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助成プロジェクト 成果レポート

【vol.24】江戸時代の文芸を通じて「和食」の情報を正しく後世に伝える母利司朗氏/京都府立大学名誉教授・大関綾氏/大谷大学助教

Key Point

  • 日本文学研究者の母利司朗氏と大関綾氏は、私たちに身近な唐辛子やおにぎり、うどんなどが日本人の食生活にどのように現れ、食べられてきたかを江戸時代の俳諧や戯作本を通じて調査し、4本の論文にまとめて発表しました。
  • 三菱財団の助成金は、主に古典籍(版本や写本)やその翻刻本(現代の文字に直した活字本)の収集に充てられました。また、京都在住の研究者が、貴重な資料を収蔵している東京の図書館を訪問し、調査を行うための出張費にも使われました。
  • 食の研究は主に食物学や栄養学などの領域で行われてきました。一方、食文化の研究では歴史学の領域からすぐれた研究が行われてきましたが、本研究のように文学作品を題材に行われたものはほとんどありません。本研究は文学作品から各食材が食べられた状況、食べた人の心情などまで読み取るという成果を生みました。

昔の人は、現代の私たちにも身近な食品 −−例えば唐辛子やうどん、おにぎり、甘酒−− をどのように暮らしに取り入れていたのでしょうか。それを知るための手がかりの一つが文学作品です。日本文学研究者の母利司朗氏(京都府立大学名誉教授)と共同研究者の大関綾氏(大谷大学文学部助教)は、江戸時代に書かれた膨大な文学作品を通じて、当時の食の姿を正確に、生き生きと描き出すという和食文化研究に挑みました。

おにぎり、うどん、唐辛子…身近な食べ物に着目

研究対象としたのは唐辛子、甘酒、おにぎり・おむすび・焼飯(やきめし)、うどん屋の4つ。どれも現代の食生活の中に残っている身近なものばかりです。例えば、論文「おにぎり・おむすび・焼飯 −江戸時代の俳諧(はいかい)資料から−(母利司朗)」(『京都府立大学学術報告(人文)』74号,209-217,2022.12)では、おにぎり・おむすびという名称の起源を文学作品からたどり、なぜ異なる名称があり、どう使い分けられているのかなどについて、文学作品を取り上げながら検証されています。

「おにぎり・おむすびの違いについてインターネットで調べてみると、形や地域によって呼び方が違うとか、神に捧げるとか、さまざまな説がはっきりとした根拠もなく述べられています。そうした曖昧な風説には以前から違和感を覚えていました。そこで、身近な生活を記すことの多い文芸作品にあたり、言葉として表わされた表現をできるだけ事実に近い情報として発信したいと考えたのが、今回の助成研究を思い立ったきっかけです」(母利氏)

江戸時代の庶民が好んだ「面白い文学」

母利氏の専門分野は江戸時代の俳諧です。俳諧とは、和歌や俳句のような韻文(いんぶん/五・七・五のような一定の韻律を持った文のこと)のなかでも、おかしさ、面白みのあるものを指します。

「日本の古典文学というと難しいイメージを持たれがちですが、実はそういったものばかりではありません。例えば、日本最古の歌集である『万葉集』には「無心所著(むしんしょちゃく)」という意図的に滑稽をねらった、思わずクスッと笑ってしまうような短歌が収められています。平安時代にまとめられた『古今和歌集』の巻19は「雑体(ざってい)」という部立(ぶたて/部門・分類の意味)ですが、その中にも「俳諧歌」という面白い短歌がまとめられています。しかしその後の歌集からは滑稽で俗な歌は除外され、雅なものになってゆきます。しかし、面白い文学作品はいろいろジャンルを変えて生き残り、江戸時代の「俳諧」は一大ブームを巻き起こして現在の俳句へと続いています」(母利氏)

母利司朗氏、手にしているのは18世紀ごろに出版された俳書(俳諧を集めた本)。
母利司朗氏、手にしているのは18世紀ごろに出版された俳書(俳諧を集めた本)。

共同研究者の大関氏が専門としているのは、江戸時代の大衆が読んでいた戯作(げさく)というジャンルの娯楽小説で、その中でも合巻や黄表紙(きびょうし/絵を中心として簡単な文章でストーリーを展開する大人向きの絵物語本)、滑稽本などが主な研究対象です。

「戯作本の面白さを知ったのは大学時代です。高校の授業で読んだ古典作品とは雰囲気が違い、ふざけた内容だったり挿絵が入っていたりして、とても新鮮でした。聞いたこともない大長編の作品もあって、当時は人気だったからこそ長編になったんだろうけれども、それが現在ではあまり知られていないことに驚きました。作品を読むうちに、昔の人は何に興味を示し、面白がっていたのかを知りたいと思い、江戸時代の戯作本を研究するようになりました」(大関氏)

大関氏「江戸時代の代表的な浮世草子作家、井原西鶴の作品でも、食がいろんな意味を持って書かれています。食の描かれ方を見ていくことは作品の読みを深めることにもつながると思いました」
大関氏「江戸時代の代表的な浮世草子作家、井原西鶴の作品でも、食がいろんな意味を持って書かれています。食の描かれ方を見ていくことは作品の読みを深めることにもつながると思いました」

俳諧を面白くする「俗」なもの

母利氏は長年の研究生活を通じて、これまで数千点ほどの俳諧作品を読んできました。それらに使われている語句や表現をよく見ると、俳諧には必ず「俗」な部分があることに気づきます。

「俳諧には和歌で詠まれてきた桜やほととぎすが引き続き詠まれますが、そのままでは俳諧にはなりません。人の暮らしに関わる俗な言葉や心のありようを句に投げ込むことで、自然に俳諧になるのです。暮らしとは衣食住のことですが、句に詠まれることが圧倒的に多いのは食べ物です。そこで、食べ物にまつわる句を抽出、分析してみたら新しい知見が得られるのではと、興味が湧いてきました」(母利氏)

これまでにも江戸時代の食をテーマとした研究は行われています。栄養学や調理技術、食物学など、いわゆる理系の研究者による研究や、歴史学の研究者による緻密な食文化史の研究がおこなわれてきました。しかし研究対象となってきたのは料理本をはじめとした実用書や随筆、日記などが多く、文学作品はほとんど使われていません。一方、日本文学の分野では『源氏物語』や芭蕉といった著名な作者の文学作品は多く研究されているものの、名も無き庶民の食が注目されることはありませんでした。

「つまり日本文学の中の食は、研究対象として盲点だったのです。私たちは食が描かれている日本文学作品を「和食文芸」と呼び、その盲点にあえてスポットライトを当ててみることにしました。しかし、ほとんど誰も注目していない分野の研究を助成してもらうことは大変難しく、日本文学関連でも、食関連でもなかなか助成を得られませんでした。ところが三菱財団のホームページを見ると、これまでにも領域横断的な研究への助成事例があることがわかりました。そこで私たちも研究助成を申請し、2020年度から2年間の研究費を得ることができました」(母利氏)

助成金は主に文芸資料の購入に充てられました。そのなかには、江戸時代の貴重な版本や写本もあります。大関氏は、古典籍を多く所蔵している「国立国会図書館 古典籍資料室」(東京)や「東京都立中央図書館 加賀文庫」などに出張し、調査を行いました。

「私は2年間の助成期間中におよそ100点の戯作を読むことができました。戯作本には挿絵が多いので、絵を見ながら内容にあたりをつけて、テーマに関連しそうなものを深く読み込むという形で研究を進めました」(大関氏)

今よりももっと身近な唐辛子

母利氏と大関氏が共同で発表した論文が「江戸時代の文芸と唐辛子」(『和食文化研究』4号,12-37,2021.12)です。この論文では、室町時代末期から日本に入ってきた(諸説あり)唐辛子が、江戸時代にかけて日本の食文化に入り込み、溶け込んでいく様子が俳諧や戯作を取り上げながら丁寧に紹介されています。

論文が掲載された書籍:「和食文化研究」4号(和食文化学会/写真左)・和食文化学入門(臨川書店/写真右)
論文が掲載された書籍:「和食文化研究」4号(和食文化学会/写真左)・和食文化学入門(臨川書店/写真右)

「文献を読んでいくと、江戸時代の人にとって唐辛子は今よりもずっと身近な日常食であることが伝わってきました。例えば、芭蕉の句に「色付くや豆腐に落ちて薄紅葉」とあるように、唐辛子は豆腐に使う薬味の定番でした。また、「長屋長屋の口に葭垣/朝顔の哀はしらぬ唐がらし」(『飛鳥山』)というように、貧しい人が集まって暮らす長屋では唐辛子を観賞用に植えています。実った唐辛子をもいで料理に使う様子を描いた句もあります」(母利氏)

曲亭(滝沢)馬琴の戯作『安部清兵衛一代八卦』(国立国会図書館蔵)には、唐辛子を茶箪笥から出し、酒のアテかお茶請けにする様子が描かれている。
曲亭(滝沢)馬琴の戯作『安部清兵衛一代八卦』(国立国会図書館蔵)には、唐辛子を茶箪笥から出し、酒のアテかお茶請けにする様子が描かれている。

「井原西鶴の浮世草子(町人の風俗や人情を描いた小説)『世間胸算用』には、「神田須田町の八百屋もの、…半切にうつしならべたる唐がらしは、秋ふかき竜田山をむさし野に見るに似たり(神田の青物市で唐辛子を桶に並べて売る様子は、まるで竜田山の紅葉を見るようだ)」とあります。江戸の市場が唐辛子で赤く染まる様子が目に浮かび、ワクワクしますよね。また、『〈うどん/そば〉化物大江山』という黄表紙にも唐辛子が登場します。源頼光と四天王たちになぞらえたそば軍団がうどん一党(大江山の鬼)を退治する物語なのですが、そば軍団の唐辛子に当てはめられたのが、幼名金太郎として知られる坂田金時です。金太郎の絵によく見られる赤い肌や、若者(唐辛子は日本に入って歴史が浅かったので)、人気者といったイメージを唐辛子に重ねたと考えられます」(大関氏)

大関氏はこの研究を通して、食べ物をキャラクター化する表現法に関心を持ちました。
「辛味からは強い、喧嘩っ早いといったイメージも連想されますが、その構図は『アンパンマン』に登場するカレーパンマンがちょっと短気で怒りっぽいのにもつながります。そんな話を学生たちにすると腑に落ちるようで、みんな楽しそうに授業を聞いてくれるんです」(大関氏)

「食」は今も昔も、人間にとって身近なもの。文学を食という視点から見るこの研究は、若い世代が日本文学に親しむきっかけともなるかもしれません。一方、母利氏はこの研究を通して、食文化に関心をもつ人たちに伝えたいことがあるといいます。

「インターネットや身近な書籍には食に関する情報がたくさんありますが、そのほとんどが『○○といわれている』『○○のようだ』と、確かな出所も記載されず、曖昧なまま掲載されています。そうした情報をそのまま受け売りで伝えるばかりでは、曖昧な情報は曖昧なままで終わってしまいます。『○○に書いてあった』という情報を見れば、その情報をさかのぼって確かめてみましょう。また、『○○といわれている』というだけのものであれば、できるだけ自分の目でその情報をさがしてみましょう。言葉や絵にはその手がかりがたくさん残されています。ぜひしっかりとした根拠に基づいた正しい情報を伝えられるようになってほしいです」(母利氏)

文学が伝える人々の息づかい

母利氏と大関氏の研究からは、写真も動画もない時代の人々が食べ、食を介してコミュニケーションを楽しんでいる様子がありありと伝わってきました。

「これまでの食の研究は主に、食材や調理法、健康や栄養にフォーカスされてきましたが、それだけでは食べている人の顔、食を介しての人と人との関わりを知ることはできません。文学作品を用いると、昔の人の感覚に寄り添い、何をどんな思いで、どんなふうに食べていたかを知ることができるのです。酒の飲み方だって、祝い酒もやけ酒も、普段の晩酌もある。そういった側面に興味をもって食をとらえられる人が増えたらうれしいですね」(母利氏)

「2013年に和食がユネスコ無形文化遺産に登録されました。しかし、様々な議論を見聞きしていると、和食がそのうち完全食のような、例えばサプリメントに取って代わられ、消滅してしまうのではないかという危機感も感じます。人がいかに“豊か”に生きていくかの方法を追究していく人文科学研究の一分野として「和食文芸」が根付き、昔の人々の食に対する感性や想いについても研究が進んでいくことで、これまで受け継がれてきた食文化や食を介してのコミュニケーションの大切さに気づくきっかけになればと考えています」(大関氏)

二人の研究からは、文学に現れる食の豊かさ、そしてそれを分析して後世に正しく残すことの意義が伝わってきました。

母利氏(写真左)、大関氏(写真中央)と三菱財団 七條氏(写真右)。
母利氏(写真左)、大関氏(写真中央)と三菱財団 七條氏(写真右)。

プロフィール

京都府立大学 名誉教授
母利 司朗氏

京都大学大学院文学研究科を昭和59年に満期退学。国文学研究資料館助手、岐阜大学助教授を経て、平成14年に京都府立大学教授。令和4年定年退職後、同大学名誉教授。京都大学博士(文学)。江戸時代の俳文学を専門とするが、近年では当時の文芸を通じた身近な食への関心も強い。『近世俳諧の曙』(平成19)、『近世俳諧の玉手箱』(令和4・編)、『和食文芸入門』(令和2・編)、『和食文化学入門』(令和3・共編)などあり。

大谷大学 助教
大関 綾氏

京都大学大学院文学研究科博士後期課程を令和2年3月に研究指導認定退学。翌3年に学位取得(博士(文学))。京都大学他非常勤講師、京都府立大学京都和食文化研究センター特別研究補助員などを経て、令和4年4月より大谷大学文学部助教。江戸時代後期の戯作文学を専門とする。食に関連した論考に「〈翻刻〉国立国会図書館蔵『大食寿之為』」(『和食文化研究』2号、平成31)や「黄表紙にみる「即席料理」」(『和食文芸入門』、令和2)がある。