三菱の歴史

2024.01.25

漫画「千年くすのき」彌太郎編

第5話 三菱誕生

千年くすのき プロフィール

原作:成田 誠一(なりた・せいいち)
『マンスリーみつびし』冊子時代に連載していた歴史エッセイ『千年くすのき』著者。本連載はこのコラムの漫画化。

漫画原作:星井 博文(ほしい・ひろぶみ)
漫画原作者、漫画家。『まんがでわかる 伝え方が9割』(ダイヤモンド社)など経済から歴史ものまで著書多数。「なんでもマンガにしちゃう男」

@hoshiihirofumi(X、旧twitter)


漫画作画:上川 敦志(かみかわ・あつし)
漫画家。小学館「少年サンデー」などで活躍。同社の学習まんがシリーズでも著書多数。『小学館版 学習まんが人物館 スティーブ・ジョブズ』(小学館)など。実は女性。


題字:藤田 紅子(ふじた・こうし)
書道家。毎日書道会審査会員、南不乗発会、現日会副会長、高知現日会長、安芸全国書展審査会員。安芸全国高校生書展審査員。

三菱といえば、スリーダイヤ!
その原型が見られる安芸市へ行ってみよう

真っ赤なスリーダイヤこそ、三菱のマーク。その原型が高知県の安芸市にあります。岩崎彌太郎の生家です。観光名所でもあるこの家のどこにあるのでしょう。編集部の探訪ルポです。

安芸市の郊外、井ノ口一ノ宮に今も残る彌太郎の生家。建坪約30坪、茅葺きの平屋。この家で岩崎彌太郎、弟の彌之助、彌太郎の長男の久彌が生まれています。3人が産声をあげたのは、奥の東側の四畳半の部屋だとか。主屋や蔵などは、国の登録有形文化財に登録されています。

まずはお庭の見事な楠を見上げてみてください。この連載のタイトル「千年くすのき」はこの大樹からいただいています。彌太郎もこの楠とともに育ったのでしょうね。

生家の西側と後方にある土蔵の鬼瓦に三階菱といわれる紋があります。これは岩崎家の家紋であり、三菱マークの原型といわれています。
その鬼瓦のすぐ下の壁には三菱マーク。こちらは明治19年、銅像が完成と同時につけられたそうです。

鬼瓦はとても高い位置にあるのでなかなかうまく撮影できませんが、現地で西側の銅像の鬼瓦を見上げるとはっきりと三階菱を確認することができます。岩崎家の家紋である三階菱に、土佐藩主の山内家の三ツ柏という紋を組み合わせて、九十九商会の船旗号がつくられ、それが三菱グループを象徴するスリーダイヤになったといわれています。

そしてもうひとつ、三菱マークが見られる場所があります。
岩崎彌太郎生家の東隣にそびえる、彌太郎の銅像の台座です。台座には、長崎のグラバー邸や汽船など、岩崎彌太郎や三菱グループに関連する絵柄がパネルのように飾られているのですが、そのなかにスリーダイヤと、三階菱、山内家の三ツ柏が描かれています。

銅像前の広いスペースには、日本地図が。これは生家の庭の、彌太郎がつくったという石組の日本地図をイメージしたものかと。少年の彌太郎が天下飛雄の夢を託し「日本は我が庭の内にあり」と眺めたという逸話も残っています。

ここ高知県安芸市、そして彌太郎生家が、三菱グループ、そして岩崎彌太郎を語るに欠かせないスリーダイヤの成り立ちや歴史が感じられる場所であることを実感できます。

岩崎彌太郎の生家のお話は、この連載の第3話でもレポートしています。
そちらも併せてお読みくださいませ。

漫画「千年くすのき」彌太郎編 第3話「不譲不屈」

高知県安芸市井ノ口甲

岩崎彌太郎生家

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