みにきて! みつびし
地下に広がる銀の迷宮!銀が築いた約400年を歩く
生野銀山
訪問記を読む

生野銀山入口の門柱には菊の御紋が!?
入口では菊の御紋がある門柱が出迎えてくれます
|
生野銀山は兵庫県朝来(あさご)市にあります。神戸市内からはクルマで2時間弱。電車で行けば、姫路駅から在来線を乗り継いで90分、生野駅から配車サービスを利用して向かう、青々とした葉が生い茂る雄大な緑に包まれた山あいに佇み、訪れる人を悠久の歴史へと誘います。
まず到着して驚くのは、入口に菊の御紋の入った立派な門柱があることです。明治9(1876)年に生野製鉱所の正門として設置されたもので、昭和52(1977)年に今の場所に移設されました。現在は朝来市の指定文化財となっています。
門を入ると、広い敷地内には生野鉱物館(生野銀山文化ミュージアム)、お土産館、休憩所があり、入場券を購入して代官所門を抜ければ鉱山史料館や吹屋史料館といった施設が並びます。訪問したのは梅雨の季節の午前中でしたが、当日は天候も良く、空も青々としていました。山の中なので、空気もおいしく、清々しい気分になりました。
織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らが狙った銀山
生野鉱物館には徳川時代の銀山絵巻も展示されています
|
生野銀山は現在までに1200年以上の歴史を有しています。銀が発見されたのは大同2(807)年。室町年間の天文11(1542)年には但馬(現在の兵庫県北部)守護職だった山名祐豊(すけとよ)の時代に銀鉱脈の本格的な採掘が始められたと伝えられています。
日本が戦国時代だった16世紀後半には、中国で銀の需要が急激に高まり、中国やヨーロッパの商人達が日本で生産される銀を巡って、東シナ海で活発な貿易活動を行っていました。まさに世界は「銀の世紀」と呼ばれる時代でした。
その頃、生野銀山は「銀あることあたかも土砂のごとし」と評されるほど多くの銀を産出しました。そのため、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康ら日本の三英傑が関与した銀山はここだけだったと考えられています。ヨーロッパ人も関心を高めました。当時の海外の日本図で但馬国は「金銀鉱山王国群」と記されていました。豊臣政権時には全国から集められた銀の約8割が生野を軸とした但馬国の銀山から産出されたそうです。銀が政権の財源を支え、海外交易の原動力にもなったのです。
明治後半以降は三菱によって国内有数の大鉱山へ
鉱山稼働時代に使われていたヘルメットも展示されていました
|
時代は進み、明治元年(1868年)には日本初の官営鉱山に。明治政府に招かれた「お雇い外国人第1号」のフランス人鉱山技師ジャン=フランソワ・コワニェは帰国までの10年間で、製鉱所を建設し、生野で日本の近代化鉱業の模範鉱山・製鉱所の確立を目指しました。明治22(1889年)には生野鉱山と新潟県の佐渡鉱山が皇室財産に移され、宮内省御料局の所管になります。
明治29(1896年)、三菱合資会社に払い下げられ、以降、三菱の経営で国内有数の大鉱山として稼働しました。採掘した鉱石の種類は70種にも及びます。
その後、昭和48年(1973年)に閉山した後、翌年の昭和49年(1974年)に観光施設として史跡・生野銀山が開業しました。
いよいよ全長1kmの坑道の旅へ。内部はひんやり涼しい!
生野銀山の入口「金香瀬」。ここから全長1kmほどの坑道の旅が始まります
|
さあ、それでは坑道に入っていきましょう。坑道への入口は金香瀬(かながせ)坑口と呼ばれる、フランス様式のアーチ型の坑口となっています。築造したのは明治9年に生野銀山の近代化のために招かれた、あのフランス人鉱山技師コワニェです。実は前述の門柱を築造したのもコワニェだそう。坑道口の周辺には全国的にも珍しいヒカゲツツジの群生があり、3月下旬から4月上旬まで薄黄色の花を咲かせます。
坑道内は13℃と涼しく、清酒やワインも貯蔵されています
|
|
生野鉱物館には、アリの巣状を現わした鉱山を掘り出す様子を再現した大きな模型がありました
|
現在は近代坑道である「金香瀬坑」が観光坑道として公開されており、全長は1kmほど。約40分かけて探索ができます。実際に中に入ると空気がひんやり! 気温は年間を通じて約13℃ほどなのだそうです。この気温を利用して、今は清酒やワインなどを貯蔵する場所としても使われています。
坑道には、あちらこちらに銀鉱脈に沿って穴が開いており、うっかり落ちると上がれない深さだとか……。銀鉱脈は横向きに穴を開けて、鉱脈に沿って下から上向きに掘り上がっていく手法が採られました。坑内模型で見ると、まるでアリの巣のようです。金香瀬地区の深部は気温30℃前後、湿度90%以上であったため、自然通気と機械通気を併用して通気の改善を図ったそうです。
当時の過酷な労働環境は後の社会保険制度の礎となった
近代になり採掘の技術が大きく発展した様子も再現されています
|
江戸時代の坑内員達は、1人が進めるくらいの広さの中を這いながらノミで堀り進む「狸堀り」で進みました。しかし1日に進める距離はたった10~15cm程度と大変な労働でした。ちなみに大阪には宗右衛門町という地名がありますが、その当時、生野鉱山で働いていた親方の名前から採られたそうです。
近代以降は巨大な巻揚機によるエレベーターが利用され、最深部は地下730mまで坑内員を乗せて昇降していました。試掘のために深い穴が開いているとされ、高さ634mの東京スカイツリーがすっぽり埋まるほどの深さです。
生野にはコワニェがつくったフランススタイルの鉱山学校もあり、地元の優秀な若者達が通いました。また、今は普通に利用されている社会保険制度も鉱山労働者から始まっており、その元になったのが生野銀山だと言われています。
このように坑道内は、銀山隆盛の歴史を今に伝えるべく、この地底で繰り広げられた偉大なる先人達の努力と苦労の軌跡を魅力的に演出しています。未公開坑道まで含めれば、総延長は東海道新幹線新大阪駅から静岡駅近くまでの距離に匹敵するそうです。
坑道内では当時の鉱石運搬作業の様子を垣間見る事ができます
|
坑道見学の後は絶品のハヤシライスで一息
お土産館2階にあるレストラン「マロニエ」のハヤシライス
|
他にも敷地内の鉱山資料館では生野銀山の歴史や坑道内部の模型、三菱マークの鬼瓦や三菱重工神戸造船所でつくられた往年の水力発電機など三菱ゆかりの品を紹介しています。
またお土産館では、生野銀山のオリジナル商品、銀製品、坑道内の貯蔵酒など多くのお土産物を取り揃えています。ちなみに子ども達の夏休み期間には、楽しい砂金採りゲームが行われるそうです。毎年大盛況で、はまる人も続出するそう。
お土産館の2階にはレストラン「マロニエ」があります。メニューにはドリンク、そば・うどん、カレーライス、プレートランチなどがありますが、オススメは兵庫県産の黒毛和種・但馬牛が使用されたハヤシライス(1,280円)とオムハヤシライス(1,480円)! 但馬牛といえば、きめ細かなサシと、甘い脂、赤身の旨みが絶妙なバランスで融合しているのが特徴です。それだけにハヤシライスとしても味は抜群。卵が欲しい方はオムハヤシライスをぜひ。いくらでも食べ続けられる絶品です。
さて、史跡・生野銀山はいかがでしたでしょうか。その姿はまさに日本の歴史に刻まれた足跡そのもの。かつてここで多くの人達が躍動し、世界の中で日本の存在を知らしめた輝きの1つを知ることができるはずです。
史跡・生野銀山のある兵庫県のご当地情報を、「マンスリーみつびし」でもご紹介しています。
※2026年8月20日掲載。本記事に記載の情報は掲載当時のものです。
タグを選択すると同じカテゴリの他の施設が探せます。
こんにちは! 事務局のカラットです。これまで「みにきて!みつびし」では、一般に公開され、見学したり楽しんだりすることができる三菱ゆかりの地を多数紹介してきました。今回は、2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』にも登場した史跡であり、明治期には三菱によって国内有数の銀鉱山として発展した、「生野銀山」におじゃましてきました!