





キリンビールのシンボルデザインの誕生に
グラバーが関わっていたことを知っていますか?

長崎取材ではグラバー園でトマス・グラバーの面影に思いを寄せ、三菱重工長崎造船所を訪れた後、その周辺を歩くことになりました。そこで目に入ったのが青い作業ユニフォームを着た人たちばかりが立ち寄っている店でした。その名は「みやま食堂」という定食店。昼になると三菱重工の従業員の皆さんがたくさんやって来るそうです。
人気のランチは若鶏のからあげ定食ですが、長崎だけにちゃんぽんもうまそうです。私は人気のランチを、東京出身の同僚は変化球でみそちゃんぽんを注文しました。その手があったかと少し後悔しましたが仕方ありません。料理を待っている間、何気なく店内のメニューを見ていると、どうもこの店はお酒を飲みながら、単品のおかずも楽しむことができることが分かります。当然、ビールならキリンだろうと店内を見渡すと冷蔵庫にはやはりキリンビールがたくさん並んでいました。

みやまのみそちゃんぽん。
お店の紹介はバックナンバーをご覧ください
長崎に行くと必ずもう一度行きたくなる!?三菱重工長崎造船所の皆さんがおすすめする長崎で楽しむべきスポットとは?

長崎の中華街の一コマ。所々にキリンとグラバーの熱い思いを伝えるポスターが貼られている
キリンビールの前身であるジャパン・ブルワリー・カンパニー(JBC)は、発売する最初のビールの商標を「キリンビール(現・キリンラガービール)」とし、1888(明治21)年に発売しました。このキリンビールの発売に深く関わったのがトマス・グラバーでした。
キリンホールディングスのサイトによれば、発売当初から「キリンビール」のラベルには、古代中国の伝説上の動物である麒麟の姿が描かれています。当時、西洋から輸入されてくるビールには狼や猫などの動物を描いたラベルが多く、三菱の重役であった荘田平五郎が「東洋には麒麟という霊獣がいるのだから、それを商標にしよう」と提案したと言われています。
そして翌1889(明治22)年には、麒麟が大きく描かれた、今でもおなじみのラベルの原型となるデザインに変更されました。その提案者こそ、当時JBCの重役であったトマス・グラバーです。イギリスのビール業界の老舗であるフラー社の西洋の奇獣グリフィンからヒントを得たと言われています。グラバーはフラー社のデザインシンボルであるグリフィンを子どもの頃から目にしていたからかもしれません。実際に図案をデザインしたのは漆芸家の六角紫水と言われていますが、詳細は明確にわかっていないそうです。
1907(明治40)年、「キリンビール」の商標はJBCから麒麟麦酒株式会社に引き継がれました。それが現在まで続くキリンビールが創立された年となります。グラバーの提案以来、ラベルのデザインは130年以上ほとんど変わらず、現在にも引き継がれています。
