研究に助成を受けることになりました。

「2026年に開催されるATCMに向けて、単なる研究成果の発表でなく、フィージブル(実現可能)で将来性のある提言をしたいと考えています。提言は、基本的に政策決定者に向けたものですが、日本や世界の市民のみなさんにも南極を身近に感じていただき、南極を守るためにはガバナンスも重要だと知っていただくことも狙いです」

柴田氏は、南極に知見のある国際法学者や国際関係論の研究者を中心に、自然科学者なども加えて「南極をめぐる科学と国際動向を考える研究会」を立ち上げました。そこに日本政府の南極政策担当者も参加し、南極ガバナンスをめぐる諸問題について話し合いを重ねました。その結果を踏まえて、2022年12月に「変化する国際情勢と南極協力のゆくえ」をテーマとした南極国際シンポジウムを実施。国内外から多くの専門家が参加した白熱した議論の様子はオンラインでも視聴でき、後日、6本のYouTube動画として配信されました。三菱財団の助成金は、国内研究会や国際シンポジウムの開催、動画制作などに使用されています。

「助成金によって何度も研究会を開催し、国内外の学者から多くの有益な情報を得ることができました。また、YouTube動画を制作できたことにも意義がありました。通常の研究成果は紙媒体で発表するのみですが、動画であれば議論のプロセスをそのまま公開できますし、多くの方にご覧いただきやすいからです。動画を公開した後は、国内外の視聴者から『非常に意義深いシンポジウム。その様子を後から、あるいは遠隔地からでも見られてよかった』と感謝のコメントをたくさん受け取りました」

研究成果をまとめた主なYouTube動画

2021年6月南極条約発効60周年記念 オンライン公開講演会「南極条約60年と日本、そして未来へ」

2022年12月開催「変化する国際情勢と南極協力のゆくえ」

2022年のシンポジウムでは柴田氏が、南極ガバナンスの方向性について8つの提言案を提示。それについて国内外の専門家と議論し、結果的に2026年日本開催のATCMに向けて4点の提言をまとめました。

  • 1:

    最重要課題となっている南極海洋保護区のためのATCMとCCAMLAR(カムラー。南極の海洋生物資源の保存に関する委員会)の統合的対応の必要性

  • 2:

    南極条約の強みである透明性、開放性、そして科学的根拠に基づく政策決定の再確認と強化

  • 3:

    南極条約体制におけるコンセンサス手続の適切な運用

  • 4:

    南極責任附属書VIの発効を目指した議論など、日本、韓国、インド、中国のアジア協議国4か国の協力の推進

4番目の提言について、柴田氏は日本がリーダーシップを取り、アジアの国々と協調する意義を強調します。

「南極責任附属書VIは、南極で活動中の事業者などが事故などによって環境上の緊急事態を招いた場合の対応措置義務などを定めたもので、2005年に国際法として成立しています。ところが協議国28か国(当時)のうち9か国が批准していないため、法律として発効していないのです。批准していない9か国には、日本、韓国、インド、中国が含まれています。ですから、2026年ATCMを前に日本がリーダーシップをとって他のアジア諸国に働きかける。未批准9か国の中には他国の様子を見ている国もありますから、アジア4か国が動けば、その影響は大きいと考えています」

日本は2026年にATCMの開催国となりますが、2024年はインド、2027年は韓国と、アジア各国がリーダーシップを取れる期間が続きます(2025年はイタリア)。2024年からの4年間は、南極条約の根幹を維持しながら、新興国も協調できる体制を作る絶好の機会です。日本が国際社会でリーダーシップを発揮し、実りある政策議論を実現するために、柴田氏は2026年に向けて、4つの提言をさらに洗練、発展させていく予定です。

柴田氏(写真左)と三菱財団 七條氏(写真右)。
柴田氏(写真左)と三菱財団 七條氏(写真右)。

プロフィール

神戸大学大学院 国際協力研究科 教授(国際法)・極域協力研究センター長 柴田明穂氏

1993年米国ニューヨーク大学法科大学院修士課程修了、1995年京都大学大学院法学研究科博士後期課程中退、1995年より岡山大学法学部助教授、2005年より現職。その間、2001-03年在ジュネーブ国際機関日本政府代表部専門調査員、2016-17年第58次日本南極地域観測隊同行者。現在、世界的な学術団体である南極研究科学委員会人文社会科学常設委員会執行理事、Yearbook of Polar Law共同編集長などを務める。2010年からは北極域研究プロジェクトArCSにも参画。主要著作に、”Japan and 100 Years of Antarctic Legal Order” Yearbook of Polar Law 7 (2015)、Emerging Legal Orders in the Arctic (Routledge, 2019)、「南極条約体制における管轄権」岡山大学法学会雑誌70 (3-4) (2021)など。

取材を終えて…

今回のテーマ「南極」は、何かと馴染みがあるようでいて、実は詳しくは分かっていないというのがインタビュー前の率直な思いでした。インタビューを通じ、長年にわたって柴田先生の心を熱くさせ続けてきた南極の魅力の一端が素人の私にもしっかりと伝わってまいりました。特に先生のお話は、数々の国際会議に出席され、実際に南極にも赴かれた「現場主義」に基づいたものであるだけに、生々しい迫力を感じました。コロナ禍で当初予定していた海外出張からYouTube動画による社会実装に研究計画を変更され、結果的に情報発信効果の拡大に繋がったことは、助成金の使途変更に柔軟に対応した三菱財団としてもたいへん嬉しく思いました。