三菱のアート

2024.01.18

キリスト教がやって来た!アジア各国の反応は?

東洋文庫ミュージアムの真骨頂
企画展「キリスト教交流史―宣教師のみた日本、アジア―」へGO!

日本におけるキリスト教は、1549年(天文18年・室町時代)にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したことをもって伝来とされている。当時の日本人は、肌や目の色、言語も文化も異なる外国人に対して理解を示したらしく、「日本人は聞く耳をもっている」と、新たなキリスト教布教の地としてスポットライトが当たったのだ。島国に住む日本人は「視野が狭く閉鎖的」といわれることがあるが、広く柔軟な心をもち、好奇心にあふれるという一面もあったのだろう。

世界的に貴重な史料を蒐集・公開するだけでなく、日本とアジア諸国、そしてアジアとヨーロッパの交流をひもとくことを大きな柱としている東洋文庫は、2024年11月に創立100周年を迎える。その周年記念の一環として1月27日から開催される展覧会「キリスト教交流史―宣教師のみた日本、アジア」を紹介しよう。

島国ニッポン、意外に柔軟だった!?

中東で生まれたキリスト教は、どのようにアジアへと伝えられたのか? まずはモンゴル帝国がヨーロッパ近隣にまで領域を広げたことにより、ヨーロッパから中国への陸路が確立される。しかしそれはあまりにも遠く、盗賊などに襲われるなどの危険に満ちた旅路。中国までたどり着けない宣教師や学者も多く、布教活動は一時頓挫する。
そして15世紀後半にはじまった大航海時代になると、喜望峰ルートの海路でのアジア進出が可能になる。まずはインドに入国するものの、同地は土着の信仰が強く、思うような布教ができなかったとか。

「ザビエルの生涯」 ホラティウス・トルセリーニ著 1600年 バリャドリッド刊 東洋文庫蔵

ザビエルの伝記。ザビエルといえば…のあの髪型はトンスラ(ラテン語で髪の毛を剃るという意味)と呼ばれるものだが、実はザビエルはトンスラにしていたわけではなく、彼の死後に「…じゃないかな」と描かれたものが定着してしまったという説もある。

次にスポットライトが当たったのが日本だ。室町時代末期の1549年に、スペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルが日本にやって来る。「日本人は教養があって礼儀正しく、私たちの話もちゃんと聞いて理解してくれるぞ!」ということで、日本がキリスト教のアジア布教の足掛かりとなったのだ。
また、キリスト教の全能の神デウスと、日本の密教において本尊である大日如来が混同されたことから、「キリスト教というのは仏教の宗派のひとつ?」と受け入れた日本人も多かったとか。織田信長の時代は布教が進んだが、やがて排除の憂き目にあう。豊臣秀吉、徳川家康とキリスト教の弾圧は続き、表立っての布教は敵わず、江戸時代になると多くの宣教師らが日本国外へと追放されることになる。

「日本の歴史」 シャルルヴォア著 1754年 パリ刊 東洋文庫蔵

この図版はイエズス会の宣教師兼冒険家が描いた、織田信長の居城・安土城。信長はキリスト教の保護に努めた時期があったため、彼と宣教師たちとの交流は随時ヨーロッパに伝えられていた。本書は、多くの図版を用いて日本人の生活や習慣などを紹介。ヨーロッパでの日本知識の形成に影響を与えた貴重な史料。

下の「ドチリーナ・キリシタン」の図版に“NIPPONNOIESVS”(ニッポンノイエズス)と読める。本書はローマ字表記の日本語による、キリスト教の教義を12項目に分けて解説したもの。これを外国人宣教師が読んで聞かせれば「音」で伝わり、日本人もローマ字さえ読めれば解読できるというわけ。双方の歩み寄りがあってこその布教だったことの、ひとつの証としても貴重な書籍だ。

「ドチリーナ・キリシタン」 1592年 天草刊 東洋文庫蔵

版も印刷も日本製。キリシタン大名が派遣した天正遣欧使節に随行した日本人修道士によって、活版印刷の技術と印刷機が九州に持ち込まれる。16世紀末から17世紀はじめにこの印刷機で製作された書物を「キリシタン版」といい、本作もそのひとつ。17世紀初頭の徳川幕府によるキリスト教の弾圧により、キリシタン版は世界にわずか30点ほどしか残っていない。

他のアジア諸国に残るキリスト教布教の足跡

「中国新地図帳」マルティノ・マルティニ著 1655年 アムステルダム刊 
東洋文庫蔵

たとえば、本展覧会における希少なカラーの展示品である「中国新地図帳」の扉絵(上図)からは、ヨーロッパのアジア観が見てとれる。上方に描かれているのは、イエズス会の紋章から放たれる光を鏡に反射させて火を灯す様子。「キリスト教によってアジアを照らす」という意味なのだとか。下方で天使が手にしているのはアジアの地図や地球儀。布教のターゲットを示しているのだ。中国の明・清代にイエズス会の宣教師たちがせっせと海を渡り、西洋の学問によって地図制作や天文観察をし、医療を発達させるなど、キリスト教の布教以外にも交流が行われたことを示す書籍も本展で多数展示される。

「唐土名勝図会」 岡田玉山編/画 岡文暉・大原民声画 1806(文化3)年 東洋文庫蔵

北京に実在した天文台の図。描かれた機器は現存している。

中国を訪れた宣教師は「この国になじまなければ布教は難しい」と思ったようだ。下図に描かれているように、宣教師はキリストの教えだけでなく科学知識を伝え、中国の習俗を取り入れて彼らの懐に入っていった。もしもザビエルがあの髪型ではなく、月代にちょんまげを結っていたら、日本での布教状況は変わっていただろうか?

「中華帝国誌」 デュ・アルド著 1738~1741年 ロンドン刊 東洋文庫蔵

フランスのイエズス会士であるデュ・アルドによる、中国の歴史や地理、政治、自然、文化や風習、学問に宗教までをまとめた著作の英語版。図版の5人は中国における布教の重要人物で、儒者や清の官服を着た上の3人は有名な宣教師。下の男性は洗礼を受けてキリスト教徒となり、西洋の知識を中国語に翻訳して広めた学者で政治家の徐光啓(じょこうけい)、右にはキリスト教を篤く信仰したその孫娘が描かれている。

創立100年イヤーにふさわしい東洋文庫ならではの展覧会

写真提供:長崎県観光連盟(🄫濱本政春)
※写真掲載に当たっては大司教区の許可をいただいています。

上は、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産として、世界遺産に登録されている長崎県の出津教会堂(しつきょうかいどう)の写真。本展覧会では、ザビエルによって我が国にもたらされたキリスト教のはじまりから、長崎や天草地方の潜伏キリシタン関連史料も紹介する。

東洋文庫の主要な研究テーマのひとつである東西交流史において、キリスト教の存在の大きさは計り知れない。キリスト教が入ってきたことで、アジアの社会や文化はどう変容していったのか。宣教師はキリスト教だけでなく、文化や物品、技術、学問など、さまざまなものの“旅する広報団”でもあったのだ。

歴史資料を蒐集、保存、公開するだけでなく、その研究が世界の東洋学に大きく貢献してきた東洋文庫。創立100周年を迎える2024年最初の展覧会「キリスト教交流史―宣教師のみた日本、アジア―」では、東洋文庫創立時から蒐集してきたアジアにおけるキリスト教布教関係の書物が70点ほど展示される。東洋文庫の本質に触れられる展覧会というわけだ。

美術館データ

東洋文庫ミュージアム

「キリスト教交流史―宣教師のみた日本、アジア―」

会場:東洋文庫ミュージアム(東京都文京区本駒込2-28-21)


会期:2024年1月27日(土)~5月12日(日)
会期中休館日:火曜日
開館時間:10時~17時(最終入館は16時30分)

入館料:一般900円、65歳以上800円、大学生700円、高校生600円、中学生以下無料


問い合わせ:☏ 03・3942・0280

ホームページ http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/

X(旧Twitter) @toyobunko_m

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