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助成プロジェクト 成果レポート

【vol.23】腸内環境に働きかける「生きた菌」を未来の治療薬に本田賢也氏/慶応義塾大学医学部 微生物学免疫学教室 教授

2000年代後半に、欧米を中心にヒトと共生する微生物群(マイクロバイオーム)のゲノム解析が進み、疾患に関わる細菌種や代謝産物(細菌が作り出す物質)がわかるようになりました。このような「相関関係」の解析から一歩踏み込み、特定の細菌と疾患の「因果関係(メカニズム)」を明らかにし、疾患の治療につなげようと研究に取り組んでいるのが、慶応義塾大学医学部教授の本田賢也氏です。本田氏は、ヒトの腸内細菌叢に働きかけ、感染症やがんに対する免疫応答を高める「11腸内細菌株のカクテル」を同定し、その効果をマウス実験によって明らかにしました。
※腸内細菌叢(そう):腸内に生息する細菌のかたまりを指す。「腸内フローラ」とも呼ばれる。

免疫細胞が集中する腸をターゲットに

1994年に神戸大学医学部を卒業した本田氏は、放射線科の医師としてキャリアをスタートしました。しかし、担当する患者の多くが末期がんを患っており、放射線治療はなかなか功を奏しません。がん治療の難しさに直面し、無力感にさいなまれた本田氏は、基礎を学び直して患者さんの役に立ちたいと、京都大学大学院の医学研究科に進学し、西川伸一教授の下で免疫学の勉強を始めました。その後、2001年に東京大学大学院の医学系研究科免疫学講座に入り、谷口維紹教授の下で研究を続けます。

「腸にはさまざまな免疫器官があり、ヒトの免疫細胞の7割が腸に存在します。また、ヒトの腸には約1000種類もの細菌(腸内細菌)がいるといわれており、そのなかには免疫力を高めて病原性細菌の感染を防いだり、抗がん免疫応答を強めたりする働きを持つものがあることもわかっています。そうしたことから、腸を含む消化管免疫と腸内細菌の関係に関心を持つようになりました」

2000年代後半は世界的にヒト常在菌のゲノム解析が進み、2012年には「ヒトマイクロバイオームプロジェクト」第1期の解析が完了して、健康なヒトの腸内細菌叢の構成が明らかになり始めた時期です。そのデータベースによって、腸内細菌や免疫の研究が一気に加速したのです。一方、腸内細菌研究の分野において、日本には「培養技術」という強みがあると、本田氏はいいます。

「ヒトマイクロバイオームプロジェクトが成功したのは、次世代シーケンサーと呼ばれる装置によって短時間・低コストでゲノム解析ができるようになったからです。この機器が登場する前、腸内細菌の研究をするには菌を一つひとつ培養するのが当たり前でしたが、腸内細菌には酸素のある環境では培養しにくい『嫌気性菌』が多く、その培養は困難なのです。しかし、日本では1970年代から光岡知足先生らが腸内細菌の研究に取り組んでおられ、長年にわたって培養技術が蓄積されてきました。私は、その流れを汲む先生方から伝統的な培養技術を学び、なおかつ最先端のデータベースを利用できるようになった、幸運な世代であるといえます」

試験を繰り返して11菌株を同定

最新のデータベースと優れた培養技術。この2つの恩恵を受けて本田氏らのチームが取り組んだのは、「生きた菌のカクテル(複数の物質の組み合わせ)」によって腸内細菌叢を制御し、感染症やがんの治療を目指すという研究でした。本田氏らはまず、免疫細胞の一種CD8T細胞、なかでもIFNγ(インターフェロンガンマ)を恒常的に産生するCD8陽性T細胞「IFNγ+CD8T細胞」に着目しました。

「CD8T細胞は普通のマウスの消化管にはたくさん存在しますが、腸内細菌の存在しない無菌マウス(菌やウイルスなどすべての微生物を保有しないマウス)の消化管では著しく少ないことがわかりました。つまり、腸内細菌叢とCD8T細胞には相関関係があるのです。そこで、ヒトの腸内細菌叢にもCD8T細胞を誘導する菌がいるかを調べるために、6人の健康なヒトから採取した便サンプルを無菌マウスに投与したところ、そのうち1人の便を投与したマウスの大腸で、IFNγ+CD8T細胞がとくに強く誘導されることがわかりました」

ある目的のために最低限必要な菌株に絞り込むことを『リダクショニスト・アプローチ』といいます。本田氏らは、この手法を用いてINFγ+CD8T細胞を誘導する腸内細菌を21種類まで絞り込み、さらにそのうち11菌株を選抜しました。その11菌株カクテルを無菌マウスに投与したところ、INFγ+CD8T細胞が強く誘導されることが確認できました。

「菌の種類を絞り込む理由は2つあります。1つはメカニズムを明らかにするためです。実は細菌には数千個の遺伝子があります。ヒトの遺伝子の数は2万7000個くらいですから、それに比べると細菌もかなり多くの遺伝子を持っていることがわかるでしょう。今回のカクテルに必要な菌株は11種類ですが、それらの遺伝子のうち、どれがCD8T細胞の誘導に関わっているかを調べるのは容易ではありません。それを検証するためにも、対象となる細菌は少ない方がよいのです。もう1つの理由は、臨床試験をいち早く実施するためです。臨床試験にはフリーズドライした菌を使います。フリーズドライを作るのに、菌1種類あたり約2週間かかりますから、菌が少ないほど早く試験を実施できるのです。ただし実験の結果、このカクテルに必要な菌をこれ以下に減らすと効果が出ませんでした。つまり、この11種類の菌株がミニマル・エッセンシャルなのです」
※ミニマル・エッセンシャル:最低限必要な水準。

三菱財団の助成金は、実験に必要な無菌マウスや試薬の購入費などに充てられました。また、この実験の結果を論文として科学雑誌に投稿するための費用にも使われました。

「今まで(三菱財団の助成に)採択されていた研究や、募集される分野、テーマ、評価される方などを見て、総合的に判断して応募しました」
「今まで(三菱財団の助成に)採択されていた研究や、募集される分野、テーマ、評価される方などを見て、総合的に判断して応募しました」

11菌株カクテルが疾患の治療に有効である可能性を見出す

本田氏らは、11菌株カクテルが感染症やがんに及ぼす影響を調べました。まず、マウスを2群に分け、一方に11菌株を経口投与しました。その後、両方の群に食中毒などの原因となるリステリア菌を感染させたところ、11菌株を投与した群は体重減少などの症状が軽減されました。このことから、11菌株の投与は感染症の予防や治療に有効であると考えられます。

がん免疫に関する実験も行いました。MC38腺がんを起こしたマウスを2群に分けて、一方には免疫チェックポイント阻害薬のみ、もう一方には同じ治療薬に加えて11菌株を投与しました。その結果、治療薬のみだったマウスに比べて、11菌株も投与されたマウスではがん細胞の増殖が著しく抑えられました。こうした結果から、11菌株カクテルは、感染症やがんに対する新たな予防・治療薬となりえる可能性があることがわかりました。
※免疫チェックポイント阻害薬:がん細胞が免疫細胞の攻撃を逃れる仕組みを解除し、免疫細胞によるがん細胞への攻撃を保つ薬剤。

「これらの結果をもって臨床試験に臨みましたが、11菌株に関してはフェーズ2で止まっています。11菌株が疾患に対してどのように作用するか、その分子メカニズムがわかっていないからです。現在は共同研究者がその解明に取り組んでいる段階ですが、このことは我々にとって貴重な示唆ともなりました。その後に続く研究では、分子メカニズムを明らかにした上で臨床応用に進むという手法を取るようにしています」

生きた菌を活用して悪い菌を叩くというアプローチ

本田氏は現在、代謝の改善や感染症治療などに関わる複数の研究に並行して従事しています。いずれも生きた菌を用いてのアプローチです。

「抗生物質を長く飲んでいる人の腸には抗生物質耐性菌ができてしまい、それが世界的に問題となっています。抗生物質耐性菌は腸に炎症を起こし、それに対抗するにはさらに強い抗生物質を飲むことになり、ついには薬がきかなくなって感染症で亡くなる人もいるからです。そこで、抗生物質耐性菌に対して、抗生物質ではなく生きた菌で対抗して健康な腸内細菌叢を取り戻そうと、新たな菌株カクテルの開発に取り組んでいます」

本田氏はほかに、腸内細菌の働きをテーマとした各種研究、すなわち糖尿病などに関係する代謝改善、薬物代謝、健康長寿に関わるプロジェクトにも取り組んでいます。分子メカニズム解析から着手し、臨床試験を経て応用に至るまでにはきめ細かな検証を繰り返し、成果を積み重ねていかなければなりません。それでも、一人でも多くの患者さんを病気から解放するために、本田氏は研究の道を一歩一歩、確かな足取りで進み続けていきます。

本田氏(写真左)と三菱財団 七條氏(写真右)。
本田氏(写真左)と三菱財団 七條氏(写真右)。

プロフィール

慶応義塾大学医学部 微生物学免疫学教室 教授
本田 賢也氏

1994年神戸大学医学部卒業。2001年京都大学大学院医学研究科医科学専攻博士課程修了 博士(医科学)。2001年東京大学大学院医学系研究科免疫学講座助手。2007年大阪大学大学院医学系研究科免疫制御学講座准教授。2009年東京大学大学院医学系研究科免疫学講座准教授。2013年理化学研究所・統合生命医科学研究センター(IMS)・消化管恒常性研究チームリーダー(兼任)。2014年より慶應義塾大学医学部微生物学免疫学教室教授。

取材を終えて…

腸内細菌といえば身近な食品に含まれているお馴染みの2~3種類が思い浮かぶ程度の知識しかありませんでした。今回お話をお伺いし、腸内細菌には約1,000種類もあること、そしてそれらが様々な疾患の予防・治療に作用するという、まさに無限の可能性が秘められていることが分かり大きな夢を感じました。三菱財団として、こうした意義深い研究の一助となれたことを大変うれしく思います。これからも、先生のご研究がますます進展し、多くの方々を救う成果に繋がっていくことをご期待申し上げております。