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大規模ボート大会『全三菱レガッタ』開催

-小学生からシニア、トップ選手まで幅広く参加-

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11月23日、埼玉県の戸田ボートコースで第65回全三菱レガッタが開催されました。

ボート競技の大会を指す「レガッタ」ですが、この全三菱レガッタは三菱グループ各社のクルーに加え、クラブチームやシニアチームなど100組以上のクルーが出場し、多彩な種目が行われる日本の企業ボート大会では最大規模のレガッタとなっています。主催は三菱グループのボート愛好家による組織・三菱ボートクラブ。レース後には懇親会が開かれ、会社の枠を超えてボート仲間としてお互いの健闘を称え合いました。



素晴らしいレースの数々に社員たちの熱気が高まる

写真中央がインタビューに応じてくれた上田さん

レースが始まると沿岸から応援の声や拍手が湧きあがります。「男子50歳以上ナックルフォア」(4人の漕ぎ手と1人のコックス=舵手の計5人で競うレース)に出場し、見事優勝した上田武司さんは、三菱ボートクラブに所属し、仕事と両立しながらボートを続けてきました。ボートの魅力について、上田さんは次のように語ります。

「ボートを漕いでいる間はお互いの顔が見えないのですが、全員のオールのタイミングがぴったり合う瞬間があります。顔が見えなくても心がつながったときの気持ちよさは何にも代えがたいですね。練習もレースもきついですが、心身ともに鍛えられるので仕事にも生かされています」(上田さん)

週末のほか平日にもトレーニングをしているという上田さん
上田さんが所属するクルーが表彰されました
「同僚も上司もスポーツに対する理解が深く、恵まれた環境に感謝しています」と木野田選手

全三菱レガッタの魅力のひとつは、トップアスリートとも「三菱のボート仲間」として肩を並べてレースに出場できることです。木野田沙帆子選手は数々の日本一を達成している名門クラブ・明治安田ボート部の女子主将を務めています。2025年9月には日本代表として中国・上海で行われた世界選手権にも出場しました。そんな木野田選手にとっても、全三菱レガッタは楽しみな大会です。

「企業単体で開催されるレースは多いですが、グループ企業対抗の大会は珍しいと思います。種目も多く、しかも皆さんが高い熱意を持って参加しているところがいいですよね。三菱グループの別会社に勤める大学の後輩から声をかけられることもあり、さまざまな会社の方と交流できることも三菱グループならではの魅力です」(木野田選手)

木野田選手は「女子対社ナックルフォア」で優勝。一体感のあるオールさばきで水面をすべるように疾走し、トップアスリートならではの余裕も感じられるレースを披露しました。

世界レベルのローイングで観客を魅了する木野田選手

起源は明治時代にさかのぼる、三菱レガッタの歴史

全三菱レガッタの起源は、明治時代に隅田川・向島で行われたボートレースにさかのぼります。当時は、三菱合資会社の造船、鉱業、倉庫、商事、地所、銀行、製鉄、保険など各部の有志によって開催されました。

大正時代に入ると、三菱合資会社の部員数が増えたことから、従来の「各部対抗」ではなく、当時の社員クラブの名称「三菱倶楽部(Mitsu Bishi Club)」の頭文字を取った「M」「B」「C」の3組に分けた方式でレースが実施されるようになり、レース文化は受け継がれていきました。

その後、戦争などの影響で一時的な中断はありましたが、戦後に三菱各社のボート部が順次活動を再開し、1957(昭和32)年には三菱14社によって復活第1回の全三菱レガッタが開催されました。さらに、三菱創業100周年記念事業として1974(昭和49)年に新しく戸田艇庫が完成。以降、全三菱レガッタは毎年盛大に開催され、三菱グループの歴史とともに発展し続けています。

戸田ボートコースのほとりにある戸田艇庫
全三菱レガッタには三菱の文化が息づいています

80代現役選手、三菱のボート文化を支える

三菱のボート文化を支えてきた萬代さん

高校からボートを始め、1964(昭和39)年の東京オリンピックに出場経験のあるベテランの萬代 治さんは、1965(昭和40)年に三菱油化(現:三菱ケミカル)へ入社し、その年から会社のボート部員とともに全三菱レガッタに出場するようになりました。

多忙な時期には競技から離れたこともありましたが、定年退職後、三菱のシニアクラブ会員として競技を再開。83歳となる今も練習を続け、全日本マスターズ大会や世界マスターズに三菱シニアクルーとして出場、全三菱レガッタにも毎年コックスとして参加しています。萬代さんは次のように語ります。

「長い歴史を持つ全三菱レガッタは、各社のボート部員にとって大切なイベント。学生時代に同じクルーだった仲間が会社対抗のライバルになったり、逆に学生時代のライバルが同じ会社のクルーとなったり、オアーズマン(ボート選手)の交流の輪が広がる場でもあります。入社後にボートを始めた人たちにとっても、このレガッタに参加することは一つの目標になっていると思います」(萬代さん)

萬代さんは、戸田艇庫の管理や、ボートに不具合が生じた際に修理会社との連絡を担うなど、裏方としても三菱ボートクラブを支えています。三菱のボート文化を陰に日向に守り続けているのです。

萬代さんは現役コックスとして今回も活躍

地域に開かれたレガッタとして受け継いでいく

子どもたちも奮闘していました

「和を養い和を貴ぶは三菱所属社員の伝統的精神なり」と説いた、三菱第四代社長の岩崎小彌太。心身の両面で協働を求められるボート競技は、まさにその理念にふさわしいスポーツとして歓迎されました。小彌太自身もボートに熱心で、1917(大正6)年の大会では「年長者番外レース」に出場したという記録も残っています。

全三菱レガッタは、こうした歴史と精神を受け継ぎながら、より地域に開かれた大会を目指しています。招待レースでは小学生や中学生が一生懸命にオールを握る姿が印象的でした。

「全三菱レガッタを後援している三菱養和会では、子どもたちが所属するボートクラブが『練習でボートを使いたい』と希望したときには、優先的に貸し出し、次世代の選手育成を応援しています。いつからそうしているのかは正確にはわかりませんが、三菱重工OBの先輩から『子どもたちへの協力は惜しみなくするように』と言われてきましたので、ずっと前から続けてきた取り組みだと思いますよ」(萬代さん)

今回で65回を数えた伝統ある全三菱レガッタ。日頃の努力を披露する競技の舞台として、そして、世代や会社の垣根を越えて人々をつなぎ、三菱が大切に受け継いできた“養和の精神”を未来へ手渡す場として、これからも愛されていくことでしょう。

各種目のトロフィー。多数の種目があるので活躍できるチャンスもたくさん

※2025年12月16日掲載。本記事に記載の情報は掲載当時のものです。