トップインタビュー

2024.02.08

三菱地所

フルマラソンの最高タイムは3時間28分台!
まちづくりもビジネスも「人のつながり」を大事にしたい

東京生まれ東京育ち。海外でのキャリアに話題をふると「海外に出たくなかったから当時ドメスティックな印象が強かった三菱地所に入社した」と返すなどジョークで周囲を和ませてくれた

三菱地所 執行役社長
中島 篤(なかじま・あつし)

1963年、東京都生まれ。1986年に東京大学法学部を卒業後、三菱地所に入社。2014年に米ロックフェラーグループインターナショナル社で日本人初の取締役社長兼CEOに就任。以降は三菱地所に戻って海外事業グループ担当役員、用地取得事業・都市開発事業・物流施設事業・ホテル事業担当役員を歴任。代表執行役執行役専務 経営企画部・サステナビリティ推進部担当を経て、2023年4月より現職。

三菱関連企業のトップのお考えやお人柄をお伝えする連載『トップインタビュー』。第10回は三菱地所の中島篤社長に趣味のマラソンの話や、大丸有(大手町・丸の内・有楽町)の開発にかける思いを聞いた。

――中島社長の趣味はマラソンで、なんと50歳で本格デビューしたと伺いました。

中島そうですね。時系列で言いますと、45歳の頃に少し体を鍛えようと思い、ランニングを始めました。その後ニューヨーク駐在になってセントラルパークを走ったりしていたところ、部下にすすめられ、ハーフマラソンに出て完走したんです。48歳のときでした。そうなると「次はフルマラソンに挑戦だ!」と練習にも熱が入り、50歳にしてフルマラソンデビューを果たしました。

――すごいですね。これまで何回くらいフルマラソンを走られたのですか? よろしければフルマラソンの最高タイムもお教えください。

中島ニューヨークシティマラソンや東京マラソンなど公認レースで12回です。最高タイムは3時間28分40何秒かだったと思います。もっとも、今はそんなに速くは走れませんよ(笑)。週末、土日のいずれかはランニングに時間を割くようにしていますが、以前のようにタイムアップを目指すというより、健康維持や運動不足の解消のために走っています。今年の11月には40人ほどの社員と一緒に皇居ランニングをして、その後軽くお酒を飲むという社内イベントを開催しました。

2013年 ニューヨークシティマラソンにて

コミュニケーションに苦労した子会社社長時代

――中島社長は20代後半に社内留学制度でアメリカに留学され、その後もロックフェラーグループインターナショナル社初の日本人社長となり、御社に戻ってからも役員として海外事業グループを統括されるなど、海外事業のキャリアが豊富です。海外で仕事をされていて印象に残っていること、困難を乗り越えた経験などをお聞かせいただけますか?

中島私が入社した頃の三菱地所は、国内事業中心のドメスティックな会社でした。しかし、1989年にロックフェラー・グループ社の買収を決めた頃から海外事業のウエートが徐々に高まり、社内留学制度が立ち上がって、その一期生としてカリフォルニア大学バークレー校に行かせてもらいました。その後も三菱地所という枠の中で見れば、海外業務に比較的長く携わってきたと言えると思います。確かに、海外で外国人と仕事をしていくうえでは困難なことがあります。
 ロックフェラーグループインターナショナルの社長時代は、日米の文化や商習慣の違いに戸惑いました。アメリカ人の幹部の協力を得ながら、日本の親会社から来たナカジマという人間の考えを、いかにしてアメリカ人の社員に伝えるか、浸透させていくか。ある出来事で劇的に変わったというのではなく、タウンホールミーティング(対話集会)を適宜、開催するなど、地道な活動の積み重ねで何とか乗り越えました。当時はリーマンショックでクラッシュしたアメリカの不動産マーケットが回復基調にあり、業績面でよい方向に向かったことも大きかったと思います。

――社内報で、粘り強くていねいにコミュニケーションを取ることが重要だと力説されていました。背景には、ご自身のそうしたご経験があるわけですね。

中島そうですね。社員には言いにくいのですが(笑)、私がメッセージを発信しても、多くの社員にはそのうちの何割かしか伝わらないものです。したがって、重要なこと・本当に伝えたいことについては何度も繰り返すことが大切だと考えています。私自身20代や30代の頃は、当時の役員の方に対して生意気にも「この人、毎回同じことばかり言うよな」と思っていたこともあります。しかし、ここに来て、私のような立場の者がぶれずに同じメッセージを発信し続けることには意味があると確信するようになりました。

何十年後に評価してもらえるまちづくりを

――御社は「まちづくりを通じた社会貢献」を基本使命とされています。中島社長が目指していらっしゃるまちづくりについてお聞かせください。

中島一般にまちづくりといえば、建物を建てて人に使ってもらうことですよね。しかし、当社では不動産関連の事業を幅広く行っていることもあり、まちづくりをかなり広義に解釈しています。私自身は、まちづくりとは当社の事業を通して社会的価値、あるいは経済的価値を高めていくことであると考えています。社会に貢献するという意味では、街に関わる人や当社のステークホルダーの方々に満足していただけるものを作ることが求められますが、一方で、不動産開発の観点では何十年も後の時代の方々から「本当に価値のあるものだった」と評価されるものでなければなりません。ですから、将来にわたってしっかり利用され、皆から愛してもらえるような街を作っていきたいと思います。

――御社の本丸である「大丸有(大手町・丸の内・有楽町)」にもビジネス以外の要素を取り込みエリアの活性化につなげたいと、社長就任会見の際にお話されていました。

中島かつては平日の昼間だけ人で賑わうビジネス街だったこのエリアですが、当社の先輩たちの努力が奏功し、商業施設やホテル、文化施設などもだいぶ増えてきました。ビジネスの中心地であることに変わりはありませんが、そのビジネスの分野でも、従来の伝統的な企業や大企業に加え、スタートアップ企業もどんどん進出してきています。今後も、そうした新興企業や海外企業を積極的に誘致していきたい。そのためにも、夜や土日も含めて魅力ある場所、いろいろな方が訪れたくなる街にしたいですね。具体的には、既存の商業施設もさらに充実させたいですし、エンターテインメント的な要素ももっと増やしていきたいと考えています。

TOKYO TORCHで世界に輝く「まちづくり」

――そうしたなかで注目されるのが2027年度完成予定のTOKYO TORCH、東京駅周辺で最大となる敷地面積3.1haの大規模複合再開発事業です。このプロジェクトを通して、東京駅前のエリアをどう変えていかれるのかをお聞かせいただけたらと思います。

中島TOKYO TORCHは、今後の大丸有エリアを象徴するようなプロジェクトになります。長期にわたるプロジェクトで、約390mの日本一高いビルTorch Towerが2028年3月に完成する計画です。中にはオフィス以外にもアジア初進出となる超高級ホテル(ドーチェスター・コレクション)、賃貸レジデンス、ホールなどが入ります。同じ街区に常盤橋タワーというビルが2021年に竣工しており、2棟のビルの間には約7,000㎡の大規模広場(TOKYO TORCH Park)が造成されます。地方の都市とも連携してさまざまな企画を予定しており、東京駅前だけでなく日本中を明るく灯す、さらには日本の未来を明るく灯すという意味でプロジェクト名をTORCH(灯り)としました。東京発、日本発の世界で輝く「まちづくり」を目指しています。

――今からワクワクしますね。中島社長は「ビジネスは突きつめると人だ」とおっしゃっていますが、そうしたビッグプロジェクトの担い手として求める社員像といいますか、どんな人財を育成していきたいかをお聞かせください。

中島第一にはIntegrity(倫理性)ですね。高い意識を持ち、バランスのとれた人であってほしい。加えて、各領域で高い専門性を備えたProfessionalとして活躍できる人。キャリアは様々でしょうが、不動産事業者としてのしっかりしたノウハウは身につけておいてほしいと思います。そのうえで、人とのつながりを大事にしてもらいたいですね。全方位でいい人間関係を築くのは難しいかもしれませんが、回り回って自分のためにもなります。例えば、新しいビジネスに結びついたり、困難にぶつかったときに助けてもらえたり……。仕事を離れたところでも、楽しく遊び、お酒を飲める相手の存在は貴重です。ビジネス人生を振り返ると、私自身も何度となく人とのつながりに助けられました。

社内に連綿と受け継がれる「岩崎家のDNA」

――社員には「Change Maker」であることを求めていると聞きました。

中島そうですね。1890年に岩崎彌之助が明治政府の要請を受けて丸の内一帯の土地を取得したことに端を発する当社は、130年かけてこのエリアを世界に誇るビジネス街へと発展させ、さらに日本の不動産会社としていち早く海外進出も果たしています。そうした「超長期視点のまちづくりの伝統」と「時代を先取りする先見性」という岩崎家のDNAは確実に今の当社にも受け継がれています。
 Change Makerとは、変化を恐れず慣例にとらわれないチャレンジ精神で行動し、外部の人たちからの協力を得て周囲を巻き込みながら事業を組み立てる人のことです。その意味で当社の社員はすでにChange Makerだと思いますが、堅実な社風もあって、「丸の内の大家さん」と保守的な印象を持たれることも多いです。社員には、Change Makerとして世の中の変化を恐れず、むしろ先取りしてうまく利用するくらいの強い気持ちで仕事に取り組んでほしいですね。
 ビジネスを成長させていく過程では、イノベーションを起こせる人の存在も欠かせません。誰もが小さな変化を起こすことはできるはずで、それを積み上げていけばやがて大きな変化へとつながります。我々のDNAを次の世代に伝えていく、あるいは、さらに研ぎ澄まして将来へと発展させていくためにも、社員には変化に対して常に前向きであってほしいと思います。

――社内に伝わる岩崎家のDNA。素敵なお話ですね。最後に、『マンスリーみつびし』の読者へのメッセージをお願いします。

中島グループ従業員の中には、普段の仕事の中で三菱グループを意識する機会があまりないという方もいらっしゃることでしょう。私自身は長くグループの中にいるせいか、「三綱領」に触れたり、三菱マーケティング研究会に参加させていただいたりと、グループとのつながりを確認する機会が度々あります。同じ価値観を持つグループの方とはお互いを理解しやすく、距離も縮めやすいと感じています。皆さんもグループ内のつながりを大切にしながら、三菱ブランドをご自分のキャリアの中でうまく活かしていってほしいと思います。

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