トップインタビュー

2024.01.18

三菱みらい育成財団

若い頃に「心のエンジンを駆動する」ことが大切、
テニスに夢中で数学の面白さに目覚めた高校時代が私の原点

三菱関連企業のトップのお考えやお人柄をお伝えする連載『トップインタビュー』。第9回は三菱みらい育成財団の宮永 俊一理事長(三菱重工業会長)に、財団の果たす役割や現在の活動、自身の高校時代のエピソードなどを聞いた。

自身も高校時代から心のエンジンが駆動していたという宮永理事長。硬式テニスに明け暮れた福岡・小倉高校での思い出を楽しそうに語ってくれた。

三菱みらい育成財団 理事長
宮永 俊一(みやなが・しゅんいち)

1948年、福岡県生まれ。1972年、東京大学法学部を卒業後、三菱重工業に入社。機械事業本部重機械部長、エムエイチアイ日立製鉄機械(現Primetals Technologies Japan)取締役社長などを経て、2006年に執行役員に就任。2013年4月から2019年3月まで取締役社長として大規模な社内改革を進めた。2019年4月より取締役会長(現職)。政府税制調査会特別委員、健康保険組合連合会会長、一般財団法人中東協力センター会長なども務める。

――三菱みらい育成財団は2019年10月、三菱グループ創業150周年記念事業のメイン事業として設立されています。設立の意義や、財団が行っている活動について教えてください。

宮永三菱みらい育成財団は10年の時限プロジェクトで、次代を担う若い世代の育成を目指す教育活動への支援と、それに伴うネットワークづくりや情報発信を行い、その成果を広く社会に波及させるために活動しています。
グループ各社から10年間で100億円を拠出し、高校生を中心とする15~20歳の若い世代を対象とした教育プログラムに原則3カ年単位の助成事業を行っており、「心のエンジンを駆動する」をコンセプトに 、5つのカテゴリーで学生が自ら考え主体的に取り組むことのできるプログラムを支援してきました。
設立後間もなくコロナ禍となりましたが、2020年度から2023年度にかけて助成先は延べ301機関、参加者総数は16万9000人に上っています。
他にも高校・大学やNPO法人といった助成先同士が意見交換や情報共有を行う交流会やシンポジウムを開催したり、助成事業を通じた分析と提言を盛り込んだ研究レポート2023「心のエンジンが駆動するとき」を公表したりしてきました。2023年3月には財団が取材協力した書籍『教育が変われば、社会が変わる』(KADOKAWA)が発売されています。
15~20歳は人格の骨格とも言うべき土台の部分が形成される大切な時期です。そのタイミングで、世代を超えて多くの人と会ったり議論したりすることは貴重な体験になります。
いろいろな場で、いろいろな人たちと人生を語り合う。そして、自らを成長させると同時に、温かい心に根差した人々とともに歩むといった協調的な人生観を培っていく。
こうして次世代の日本を支える多様な人材の多様な才能を伸ばすことが、今の日本が抱える大きな課題解決へとつながるのではないかと考えました。課題解決のための教育改革、そこに三菱グループが取り組むことに大きな意義があります。

社会の持続性を強固にするための教育改革

――財団のアイデアは三菱グループのトップが集まる金曜会から出てきたそうですね? 宮永理事長はどうお考えになったのですか?

宮永金曜会で「三菱グループとして日本の教育界に一石を投じてはどうか」という議論がなされた時は、出席者の皆さん、それぞれの思いがあったと推察します。そのなかで、私自身これが三菱グループ150周年記念事業にふさわしいと考えた理由は、日本の教育うんぬんよりももっと根源的なところにありました。
数百万年という人類の歴史を振り返ると、ようやく19世紀の産業革命以降に近代市民社会が形成されました。その後は、社会的な教育を受けた個々の市民が協力し合いながら支える社会が基本的には今に至るまで持続しているといえます。その間、社会はさまざまな発明や発見、進歩などを通じて知識や技術を蓄積し伝承してきたわけですが、グローバル化やIT化でそのスピードが加速するなかで、社会課題は複雑化、難解化してきました。とくに近年は冷戦後の世界に浸透していたグローバリズムがある意味で限界を迎えつつあり、そこに地球温暖化などの問題が加わり、さらにAI(人工知能)も含めたDX(デジタルトランスフォーメーション)で世界経済が大きく変わるという激動の時代に入っています。
こうした時代だからこそ、社会の持続性を今の時代に合った形でより強固にしていくことが重要であると考えました。私たちは有限な人生を生きているなかで、常に次世代の人たちに社会の持続性を託しています。それを複雑化する社会のなかでやり遂げ、次の社会をよりよいものにしていくためには教育が大変重要です。
教育は文字通り「教え育てる」ことを意味します。人間は教え育てられる時期を経て、自発的に学んで育つ時期に入っていくわけですが、財団はそうした成長過程で非常に大切な時期、つまり教育から「問いながら学ぶ」学問へと進んでいく世代を柔軟に、効率的にサポートするものです。効率的というと優秀な学生をさらに優秀にというイメージを持たれるかもしれませんが、そうではなく、むしろ多様な人材が多様な才能を伸ばしながら育っていく環境作りが必要で、教育機関、そのなかで働く先生方をサポートすることは非常に意義があると考えています。
世界が大きく変わっていくなかで日本の社会はいかに持続していくかを見つめ直す時期にあり、このタイミングで三菱グループが日本の教育界を支援することは大変価値のあることだと思います。
日本のドルベースの名目GDP(国内総生産)は2023年にドイツに抜かれ、世界4位に後退する見通しです。世界から今の日本がどう見られているのかを考えた時、少々回り道であっても、日本はもう一度若い世代の教育に本気で取り組むべきです。
今の日本が抱える問題、例えば少子化のスピードが増しつつありますが、総人口の観点からは、今後10年、20年はまだ対応の余地があります。ですから、手遅れになる前に次世代を担う若者たちに柔軟性や困難への対応力を身につけていただきたい。難しい課題に立ち向かうときだからこそ、皆で苦楽をともにしながら助け合っていく社会をつくりあげることが重要と考えています。

素晴らしいスタート、中盤戦も全力疾走したい

――2023年6月末に平野前理事長から引き継ぐ形で2代目理事長に就任されました。新理事長としての抱負をお聞かせください。

宮永平野前理事長は、非常に明快で、行動力のある方です。教育への助成事業は定量的な目標をつくれるような分野ではありませんが、具体的な取り組み領域や、そこに対してどのような形で支援を行っていくかといったプランを明確に示し、なかにはかなり難しい部分もあったかと思いますが、チャレンジングスピリットを持って実にいろいろな試みをやってこられました。非常に充実した4年間であり、素晴らしいスタートダッシュを切ったという印象です。
10年間のプログラムですから、タスキを受けた私はこれから中盤戦を走っていくことになります。10年間という期間は短距離走ではありませんが、この種のプログラムとしてはマラソンや駅伝のような長距離でもない。私は、10kmを3.3kmずつ3つの区間に分けて走るようなつもりでいますが、各区間、ものすごいスピードで疾走することになります。
幸い好スタートを切っているので、基本的にはそれを中盤戦で大きく変える必要はないと考えています。これから4年間走るとしたら、前半の2年間は今までやってきたことをより充実させるにはどうしたらいいかを模索しつつ調整すべきことは調整する、そうした流れをつくって臨みたいと思います。それで勢いが続けば、そのまま一気にゴールまで駆け込むこともあるでしょう。一方、世のなかの情勢の変化を受けての微調整や、教育支援の状況や今後の影響などを見極めながらプログラムの終盤をどういう形で迎えたらいいかという考えの整理などをしていく必要はあると思っています。
理事長の話をいただいたときは正直、私よりももっと若い方の方が適任ではないかと感じました。しかし、その時頭に浮かんだのが、明治維新の頃、長州藩において吉田松陰の松下村塾に学んだ若者たちが集まって生まれた一大ムーブメントと、同じ時代に備中松山藩(現在の岡山県)を建て直した山田方谷という偉人のことでした。方谷は破たん寸前だった同藩において大改革を進めると共に、備中鍬のような産業振興も行うことで「財政再建の神様」と呼ばれた人ですが、後年は地元・岡山で余生を若い人たちの教育に捧げました。私のたいへん尊敬する人物です。「至誠惻怛」(誠意と人への優しさ)の精神を貫いた方谷の生き方を思うと、山あり谷ありですが多くの経験を積んできた私が、これまで身を置いてきたのとは全く違う世界で大きな課題に立ち向かい、己を見つめ直して社会のお役に立つことができるのではないかと思うに至りました。とはいえ、今はまだ、こうあるべきだというより、どうすべきかと悩みながら手探りで対応している状態ですが……。

ビジネスパーソンに求められるのは責任感と協調性

――宮永理事長は、これからのビジネスパーソンに求められるのはどんな素養だとお考えですか? 財団が目指す人材像についてもお聞かせください。

宮永求められるビジネスパーソンの姿としてよく「未来を切り拓く力がある人」といった言われ方をしますが、企業や組織のなかで働くビジネスパーソンを前提に考えると、正直、それは多くの人々が目指し、また期待される人物像とは異なるのではないかと思います。実際に企業や組織がそういう「切り拓く」タイプの人ばかりだったら、百家争鳴の状態になってしまうからです。
組織には多様な人々が協力し合って、全体最適を求めて行動するためのルールや目標があり、個人はそのなかで自分の個性を生かすところと抑えるところ、オンとオフの切り替えをしっかりしていかなければなりません。そうしたなかでビジネスパーソンとして一番重要なのは、ひとつは責任感、そしてもうひとつが協調性ではないかと考えています。
さらにひとつ加えるとしたら、何事も受け身ではなく能動的にということですが、ビジネスで能動的というのは、難しい課題に対して自ら手を挙げて立ち向かうことが求められる側面が強いように思います。
尚、リスクのある分野に果敢に先頭に立って飛び込んで成功を果たした経営者の方を「ファーストペンギン」と呼びますが、これは非常に難しいことで、普通はなかなかできません。リーダー層のビジネスパーソンとして望ましい姿ではありますが、それを全員に求めるのは妥当ではないと思います。
実際には、大きな課題に直面した時、たまたまリーダーとしてそこに出くわした人が仕方なく強い責任感と協調性を持って立ち上がるというケースが多いのではないでしょうか。本心では「リーダーでなければよかった」と考えていたかもしれませんが、リーダーシップとは、それが真に求められた時に不思議な力に導かれてよきかたちで発現するものでしょうか。
だからこそ、15歳から20歳という人格がある程度形成される時期に、責任感や逃げたい心を抑える力を養い、エゴを克服する努力をし、かつ、人に優しい生き方とはどういうものかを考えていくことは非常に大切です。
とはいえ、適性の問題があって、若い頃からそういうことがきちんとできる人もいれば、ある程度年齢や経験を重ねるなかで身につけていく人もいます。ですから「この年齢の人はこれができないといけない」という絶対的な基準はないと思います。年齢にかかわりなく、責任感と協調性のレベルをいかに引き上げていくかを常に考えていってほしいですね。
実際にビジネスパーソンとして成長していく過程では、リーダーシップの階段を1段上がる度に、自分の欲望やエゴをひとつ手放していくといった謙虚さが必要です。常に悩んだり苦しんだりしながら、人生とは何かを一生懸命考えながら働き続けることが、ビジネスパーソンの心のなかでの成功につながっていくということを、人生の先輩として皆さんにお伝えしたいと思います。
ビジネスも人生も世の中の状況や運不運にも左右されますから、なかなかうまくいかないこともあります。私自身もそういう時代がありましたが、心のなかは前向きな諦観と情熱で常に満ち足りていました。こうした心構えを持っておくことも悪くないんじゃないかなと思いますね。

学校の勉強は嫌いでテニスに熱中した高校時代

――宮永理事長ご自身が15~20歳の頃は、どんな学生生活を送っていらっしゃったのです

宮永心のエンジンが駆動していたかといえば、ある意味ではしていたでしょうね。でも、学校の勉強には全く興味がありませんでした(笑)。
中学までは勉強もスポーツもそこそこでしたが、高校に入学してから硬式テニスに夢中になりました。私の才能ではテニスはうまくなるのに時間がかかるので、練習をたくさんしないといけないわけですよ。ですから、授業中は本当に眠くて……終業1時間前くらいにバチっと目が冴えてコートで白球を追う毎日でした。
また、理屈っぽいタイプだったのかもしれませんが数学や物理に興味があって、学校の授業とは離れたところで自分の好きな勉強はしていました。暗記して覚えるというのは嫌いだったので、例えば漢字にしても、漢字を覚えるというよりその漢字がどうやって生まれて時代とともにどう変わってきたのかを一生懸命調べていました。呉音、漢音、唐音など、時代によって発音が違いますよね? それを当時の日本の社会がどう理解し受け入れたのかとか、今思えば本当におかしなことばかり考えていました(笑)。
ですから、財団の多様な人材の多様な才能を伸ばすという考え方には大賛成です。私自身が優等生の枠の外の人間でしたからね。ただ、テニスや数学という夢中になれるものに出合って心のエンジンが駆動したこと、さらにいい先生にも恵まれたことで、好きな分野については体系的にしっかり学ぼうという下地だけは醸成されたように思います。社会人になってから何十年も数学の勉強を続けてきましたし、今も学ぶことは大好きです。

――10代での体験は大切なのですね。最後に、『マンスリーみつびし』の読者へ新年のメッセージをお願いします。

宮永三菱グループは変化する日本の社会に寄り添いながら歴史を刻んできました。大きく成長した時期もあれば、苦労した時期もあります。150年の節目でその意義を再確認し、これからも社会とともに歩み続けたいと決意を新たにして三菱みらい育成財団を立ち上げ、すぐに効果は出ないけれど社会にとって大変有用であり世界の平和に繋がるようにとの願いを抱いて、若い世代の教育を支援する活動に取り組んでいます。
三菱グループの三綱領には「所期奉公」という言葉が最初にあります。社会貢献の心をもって仕事に臨むことをまず第一に考えようということです。
皆さんの家族や仲間、そしてグループ各社のサプライチェーンの方々が安心して暮らしていける社会を維持し、発展させること、私たちの企業活動はすべてそこにつながっています。ビジネスを通して世のなかのお役に立てる、そして周囲の人たちと喜びを分かち合える。所期奉公は、義務などではなく、むしろ喜びだと私は思っています。
三菱みらい育成財団は2025年に10年の期限の折り返し点を迎えます。課題も多く抱えていますが、全国の高校の先生方や教育事業者の方々と力を合わせ、所期奉公の精神で粘り強く活動を続けていく所存です。グループの皆さんも喜びの実現に向け、新しい年も引き続き、日々の業務に打ち込んでいただきたいと思います。

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