ライフスタイル企画

2025.05.22

本を読めば「今」が見えてくる――BOOK REVIEW Vol.20

まだまだ知らないことがいっぱい――日本を再発見する3冊

BOOK REVIEW メインビジュアル

GWを海外や日本の名所、リゾートなどで過ごした人も多いだろう。けれどガイドブックで目につく場所だけが、文化をもつわけではもちろんない。キャッチーな特性の語れない土地の物語に耳を傾けることは、人生の幅をぐっと深く、豊かに広げてくれるはずだ。今回は日本のもつ土地や文化を知る新たな視点をもたらしてくれる3冊をセレクト。書物を通して日本を探索しよう。

ナゾの終着駅

ナゾの終着駅 鼠入昌史著 文春新書
(1,045円)

まずは軽やかに、「よく知っている駅名なのに訪れたことがない」、そんな駅を訪れる散歩本。文藝春秋オンラインの誕生時から続く人気鉄道・紀行連載で250駅以上訪ねてきたという著者が厳選した30駅がまとめられている。毎日の通勤電車で、表示やアナウンスでのみ知っている終着駅には何があるのか? 首都圏、関西圏を中心に、後半は南国と北国の終着駅をフィーチャー。JR中央線の終着駅「大月」は、富士急行線に乗り換えて富士山を目指す登山家で多国籍の賑いを見せる。京王線相模原線・都営新宿線の終着駅「橋本」はかつて養蚕地として栄えたが、今は品川から名古屋、大阪まで通る予定のリニア中央新幹線の駅地として、開通を心待ちにしている。東京メトロ有楽町線・東武東上線・西武池袋線・埼京線・りんかい線などの終着駅を担う新木場駅は「夢の島」として有名。1930年代に飛行場建設のための埋立地として生まれたが、第二次世界大戦で計画が頓挫、ゴミ処分場となったことで環境悪化が進み、ゴミの受付をストップ、その後木材関連の会社が移転してきたという歴史をもつ。
日本には約9,000の駅があり、東京駅や新宿駅のような巨大ターミナルもあるが、なかには1日に数人しか使わないような無人駅もある。そのそれぞれに人が暮らし、集落が形成され、歴史がある。名前だけ耳馴染のある駅のもつ物語を知ると、休日に足を伸ばしてみたくもなる。

桜とは何か 花の文化と「日本」

桜とは何か 花の文化と「日本」 佐藤俊樹著 河出新書
(1,320円)

卒業式や入学式・入社式を彩るのに最高の存在「桜」。スポーツチームの日本代表の通称に使われるなど、「サムライ」に並び、日本を象徴する存在と誇る人も多い。一方で梶井基次郎や坂口安吾が描いたように桜の木に死を連想させる描写も多く、どこか怪しげなイメージも宿る。本書は長年桜を含め比較社会学・日本社会論を研究してきた著者が「日本の桜」の謎を巡る研究を綴った一冊。桜といえばソメイヨシノのイメージが強いが、実は2000年ごろから品種も見頃の時期も多彩に変化しているという、意外なようで“そう言われてみれば…”な事実に始まり、私達が知っていると思い込んでいる桜の真の姿を解き明かす。桜は日本古来のものなのか、韓国から来たのか、中国から来たのか。桜と梅はどちらが愛でられてきたのか。「さくら」の名、そこに「桜」の漢字が当てられた由来は。それぞれが単独なことのようでいて、実は深くつながっている。農業の広まりとともに山が近くなり、豊作の祈りが生まれたこと、収穫の秋から遠く離れた「春」の残酷さなど、桜を取り巻く環境には知られざる日本の物語が蠢いている。象徴としての強い力をもつ「桜」だからこそ、歴史に根付いている嘘も多く、それを丁寧に紐解く本書は、簡単には答えを教えてくれない。しかし著者とともに桜の幹に触れ、桜の声を聞くようにページをめくると、新たな日本の顔が見えてくるのだ。

マル

マル 平川克美著 集英社インターナショナル
(2,200円)

最後に紹介するのは、昭和・平成時代を生きた著者が下町の人間関係のなかで育った記憶を描く自伝的小説。70年代、80年代の物語は表紙の写真のようにセピア色のなかに輝きを放つが、後半は一変して2010年の物語に。旧友達が再会し、新たな物語を生み出していく。著者は1950年に大田区の金属加工工場に生まれたが、起業家として後に経営学から詩の講義までマルチな才能で知られる存在。工業地帯でみんなが等しく貧しいなか、ときには命からがらのむちゃをしながら、冒険と興奮に満ちた小学校時代を経て、中学、高校と年齢を重ねる。そのなかには人生の選択、価値観を左右するさまざまな出会いがあり、事件があり、別れがある。
この物語の背景が戦後の混迷期であるとか、下町という特徴はもちろんある。そして今の時代、都市部で会社勤めをする人々にとって住処は、間取りや眺望や通勤時間で選んだだけかもしれないし、隣近所の人を知らないこともあるだろう。それでもきっと誰しも多かれ少なかれ、とくに人格形成期には、こんなふうに地域社会が自分に流れ込み、価値観や人生の選択と結びついて、ときにそこに逃げ込んだり、守られたり、反発したりしながら、育ってきたのではないか。自分がかつて住んだ土地がただの住所ではなく、自分の一部なのだと考えると、今住んでいる場所の景色も違って見えてくる。

ライタープロフィール

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文/吉野ユリ子
1972年生まれ。企画制作会社・出版社を経てフリー。書評のほか、インタビュー、ライフスタイルなどをテーマにした編集・執筆、また企業や商品のブランディングライティングも行う。趣味はトライアスロン、朗読、物件探し。

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