春になり、通勤の朝の風が柔らかくなったり、植物の匂いが濃くなったりしていることに気づいただろうか。この後の会議やさっき受信したメッセージのことで頭がいっぱいで、景色すら意識していない人が多いかもしれない。しかしAIが進みつつある今こそ私達人間は、五感を磨くことが価値につながるはず。生命の活力を感じるこの季節こそ読みたい、自分の「感覚」を磨く3冊を紹介する。
感覚史入門 なぜプラスチックを「清潔」に感じるのか 久野愛著 平凡社
(1,100円)
赤は暖かい? 女性? それとも注意喚起? 赤色ひとつとっても人によって、また状況によって感じるイメージは異なるだろう。人の感覚は普遍的なものでも自然なものではなく、作られたものだ、と本書は語る。「資本主義とは五感を商品にし、日常の体験を設計してきた」と述べる著者。お菓子メーカーは歯ごたえを、化粧品メーカーはクリームを肌に伸ばしたときの感触を、それぞれ日夜研究している。本書が行うのは、工業化や産業化の歴史的プロセスが人間の身体や感覚に与えてきた影響を捉える試みだ。第2章では大正から昭和初期にかけての東京や大阪など都市のデパートメントストアに焦点を当て、「新たな感覚」に注目。第3章ではアメリカにそのステージを移し、匂いや味、触感、食感を数値化した研究プロセスを紹介。4章では技術の発達によって生まれた新素材、ナイロン製ストッキングやプラスチック、ガラス、セロハンなどが私達の「衛生観」をどのように変化させたかについて考察している。さらに後半では19世紀以降欧米や日本で人気を集めたパック旅行や遊園地などの「体験」感覚の変化、「ヴァーチャル」な体験が私達の感覚をどう変えたのか、「感覚」とジェンダーや人種などによる差別との政治的な関連性にもフォーカス。自分の五感も資本主義によって作られたものだ、という認識をもつことで、世界の見え方が随分変わってくるはずだ。
人間には12の感覚がある 動物たちに学ぶセンス・オブ・ワンダー ジャッキー・ヒギンズ著 文藝春秋
(2,860円)
五感は操作されている、と疑った一方で本書では、私達の人間がもつもっと奥深い12もの「超感覚」をテーマにしている。著者はオックスフォード大学大学院で「利己的な遺伝子」の著者、リチャード・ドーキンスの下で動物学を専攻してきた研究者。人間やその親戚としての動物達が、どんな感覚をもち、それが世界観や世界の理解にどう影響しているのかを考察する。古くから人間は五感をもち、「第六感」といえばテレパシーなどの超能力とされてきたが、近年の神経学者の研究によると、人間の感覚は22種類とも、33種類ともいわれている。そもそも「感覚」という言葉の定義が定まっていないため分類が難しいにせよ、多様な機能があるのは間違いなく、少なくとも五感はそれぞれ2通り以上あるらしい。本書で取り上げるのは、「内なる嗅覚」「超味覚」「色の嵐の世界」「全盲の画家の、触覚による脳内画像生成」「耳のもつ視力」「時間感覚」「フェロモン」「方向感覚」などといった感覚。こうした感覚がなぜ認められるのか、そこでは何が起きているのかを、動物や人間の豊富な研究事例とともに紹介している。
なんとなく心がざわついたとき、「気のせい」と流しがちだが、実はそれは、名もなき「感覚」がキャッチした重要な情報かもしれない。五感の常識を捨て、自分の感覚に耳を澄ませよう。
なぜ存在しない感覚が感じられるのか 共感覚の謎を解く 牧岡省吾著 光文社
(1,100円)
「共感覚」という言葉を聞いたことがあるだろうか。味覚・聴覚・触覚・視覚・嗅覚の五感は、一般的にはそれぞれ独立して感じられるものなのに対し、同時にふたつの感覚が感じられることを言う。文字に色を感じる、音に色を感じる、言葉に味を感じる、数字に人格を感じる、というように。その組み合わせは少なくとも112種類確認されている。共感覚者にとってはそれが普通であるため、自分が共感覚者だと認識していない人もいて実態は明らかではないが、ある実験によると、文字に特定の色を感じる「色字共感覚者」は1%程度いるらしい。本書ではこうした「共感覚」をもつ人がどんな世界を見ているのか、なぜ共感覚が引き起こされるのか、人によってバラバラなのはなぜかといった謎に迫る。
こう書くと特殊な体質の人の話のようだが、実は誰もが共感覚をもっているという。例えば音が「高い」「低い」というように、私達は音に「高さ」という性質を感じている。実際には周波数は波の多さに対応したもので高さではないにもかかわらず、だ。また日本ではその高い声を「黄色い声」と呼び、スペイン語では「白い声」、ドイツ語では低い音を「暗い音」と呼ぶように、私たちは音の高さと明るさをも対応させて感じていることがわかる。
一体私達は何を見て何を感じるのか、そもそも見るとはどういうことなのか、味覚とは何なのか。最先端の認知科学を通して、「感じる」メカニズムを垣間見てみよう。
ライタープロフィール
文/吉野ユリ子
1972年生まれ。企画制作会社・出版社を経てフリー。書評のほか、インタビュー、ライフスタイルなどをテーマにした編集・執筆、また企業や商品のブランディングライティング、講師活動も行う。かつてはトライアスリートだったが、最近の趣味は朗読とピアノ。