食欲の秋。舌だけでなく頭と心も「おいしい」で満たしてみてはどうだろう。毎日の食卓に並ぶ世界の家庭料理から、戦国武将たちの腹を満たした料理、そして誰かの心をそっと立て直す一皿まで。食が単なる栄養素でないのはいうまでもないが、そこには土地の文化や風土、時代や歴史、そして人間関係や個人の価値観まで、あらゆるものが詰まっている。本を通して、いつもの「おいしい」を少し違った角度から味わってみよう。
世界自炊紀行 山口祐加著 晶文社(2,750円)
「今日の夕飯、何にしよう」。栄養、家計、好み、健康…さまざまなことを考慮に入れながら献立を考え、買い物をし、料理をする。この毎日の繰り返しに負担を感じている人は少なくないだろう。では、世界の人達は日々何を作り、どんなふうに食べているのだろうか? そんな疑問を胸に、自炊料理家の著者が世界へ飛び出した。
2024年の春から1年間、12か国、38家庭を訪ね、それぞれの家庭のいつもの「自炊」に触れた著者。本書ではそのうち24組の自炊を紹介している。3食外食でもOK、キッチンがない家も多いという台湾、午後2〜3時ごろの昼食を主役に1日5食というスペイン…。正解や常識なんて言葉は吹き飛んでしまう。献立を毎日変える必要もないし、温かかったり冷たかったりしなくてもいい。得意な人がいれば作ればいいし、作れなくても恥じることはない。著者とともに、自炊に対して私達がいかに無用なプレッシャーを感じ、縛られていたのかを思い知らされる。
一方で程度の差こそあれ世界中どこも、女性が炊事を担うという傾向は強い。根深い問題だと感じつつ、女性読者ならどこか国境を超えた共感を覚えるかもしれない。
食を通した紀行文でありながら、同時代を生きる世界の人々の日常に触れられる一冊。今夜の献立を考えることが、昨日までより少し気楽になりそうだ。
豊臣家の包丁人 木下昌輝著 文藝春秋(2,200円)
「腹が減っては戦ができぬ」とは、古くから現代に至るまで通じる言葉だが、まさに戦国の世の勝敗の背後には「食」があった。豊臣秀吉・秀長兄弟のそばには、人々の腹を満たし、時にはその料理で人の心まで動かした「包丁人」(料理人)がいたという。本書がスポットを当てるのは、京出身の料理人・大角与左衛門。戦場を駆け回る豊臣兄弟の天下取りを、「食」という視点から描いた歴史小説だ。
くずとして捨てられていた雉(きじ)の内臓を使った汁、決死の戦を前に即席のかまどで焼く下魚のかまぼこ、秀吉と秀長に故郷を思い出させるドジョウの味噌鍋。そこに並ぶのは、華やかなご馳走ばかりではない。限られた食材を生かして兵達を奮い立たせ、故郷を思い起こさせ、またときには敵方との交渉にも一役買う。現代のように食材も調理器具も入手が容易ではなかった時代だからこそ、「何を食べさせるか」に料理人の知恵と覚悟が詰まっている。序章・終章を含めた10章からなる本書は、いずれも「初陣飯」「喧嘩飯」「出世飯」「自立飯」など、そのシーンを冠した食がタイトルとなっている。読み進めながら改めて私達の毎日でも「いつ何を食べるべきか」を考えさせられる。
そしてまた、現在大河ドラマ放映中の「豊臣兄弟!」をより深く楽しめるのも本書の魅力。戦国時代を台所から眺め直すことで、何となく知っていた史実やテレビで観た物語が、いっそうリアルに香ってくるはずだ。
はじまりのスープ、夏ゼリー 瀬尾まいこ著 新潮社(2,200円)
目の前の人に「おいしい」と言ってもらえること、それは人をこんなにもやさしく、強くするのだ。本書は、「誰かのために作る料理」の力に気づかせてくれる、やさしく温かな物語だ。
主人公の中森リリーは、人間関係の距離の取り方が苦手で定職に就かず、フリーターをしている。父子家庭で幼い頃から料理をしていた彼女は、料理コンテストに出て賞金を稼ぐこともあれば、料理とは無関係の手近なアルバイトで暮らしを繋いだりしている。物語には、彼女が手がけるさまざまな料理が登場する。海の味がするスープ、廃業寸前の食堂のオリジナル親子丼、料理下手な主婦のための最高の豚キムチ、熱中症の老女を救う牛乳小豆シャーベット、そして妹との思い出のカラフルゼリー…。そのとき、その人に必要な一皿を作り出す。そんな彼女の料理は食べる人の心を動かし、人と人を繋いでいく。同時に作り手である彼女自身もまた、作ること、おいしいと言われることが力となって、新しい一歩を踏み出していく。
忙しい日々では、毎食食べることさえルーティンになり、まして作ることなど負担にしか感じられないこともあるだろう。けれどこの物語に触れると、誰かを思って作られた料理の温かさ、誰かを思って料理を作ることの豊かさがしみじみと感じられる。さあ、誰かのためにご飯を作ろう。作ってもらったご飯を大切にいただこう。
ライタープロフィール
文/吉野ユリ子
1972年生まれ。企画制作会社・出版社を経てフリー。書評のほか、インタビュー、ライフスタイルなどをテーマにした編集・執筆、また企業や商品のブランディングライティング、講師活動も行う。かつてはトライアスリートだったが、最近の趣味は朗読とピアノ。