三菱広報委員会より

2025.07.31

かつて「マンみつ」と呼ばれ愛された広報誌があった。
WEB化して週刊になっても「マンスリーみつびし」と名付けた理由

「マンみつ」「まんみつ」「マンミツ」・・・書き方はどうあれ、今でもそう呼ぶ三菱グループ従業員も多い「マンスリーみつびし」。略して「マンみつ」、もちろん当WEBメディアのことである。2023年4月にローンチ、58年もの歴史を持つグループ広報誌がWEB化されたのであった。

創刊は1965年、昭和40年11月1日発行。記念すべき創刊号の始まりにはこうある。
「三菱広報委員会が会員各社の賛同をえまして発足以来、漸く一年と二か月近く、このたび広報委員会の機関誌として、広報マンスリー“みつびし”を発刊することになりました。」
(原文ママ)三菱広報委員会とは、三菱グループ各社の広報が集い「三菱系企業を広く内外に認識せしめ『三菱』に対する好感と信頼感を醸成する」(創刊号より原文ママ)ための組織である。

紙の冊子として発刊された「マンスリーみつびし」は三菱グループ各社に配布され、従業員はもちろん、各地の工場や支店、その家族やOB・OG、関連団体や施設など関係者が読めるグループ広報誌であった。毎月発行される月刊誌であったことから「マンスリーみつびし」という名称になったようだ。略して「マンみつ」という愛称で長年親しまれてきた。

ちなみに創刊号の巻頭対談は、当時、三菱重工の藤井 深造会長と三菱商事の荘 清彦社長による「創刊にあたってグループの諸君へひとこと」。当然というべきか「三綱領」をはじめとする「オール三菱の精神」「国家的に働く」というお話で、ちょうど60年後の現代にも通じる、今読んでもまったく古さや時代を感じさせない普遍的な内容であることに感動を覚える。三菱の精神は昔も今も変わることなく、脈々と受け継がれているのだ。

なにしろ58年もの歴史をもつグループ広報誌「マンみつ」である。表紙のロゴやデザインにも変遷がある。画像は上から、2023年、2008年、1997年、1995年、1992年、1989年のバックナンバーである。みつびし、という平仮名をメインにしたもの、すべて英語にしたもの、表紙を見ているだけで、その時代の空気が伝わってくるようだ。

気になる内容は、三菱グループ各社の最新の情報、社員のインタビュー、各地の拠点など、これまた現在のWEBサイト「マンスリーみつびし」にも受け継がれているベーシックな記事が中心。
ときには「やっぱり忙しい?意外に余裕あり?匿名アンケートで社長のホンネに迫る」(原文ママ)という特別企画が組まれたりしており、42社中36社の社長の回答を得ている。社内報では作れない、グループ広報誌ならではのスペシャルで贅沢な特集である。

またビジネス関連だけでなく、春には桜についての記事や、プロ野球特集など、幅広いコンテンツが月替わりで掲載され、当時のビジネスパーソンとしての教養や知見、趣味など造詣の深さもうかがい知ることができた。

2023年の春に紙の冊子からWEBサイトへと大きな変化を迎えた「マンスリーみつびし」。WEB化に際して三菱広報委員会及びその部会と編集部が頭を悩ませたのは「名称」について。

WEBサイトは毎週木曜日配信、と決まった。つまり正しくいうならば「ウイークリーみつびし」になるのだが、なにしろ58年もの間「マンみつ」で親しまれ呼ばれてきた愛称だ。「ウイークリーみつびし」ほかいろんな名称案が出たが・・・果たして覚えていただけるだろうか。三菱グループ36社と国内外の関係者、家族やOB・OGに至るまで広く長く愛されてきたメディアタイトルである。もはや「マンスリーみつびし」こそがひとつのブランドなのではないか。大切なのは、実際に配信が週刊であることよりも、「マンみつ」がWEBになっても続いているということそのものなのではないか。そういう結論に至り、「週刊だけどマンスリーみつびし」という流れでいこう、そう決まったのだった。

そしてWEB化にあたり、もうひとつ大きな変化があった。グループ関係者のみならず、広く一般の方々も読めるようになったのである。「マンスリーみつびし」がクローズドなグループ内メディアからオープンなサイトへと変わったのだ。三菱グループのことをより広く皆さまに知っていただけるよう日々、真摯に記事制作&配信している。

ウイークリーだけどマンスリーみつびし。今日も三菱グループの関係者の皆さんには「マンみつ」「まんみつ」「マンミツ」と呼ばれ愛されながら、三菱グループの歴史、今、そして三菱が目指す未来を伝えていくWEB広報メディアであり続ける。
#マンみつ #まんみつ #マンミツ #マンスリーみつびし

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