三菱のアート

2024.04.18

静嘉堂@丸の内で画鬼と鬼才によるゾクゾクするほど見応えのある展覧会開催!

河鍋暁斎の代表作が久しぶりの共演!
好古家・松浦武四郎の依頼とは…?

松浦武四郎をご存知だろうか。「北海道の名付け親」と聞けば覚えのある人も少なくないだろう。16歳で伊勢から江戸へひとり旅をしたことを発端に全国を歩き回り、行く先々でその土地の風土や文化を書き留め、未開の蝦夷地を訪れ…と、江戸時代末期から明治にかけて活躍した探検家であり好古家(考古遺物や古美術を愛好して蒐集する人)だ。
同時期に絵画の世界で突出した才能を花開かせたのが河鍋暁斎。武四郎は画鬼と呼ばれた河鍋暁斎をたいそう気に入り、蒐集品図録の挿絵を担当させたり、自身をお釈迦様に見立てた涅槃図を暁斎に描かせたりしている。
静嘉堂文庫の施工100年を記念した特別展【画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎「地獄極楽めぐり図」からリアル武四郎涅槃図まで】は、なんだかゾクゾクするほど面白そう!
まずは、松浦武四郎の鬼才・変人ぶりから紹介しよう。

幕末から明治期にかけて、こんな鬼才・変人はたくさんいた?

左/明治15~17(1882~84)年、数え65~67歳の頃に撮影された、松浦武四郎の姿を確認することができる唯一の写真。着用している自慢の首飾りは「武四郎涅槃図」にも描かれている。(松浦武四郎記念館蔵)
右/初め浮世絵を歌川国芳に学び、後に狩野派で修業し、流派の枠にこだわらず、なんでも貪欲に取り入れた河鍋暁斎。幕末から明治期にかけて、戯画や風刺図から、美人画、幽霊図、花鳥画まで、多彩なジャンルで活躍した。

江戸時代の文政15(1818)年、現在の三重県松阪市に郷士(武士階級の農民)の家の第4子として生まれた松浦武四郎。家督に縛られることなく自由になる時間があり、金銭的にも恵まれていた武四郎は幼い頃から放浪癖があったという。16歳での江戸へのひとり旅をきっかけに全国を巡るようになると、19歳のときに長崎で出家、九州本土の西北端である平戸では臨済宗の寺の住職になったり、壱岐・対馬へ渡ったりも。そうして誰に頼まれるわけでもないのに、行く先々で土地の風土や風習、文化などを絵や文章などでまめに書き残す生活を約10年続けたという。

「東西蝦夷山川地理取調図」松浦武四郎撰
安政6(1859)年刊 (公財)静嘉堂蔵

経度と緯度を1度ずつ区切り、26枚を並べると蝦夷地の姿になるという地図を出版。そこにはこの図のように詳細な山河や、アイヌ語による9800もの地名が記載されている。伊能忠敬や間宮林蔵が測量した沿岸部のデータに加え、武四郎の緻密な歩測とスケッチ、アイヌの人々から得た情報に基づき作成したもので、内陸部まで詳細に描いた初の蝦夷地の地図となった。本展覧会では美術館ホワイエの床にこの図が敷かれ、幕末に認識された北海道地図の上を歩くことができる。

そして長崎滞在中の25歳のとき、ロシア南下による蝦夷地の危機を知った武四郎の人生は大きく動き出す。北方探検を決意して27歳で蝦夷地に渡って以来、安政5(1858)年までで6回の調査を行うことになるのだ。しかも最初の3回は私費による〝自由研究〟だったが、後半の3回は幕府の命によるもので、明治になり〝開拓判官〟という役目を仰せつかっている。蝦夷地の調査のために不可欠なアイヌの人々の協力によるこの調査も、彼らと時間をかけて深くかかわった武四郎だからできた偉業だった。
こうした現地調査は、樺太(現在のサハリン)南部の様子を描いた紀行本「北蝦夷余誌」や、「東西蝦夷山川地理取調紀行」などの書物にまとめられ、蝦夷地やアイヌ民族の姿を伝えている。

究極のオタク? 興味や趣味を自己完結で終わらせない松浦武四郎

幼少期から旅に魅せられていた武四郎だが、もうひとつ彼の心を掴んだものが〝鈴〟だ。同郷の国学者・本居宣長が蒐集していたさまざまな鈴の絵を見たことがきっかけになり、古物への興味を極めていく。開拓判官を辞職する際に尽力してくれたのが親交のあった岩倉具視で、彼が住んでいた東京の馬場先門の岩倉邸長屋に武四郎も移り住む。馬場先門といえば、現在の静嘉堂文庫美術館が入る明治生命館のあたりだ。
その頃から武四郎の蒐集癖に加速がつく。古墳時代の青銅製の鈴や須恵器などのやきもの、陶製の枕、木彫仏や石仏、装身具、国内の出土品などに加え、朝鮮や中国などから渡って来たものまで、蒐集はさまざまな時代やジャンルの古物に及んだ。
そして明治時代の好古家の例にもれず、武四郎も同好の仲間を集めてたびたび品評会を催したり、詳細な図録を刊行したり。その仲間とは、巌谷一六や小野湖山、山岡鉄舟や勝海舟をはじめとする文人や政治家など時代の寵児達であり、新収蔵品には彼らに箱書きをさせたりもしている。また、再現性が重要だと考えた蒐集品図録には、渡辺小崋や河鍋暁斎などの当時著名だった画家を起用した。

左は武四郎の鈴コレクションのひとつ、青銅製の鬼面鈴。鐃(どら)の鈴部分が人面になっているのが特徴的な「鬼面鈴」(年代不詳)。同じ型を用いて鋳造されたと考えられる鬼面鈴が、本居宣長記念館に収蔵。

右は、首巻が明治10(1877)年に、2集が明治15(1882)年に刊行された、松浦武四郎撰「撥雲余興」より、河鍋暁斎が武四郎の鬼面鈴を描いた図。いずれも(公財)静嘉堂蔵。

目玉はこれ! 暁斎が足掛け6年がかりで描いた「武四郎涅槃図」と描かれた愛玩品

蒐集した古物を仲間に見せ合い自慢し合ったり、私家版の豪華な図録を作ったりなどしていくうち、ついに辿り着いたのが自身の涅槃図だ。涅槃図はお釈迦様が入滅したときの様子を描いたもの。永久の真理を象徴する沙羅双樹のもとに置かれた台座に、右手を頭の下に当てたお釈迦様が横たわり、その周りを十大弟子などが取り囲んで嘆き悲しみ、お釈迦様の涅槃が近いことを悟った実母の摩耶夫人が天女を引き連れて駆けつける…というものが一般的な涅槃図。これを武四郎は、昼寝している自分の姿をお釈迦様になぞらえ、周りに親交のあった人物を配置。後ろの朱塗りの台座にはとくにお気に入りとみられる愛玩品を陳列し、天からは浮世絵に描かれた美人達が舞い降りてくる…と、すべて自分仕様に変換している。
そして、この「武四郎涅槃図」の制作に抜擢されたのが河鍋暁斎というわけだ。

「武四郎涅槃図」河鍋暁斎筆
明治19(1886)年 松浦武四郎記念館蔵

天地152.6㎝、幅84.2㎝という大作。明治14(1881)年に暁斎に依頼、完成まで5年の歳月がかかったのは、「これも描いて、あれも描いて」と武四郎からの追加注文が度重なったからとも。描かれたもののなかには「古い絵画で見たような…」という、観音さまや達磨、動物などもいて見飽きることがない。大好きなものに囲まれ、昼寝をするかのような安らかな死を描いたこの作品は、「北海道人樹下午睡図(ほっかいどうじんじゅかごすいず)」とも呼ばれている。

鑑賞者をも幸せな気分にさせてくれる大作だが、見るべきはこれだけでなく、作品中の陳列台に描かれた古物の実物も同時展示! 松浦武四郎記念館所蔵の「武四郎涅槃図」と、そこに描かれた(公財)静嘉堂の所蔵品が、初めて本展覧会で一堂に会すという。生い立ちや環境が似ていて、互いに天神信仰・観音信仰に篤かった武四郎と暁斎。ふたりの交流は特別なものだったということが、この作品からもうかがえるだろう。
「武四郎涅槃図」に描かれ、本展覧会で鑑賞できる古物のいくつかを紹介しよう。

「大首飾り」 縄文時代~近代 (公財)静嘉堂蔵

翡翠や瑪瑙、水晶、ガラス玉など、縄文時代から近代にかけてのさまざまな勾玉や管玉243点を絹糸でつなげた首飾り。冒頭の唯一の肖像写真でも首にかけていて、武四郎のトレードマークだったことがうかがえる。

「火用心袋」 巖谷一六筆 明治時代 (公財)静嘉堂蔵

皮を模した紙製の袋は伊勢の特産品。量産品ではあるが伊勢にしかないもので、これを大量に注文し、サイン色紙のような感覚だったのかいろいろな人に「火用心」と書かせ、刻み煙草入れとして使用。本品は書家の巌谷一六の筆によるもので、「武四郎涅槃図」で本人が腰に下げているほどのお気に入りだったと思われる。

「聖徳太子像」 年代不詳 (公財)静嘉堂蔵

「武四郎涅槃図」で陳列台の右奥に描かれた、最大高10.7㎝という小さな木彫像。馬の鞍に一部金彩が残る。江戸時代の作と思われるが作者など詳細は不明。

「武者像」 探僊周山作 江戸時代中期(18世紀)  (公財)静嘉堂蔵

蔵品目録には「探僊周山作武者」とある。探僊周山は大阪の絵師吉村周山のことで、根付師としても独特の作風で名を馳せた人物。

「仕覆」 江戸時代中期 (公財)静嘉堂蔵

摩耶夫人が涅槃の間際のお釈迦様に向けて、薬箱を括りつけた錫杖を投げるも沙羅双樹に引っかかって間に合わなかった――という涅槃図のスタンダードを描いたもの。武四郎のコレクションにあった、翡翠の勾玉などによる首飾りが収納された蒔絵の鏡筥を入れた仕覆を用いている。

シャプティ エジプト新国王時代(紀元前14世紀)
(公財)静嘉堂蔵

錫釉による色鮮やかなミイラ姿の小さな像(最大長7.5㎝)は、明治14年に新聞人の山形篤蔵から贈られたもの。

暁斎だけじゃない! 武四郎をめぐる人物相関には…

「地獄極楽めぐり図」(部分) 河鍋暁斎筆
明治2~5(1869~72)年 (公財)静嘉堂蔵

河鍋暁斎の代表作のひとつに挙げられるのが、(公財)静嘉堂所蔵の「地獄極楽めぐり図」。暁斎のパトロンのひとりであった日本橋の小間物問屋勝田五兵衛の、14歳で早世した愛娘の一周忌追善供養のためにと依頼された画帖だ。阿弥陀三尊の案内で、冥界を楽しく見物しながら極楽に到着するまでの40シーンを描いたもの。

この【画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎「地獄極楽めぐり図」からリアル武四郎涅槃図まで】展の目玉のひとつは、「武四郎涅槃図」とそこに描かれた武四郎の愛玩品である。
武四郎は、暁斎なら自分の涅槃図を描くにふさわしいと思ったのだろうか。あるいは、好古家にふさわしい絵として涅槃図に仕立てるというアイデアを暁斎が提案したのかもしれない。「暁斎が思いつきそうでもあるし、武四郎も相当変わった人ですから、どちらのアイデアだったとしても不思議ではありません。武四郎と暁斎が共同で制作した作品と言っていいと思います」とは、本展覧会担当学芸員の吉田 恵理さんの弁だ。

暁斎の「武四郎涅槃図」と、作中に描かれた武四郎の愛玩品を同時に鑑賞でき、目玉のふたつめである「地獄極楽めぐり図」も鑑賞できる展覧会。これだけでも眼福、かなりお腹いっぱいになるはずだが、加えて武四郎にはじまる人物相関も面白いので紹介しよう。
伊勢の豪商で蔵書家の川喜田石水(川喜田家14代当主)と武四郎は幼なじみで、ともに古銭収集家でもあった。その石水の孫が、陶芸家の川喜田半泥子。半泥子は明治生命の大株主で、当時の筆頭株主であった三菱四代社長の岩崎小彌太とも交流があった。ふたりの茶道の師である表千家の久田宗也は、豊臣秀吉が開いた北野大茶会から350年という昭和11(1936)年に行われた昭和の大茶会で、岩崎家の茶道具を用いて献茶を奉仕。そんな彼らの縁が垣間見られるよう、古銭や茶道具、書簡など、ゆかりの品も展示される。


静嘉堂文庫の竣工100年を記念した特別展【画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎「地獄極楽めぐり図」からリアル武四郎涅槃図まで】の開催は6月9日(日)まで。静嘉堂文庫美術館が入る明治生命館2階の見学や丸の内仲通りの散策、東京駅南口に面したKITTE6階の展望デッキからの眺望…なども、あわせて楽しんではいかがだろう。

美術館データ

静嘉堂文庫 静嘉堂文庫

静嘉堂文庫竣工100年

画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎

「地獄極楽めぐり図」からリアル武四郎涅槃図まで


会場:静嘉堂文庫美術館(東京都千代田区丸の内2-1-1 明治生命館1階)


会期:2024年4月13日(土)〜6月9日(日)
会期中休館日:月曜日、5月7日(火) ※4月29日(月・祝)、5月6日(月・祝)は開館
開館時間:10時~17時(土曜日は18時閉館、第4水曜日は20時閉館、いずれも入館は閉館の30分前まで)

入館料:一般1,500円、大学・高校生1,000円、中学生以下無料 ※日時指定予約優先(当日券も販売)


【関連イベント】※詳細は下記ウェブサイトでご案内いたします。

●「鼎談 がいなもん!暁斎と武四郎!」
日時:4月21日(日) 14時~15時30分
会場:明治安田ホール丸の内(明治安田生命ビル低層棟4階)
講師:河治 和香(小説家)×山本 命(松浦武四郎記念館館長)×安村 敏信(静嘉堂文庫美術館館長)
定員:150名
参加費:無料(当日の入館券を提示)

●「担当学芸員のスライドトーク」
日時:5月4日(土)、19日(日)、6月1日(土) いずれも11時~、14時~
会場:明治安田ホール丸の内(明治安田生命ビル低層棟4階)
定員:毎回30名
参加費:無料(当日の入館券提示)

●「竣工100年記念・静嘉堂文庫探検!」
日時:4月30日(火)、5月10日(金) いずれも10時30分~11時30分、13時30分~14時30分、15時30分~16時30分
集合場所:静嘉堂文庫 噴水前(東京都世田谷区岡本2-23-1)
定員:毎回20名
参加費:1,500円(要予約、本展覧会の入館券提示)


問い合わせ:☏ 050・5541・8600

ホームページ https://www.seikado.or.jp/

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割引クーポン

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※2名様まで1回限り有効
※他の割引と併用不可
※入館時にこの画面をお見せください

<会期中の2024年6月9日(日)まで>

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