トップインタビュー

2023.12.21

三菱HCキャピタル

「トライ&エラー」を信条とするバンカー出身の新社長
「社員が明るくハッピーで、社会に信頼され、リスペクトされる会社」を目指す

三菱関連企業のトップのお考えやお人柄をお伝えする連載『トップインタビュー』。 第8回は三菱HCキャピタルの久井大樹社長に、プライベートでの時間の過ごし方や、 自らが思い描く10年後の会社像などを聞いた。

体にフィットした細身のスーツをびしっと着こなす、笑顔が素敵な久井社長。 日頃からランニングやトレーニングに励んでおり、「30代の頃からスーツのサイズは変わっていません」。

三菱HCキャピタル 代表取締役 社長執行役員
久井 大樹(ひさい・たいじゅ)

1962年生まれ。1985年に東京大学経済学部を卒業後、三菱銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。米州本部、欧州本部で活躍後、執行役員として欧州本部欧州営業部長、インド総支配人などを務め、帰国後、常務執行役員、専務執行役員などを歴任。2021年6月に三菱HCキャピタルに転じて、副社長執行役員、取締役 副社長執行役員を経て、2023年4月より現職。

――久井社長は、日頃から忙しいスケジュールの合間を縫って体を鍛えていらっしゃると伺いました。

久井マッチョを目指しているわけではないのですが(笑)、身につけるスーツのサイズが変わらない程度に体形をキープしたいと思い、運動を習慣化しています。学生時代から中長距離走が得意で、一時期はフルマラソンにも挑戦していました。今は週に2、3日、5km~10km程度を走っています。あとは週1回のジム通いですね。パーソナルトレーナーに付いてトレーニングをしています。こちらは人にすすめられて始めたのですが、今までの我流のトレーニングがいかに非効率だったのかがよく分かりました。若い頃は筋肉もしなやかで多少の無理は利きますが、年齢を重ねると、体を鍛えるための運動が思わぬケガにつながったりもします。ですから、プロのトレーナーの助言は大変に役に立っていて、自宅でも時間をつくってトレーニングをしています。

――学生時代はずっと運動部。大学ではサッカー部でいらっしゃいました。今も当時のお仲間とプレーされたりすることがあるのですか?

久井今は、サッカーをすることはありませんが、サッカー部の同期は結束が固く、年に数回は集まっており、家族ぐるみの付き合いです。誰かが地方勤務の際は、そこに皆で出向いて、地元のスポットを案内してもらったりしています。高知や福井、名古屋、昨年は北海道に行きました。海外の赴任先まで押しかけたこともありました(笑)。楽しかったですね。

――海外と言えば、毎年、久井社長は奥様とイタリア旅行をされていらっしゃるのですよね。

久井私の数少ない趣味のひとつです。新婚旅行先がイタリアで、それ以来、まとまった休みが取れたときに出かけるようになりました。ここ数年は、コロナ禍で実現できていませんでしたが、基本的には、年に1度は休暇をとってイタリアで過ごしています。海外留学していた頃に同じアパートに住んでいたイタリア人の友人がいて、今では、現地で彼のファミリーと合流することが多いですね。彼のお父さんはサルディーニャ島に別荘を持っていて、夏はそこに泊めてもらいます。秋冬に旅行する際は、専らトスカーナ地方でワイナリー巡りです。おいしいものを食べたり飲んだりするのが好きなのです。

イタリア旅行の際の一枚。海外留学時代の友人ファミリーと一緒に

本社と出向先の板挟みになって悩んだ30代

――お仕事でも米州、欧州、インドなど海外経験が豊富で、銀行では融資、企業審査といった幅広い業務を経験していらっしゃいます。若手バンカー時代、最も印象に残っている出来事をお教えください。

久井最も頭に残っているのはつらい時期の記憶です。1996年に私が勤務していた三菱銀行が東京銀行と合併したのですが、両行はそれぞれに米国カリフォルニア州の銀行を買収していて、この2行も合併しました。今のユニオンバンク(2022年にU.S.バンコープに譲渡)です。私は合併の前年から出向していたので、7年間ほど在籍しました。米国の銀行ですから、周囲は現地の人ばかりで、言語の壁にもぶつかりました。しかも、当時の私は審査担当でしたから、「この会社に融資したい」という営業担当者にいろいろとうるさいことを言う立場です。言われた担当者は「わけの分からない日本人の若手が、親会社から来たというだけで偉そうに」と思ったことでしょう。それこそ、“親会社のスパイ”のように思われていたわけです。一方で、親会社からすれば、子会社の建て直しのために送り込んだのに、全然役に立っていないじゃないかという話になります。親会社からも出向先からも冷たい目で見られているように感じて、身の置き場がありませんでした。朝起きてシャワーを浴びているときも、審査を通せない理由を英語でどのように説明したらよいのかを考えてしまうほど悩みましたね。

――その窮状をどのようにして打破されたのですか?

久井現地の行員との間に信頼関係を築くことが急務と考え、つたない英語で積極的にコミュニケーションを図り、仕事以外でも一緒に食事をしたり、飲みに行ったりするようにしました。こちらからアプローチをしていかないと、「わけの分からない日本人」のままで終わってしまいますからね。そうした姿勢が受け入れられたのか、2年ほど経った頃にはチームの一員として扱ってもらっていると感じるようになりました。
当時、家族を帯同していたのですが、仕事に邁進できたのは、2人の息子のケアも含めて、家のことをすべて妻に任せられたことも大きかったですね。子どもたちは現地の学校に通学し、地元のスイミングスクールにも通っていました。これがなかなかに大変で、日々、学校やプールへの数回の送り迎えや、夜遅くに帰宅する私の食事の準備なども含めて、妻がフル回転でがんばってくれたため、あのハードな日々を乗り切れたのだと思います。妻にはあのとき、一生分どころか“三生分”の借りをつくった感じです。いくら返しても返し切れないですね。

「トライ&エラー」の精神で会社的変革に挑む

――久井社長は統合のタイミングで三菱HCキャピタルに移られました。統合プロセスを経て、本年度からは三菱HCキャピタルとして初の中期経営計画(中計)が始動しています。中計のなかで「10年後のありたい姿」を「未踏の未来へ、ともに挑むイノベーター」としています。素敵ですね。具体的にどのような会社像を目指していらっしゃるのですか?

久井なかなかによいフレーズでしょう? 社内の皆でいろいろと考えて、最終的にこうなりました。2年半前の統合後、当時の川部 誠治会長、柳井 隆博社長、さらには、私を含めた副社長3人の計5人で、会社の将来についてブレストをしたのです。そのときは「10年後のありたい姿」を「リース会社の枠を超えた〇〇になりたい」として、その「〇〇」を決めていこうという話になっていました。しかし、当社の将来は「〇〇」という2文字では到底収まり切らないのではないかということで仕切り直した経緯があります。これからの時代、社会のニーズに合わせて業態を変化させることのできない会社は生き残っていけません。リース業界の将来がどのようになるのかは分かりませんが、少なくとも、リースだけでは会社は存続できない。そうした危機意識は強く持っています。ですから、将来、「そういえば、リース会社っていうのがあったよね」という話題になったとき、「三菱HCキャピタルって昔はリース会社だったんだよね」と言われるような会社でありたい。当社は、そうした前提で、特定の分野に縛られず、新しいことにどんどんと挑戦していくつもりです。可能性は無限大です。

――そのありたい姿を実現するためにCX(企業変革)を掲げていらっしゃいます。社長ご自身が社長室からミーティング用の椅子をなくすといった改革を始めていらっしゃると伺いました。

久井私自身、よいとすすめられると素直に取り入れて、積極的に試してみるタイプなんです。銀行時代に海外出張した際、フロアに可動式のテーブルだけを置いている会社がありました。そこでは立って仕事をしている社員もいれば、座って働く社員もいる。話を聞いてみると、立っている方が健康によいし、作業の効率も向上するのだそうです。そこで早速、当時の私の役員室に取り入れてみました。ミーティング用のテーブルを可動式に変え、ミーティングはすべて立ったまま行うことにしました。そうすると実際、ミーティングが早く終わるようになりました。社員の皆にもそういうトライはどんどんしてほしいと思っています。もちろん、トライしても全部が成功するわけではありません。たくさんのエラーを出しても、そこから学んでいくことで成長や発展につながります。それは、人間も会社も同じです。経営者として会社が傾くような失敗は困りますが、次につながる失敗ならば、むしろ歓迎したいくらいです。「変革」という言葉には仰々しいイメージがありますが、私はこうした小さなチャレンジを積み重ねていくことが大切ではないかと思っています。

三菱グループのなかで「期待される会社」に

――この2カ月ほどは隔週ペースで海外の拠点に出向いて、現地の従業員の皆さんとの対話を重ねていらっしゃるそうですね。

久井はい。副社長時代の最後の1年間は海外担当だったので、毎月、どこかの拠点に出張していました。しかし、社長になってからは思うように時間が取れず、やっと8月から海外の主要拠点をひと通り回ろうと動き出しました。この2カ月間で欧州、米州、アジアなどを巡り、各地でタウンホールミーティング(対話集会)を実施しました。私が行く前に経営企画担当役員が新しい中計について詳細な説明をしてくれていたので、私はそのフォローアップの役割でした。驚いたのは、行く先々で新中計への関心が高かったことです。中計目標の達成や「10年後のありたい姿」の実現に向けて、自分たちは何をすればよいのかといった前向きな発言が続々と出てきて、正直、私たち経営陣の伝えたいことがそこまで浸透しているのかと感動しました。

――社員の皆さんとの双方向コミュニケーションを大切にされているのですね?

久井そうですね。社長になってしみじみと感じたのが、社長とは非常に孤独な役職であるということです。会社の最終意思決定を委ねられ、泣いても笑っても自分が最後の砦とならざるを得ない。下手をすれば“裸の王様”になってしまうかもしれない。だからこそ、周囲とのコミュニケーションを積極的に取っていく必要があると思っています。現地に出向いて、社員と対話をする。そこからは、数字や報告書からは読み取れない貴重な情報がたくさん得られます。
最近は、特に、自分の目で見ること、自らの耳で聞くことの大切さを痛感しています。 例えば、サンフランシスコに滞在した際、時差ボケを解消しようと早朝から街中を走ったのですが、ダウンタウンの雰囲気がだいぶ荒んでいる印象を受けました。コロナ禍で在宅勤務が一気に進み、オフィスワーカーが戻ってきていないのでしょう。
社員と対話をしていても、本当にさまざまな話が出てきて、驚くとともに新鮮ですね。

――本日は、皆さんが元気になるような楽しいお話をありがとうございました。最後に、『マンスリーみつびし』の読者へのメッセージをお願いします。

久井当社は2021年4月に旧三菱UFJリースと旧日立キャピタルが統合して誕生した、できたてほやほやの会社です。従って、三菱HCキャピタルという社名もまだそれほど世の中には浸透していないかもしれません。しかし、中身をみると、銀行・商社系とメーカー系という異なる強みを持つ2社が一体化し、さらに大きくパワーアップしていく可能性を秘めた会社です。社内において、「社長はどのような会社にしたいのですか?」と尋ねられたときには、「社員の皆さんが明るくハッピーで、かつ社会から信頼され、リスペクトされる会社」と答えています。この2つが会社を発展させる原動力になると考えているからです。三菱グループのなかでも、「期待される会社」になっていきたいと思いますので、ぜひ当社の今後にご期待ください!

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